2014年10月27日

事件が多すぎて



「ひまわり事件」荻原 浩:著 文春文庫 を読んだ。例によって例による荻原節。私の世代が皮膚的感覚で「そうなんだよな」と云える汗にも似たシンクロ感。今言いたいことを言ってくれている。環境や社会が変ろうと多分俺の思っている事は間違ってはいない筈。人間てのは気持ちを持った生物でしかないんだ。この辺です。多分だから団塊は説教がましくてウザイんだよなって云われるのかもね。いいんだ、もう変わらない。変われない。読んでくれ!



沼津伊東の研修の時に佐野さんから紹介された「じんじん」を観ました。日本映画のある一片を構成するタイプの映画だろうと思っていましたが、ちょっと違います。確かにある一片ですが、大事な事でもあるんです。小津とは違う日本ですが、日本的である何かを感じられればそれでいいのかと思いました。詰まらない小さなことにも試行錯誤や張り裂けんばかりの思いや云うに言えない思いがこめられていることも有るんだってことだね。今わが息子は何を考え何をしているのだろう。

「安野光雅展」に行って来ました。もうなにもいう事がないほど素晴らしい世界を描いています。平家物語や中国の景色の本は購入したいと思いました。つまり手元に置いて眺めていたいと思う絵です。

  


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2014年10月13日

研修?と本と新聞







志太建築士会の研修旅行に参加しました。熱海の起雲閣と伊東の東海館です。東海館は写真を撮る間もなく見入ってしまったので、写真は無。前回のブログで誰かが語っていたヴィクトリア朝の日本版が観れてタイムリーでした。起雲閣の歴史は正に日本のデザインの系譜でもあります。斗供の組物、支輪、格天井、、ステンドグラス、モザイクタイル、ハーフテンバーそして、鮮やかな色使いなど、貴人たちの美学を表現主義その物でこれでもか!っていう執拗さで見せましたが、川の流れは絶えずして・・・です。泡沫に帰するのでしょうか?
耽美主義まで入り込まないと、いや、風体だけを求めたのかは知る由も有りません。北方ロマネスクっぽい部分は御殿場の秩父宮公園の建物のも通じる物が有ります。そしてこの影は白井晟一にも見えます。下の格子は悪あがきの耐震補強の結果です。いや努力の賜物です。5枚目は富戸での昼食(数寄屋モダーン)ですねん。味もね、がさつな田舎モンには・・・



以前読んだキャロル・オコネルの「クリスマスに少女は還る」創元推理文庫です。検索してみると絶賛の嵐ですが、いまいち閉じ込められた空間知覚ではイメージがおぼろげになりますが、それも結実の時点で理由が判ります。私としては絶賛というところまではいきません。語り口は典型的な辛辣なアメリカで、前回の「愛おしい骨」より捻りが効いています、あくまで語り口だけだけどね。このようにアメリカの文学は角が取れない面白さでグイグイと自分の個性を主張してきます。角なんてッケ!なんでしょうね、いや?多分覇者の人達には見えないんだね。



「低反発28」静岡新聞です。よんだひとは一瞬「大坊」?って思ったかもしれないね。ただそれだけ。今朝も深煎りの2倍の濃さで朝食を頂きました。読みながらです。ミルクもたっぷりカフェオレで、マーマレード、ヨーグルト、オリーブオイルのトースト(4枚切)でした。そしてこのブログの書き込み。

  


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2014年10月10日

ヴィクトリア朝





芸術新潮です。未だ寒い時期だった頃の2月号です。このオフェリアの表紙のもうこれ以上の美しさなど無いだろうというような19世紀のマニエリスムである、前ラファエロ派のアート(ヴィクトリア朝)の特集でした。図書館から何回も借りては返ししました。要するに何度見ても解からないんです。何だこれは!って感じなんです。琳派の様にも見えるし、民芸運動にも見えるけど、やっぱり違うし、でも気にかかる。徹底的に上手くて美しくて濃厚で、でも軽くて焦点が合わない。何をしてどんな風に暮らしたかったのだろう。一種の諦めさえ見える。アールヌーボーの運動も成るべくして成ったという西洋というデカルトそのものなんです。こういう風に積み重ねた歴史を突きつけられると和様の歴史は聚楽塗の土の様にさらさらと地表に舞ってしまいます。切り口が違うんですね。2、3枚目はインテリアなんだけど私なんぞは無言になってしまいます。しかしながらこの装飾もウィリアム・モリスへと繋がり、アーツアンドクラフト運動へと流れ、その先にはマッキントッシュが居て、ロースまで行き着くのですから大したものです。西欧のデザインの系譜はたしかに論理的です。  


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2014年10月06日

静岡新聞

昨日の新聞から


極めて難しい問題提起の本の紹介でも気になったので、読んだ。多分全部読んでも身に成るほどは読めないだろうと思う。
「人類が永遠に続くのではないとしたら」加藤典洋:著 新潮社 である。エネルギーや自然、地球、経済をいっしょに考えていくと見返りを求めない投資に行き着くという一種の宗教的概念に辿り着くのではないかと、読む前に推測してしまいますが、読んでみなければ解かりません。難しそうで敬遠しそう。気になるね。

書いていて途中だけど、台風が過ぎ去りました。青空も広がってきました。命までは金で清算しているけれど、自然と時間は金に換えられないんです。



低反発枕草子、平田俊子さんの例の口調が心地良いです。皆と一緒とか協調性とかケッだよね。別にそれほど自分の個性なんて知らなくてもとてもじゃないけど、一緒になんかできない時ってあるんだね。すべてに理由があったはずだ。随分いい子ぶってた僕でさえこうなんだから、みんなはもっと息苦しかっただろうね。落ちこぼれとか、そうじゃないとかはどうでもよくて、その中間で自分の位置が良くわからなくて、ふらふら自覚のないまま生き延びている自分が居る事だけは解かります。



養老先生の「さかさま人間学」なのだ。雨です。雨が齎す(もたらすっていう字が出てきました。ウーン)養老先生の身辺であり景色でもあります。地中にまで思考の波で想像を拾ってきます。虫さんを連れながら。楽しそうで羨ましいという実感。



グランシップの文楽出前講座が大川中学で行われた記事です。とても羨ましい。で、感想を子供たちが述べているんだけれど、中にしおんさんの「仏果を得ず」を読んでこの講座に臨んだ生徒が居た。エライ!楽しく興味深く講座を理解したのでしょう。なんかー嬉しく思います。



  


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2014年10月04日

佐藤 雅美



「物書同心居眠り紋蔵」佐藤雅美:著 講談社文庫 久々の佐藤雅美でした。前は「宿尻」こんどは「居眠り」とダメおやじが好きです。気が休まるんです。でも佐藤雅美ですから、時代考証はめんみつを極めて、この時代に居るかのようなリアリティーを見せてくれます。のほほんもこのリアリティーがあればこその読者の頷きであると思います。微妙な心理の綾も背景や言葉が創っているのでしょう。単にダメおやじではなく、いい人だけでない人の在るべき姿を描いていると思います。シリーズなので、次の隼小僧を探します。表紙は村上豊。すごいね。  


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2014年10月01日

栗おこわ



おかぴーさんから「栗おこわ」が届きました。お昼に間に合ったので食してしまいました。昨日の残り物が沢山あったので昼はゴージャスです。小布施で買った栗わっぱは800円だからこれは1200円です。因みにコロッケにも栗が入っていました。でもね、栗の生産高の日本一は茨城だと水戸の英ちゃんが威張ってました。日本の秋、本当においしかった。家内の為に1/3残しておきました。この場を借りて「おかぴーさん、ありがとう」

肺炎球菌の予防接種をしてきました。4000円でした。なんかすごい高いって感じだけど、やっておかないと土井たか子になっちゃうもんね。  


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2014年10月01日

たちもり



 もう10月で、このまえ1月、地球が走っている。手帳も後ろ側で寂しい。誕生日も近い。長野に行ったのは夢だったのか、段々と過去が消えてゆく、そして表紙はピンボケ。 「それでも、警官は微笑う」日月 恩:著 講談社文庫 著者の読みは「たちもり めぐみ」だそうです。知る人ぞ、知るですね。時間的観念を姓にする識者かな?この世で一番大事なものは金でなく、時です。
 無骨な警官が拳銃を追う話であるが、麻薬が絡んだり、警察内部の事情、日中間の思惑、過去の麻薬自殺事件が絡んだりと色々と糸が解れません。それを力と知恵と仲間の思いを駆使して解決に進んでいきます。猥雑な池袋駅周辺が描かれてギスギスしますが、これも面白さの断片でも有ります。どんな背景での事件でも、欲望や、憎しみは同じ頭蓋骨の中での経験が生むことなのですね。風光明媚なイギリスでも池袋のサンシャイン60辺りでも同じことです。でもこんな事件に命を張って取り組む刑事は居て欲しいけれど、居ないでしょうね。この前の弁護士刑事も同じく、映画やテレビなら存在する刑事です。武本刑事はまた何処かで登場してほしいものです。潮崎の行く末も面白そうです。因みに目次は茶事のながれで、潮崎は家元の二男なのだ。  


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