2020年04月29日

おかむら

あの岡村がとんでもないことを喋ったそうです。チコちゃんをやってるあの岡村がです。ようするに、女性蔑視、人権侵害等の根本的思想に至るコメントをオールナイトニッポンのラジオで喋ったそうです。細かい内容は、ニュースの欄で把握してください。現代社会の歪の根本を理解せずに公共放送のマイクの前に座って、断片だけの上っ調子で語ると、その後ろにある極めてドス暗い闇とのつながりを引き釣り出してしまうことに気づかない愚かさを提示してしまうのです。単細胞の私でさえも、この発言の意味は大きな爆弾であると思います。そしてこのことが無かったかのようなマスコミの姿勢も日本の隠蔽、閉鎖性、放っておけば、時間が過ぎれば忘れる的な空気でお茶を濁す、とても怖い社会に慣れ果ててしまったようです、NHKも日本テレビも情けない会社にイメージ付けられました。  


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2020年04月21日

見た記憶がある黒い三角錐:2



昼休みに切りました。切り口はガタガタですが、一応三角錐です。こんなに難しい立方体をむかしの人はいとも簡単に作ってしまったのですね。でも多分昔の三角錐の受付はどこにも残っていないのでしょうね。その辺にあったつまらないと思われていたものも結構苦労して作ったものもあったのでしょうね。家の物置の中の古い道具も大事にしようと思いました。黒く塗って受付の白い文字を入れます。単なるノスタルジーと笑わば笑え  


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2020年04月21日

見た記憶がある黒い三角錐



昔、見たような記憶がある。机やカウンターの上に黒い三角錐。受付っていう白い字が書いてあった。古い映画でも見れば出てくるかもね。学校や会社の受付だろうね。もう、みんな捨てちゃったのでしょう。でもそれが何故か欲しくて作ることにしました。ところがです。三角錐っていうのがイザ作るとなると難しいのです。このデジタルの時代だからキャドを駆使して作図はしたものの、アナログの木材の加工が如何に難しかが解りました。斜めに切ること自体が難しいんだよね。でも毎日少しづつ切っていったらここまで進みました。もうじきです。
 そんでもって、アボカドの種を見ていたら、正三角錐に内接する球の半径はどうしたら解るんだろうと思って作図していったら、難なく出来ました。昔だったら、めんどくさくってすぐに諦めていたんだろうね。今を感謝。  


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2020年04月12日

栗本薫と「さるなし」



「絃の聖域」栗本 薫:著 講談社文庫

多分、当時はセンセーショナルだったんでしょう。この作品もであるが、この栗本薫という人物そのものへの驚きです。文才が無いからすごい!としか言い表せないので、歯がゆいのです。同時代的に読んだ人は衝撃的だったでしょう。でも、名前は知っていたけど誰も強烈に進める人が周りにいなかったもんね。なかにはいって、この長唄ってものが、いまの歳(70歳)になってようやく何か深いもので、日本的なる叙情の文化の一片であることを認識できる年齢に達したことを自覚しました。それほど大げさなものでは無いのかもしれませんが、なかなかの印影を表現しています。
 


「さるなし」永橋君の蕎麦屋さんです。このキャノピーみたいなのを南東にも作りたいとのことで、行ってきました。



ここに、作るんです。外でも食べるんです。すごい外部空間なんです。ほんとうに旨いんです。そばが!
  


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2020年04月03日

京極なのだ


「百器 徒然袋 雨」京極夏彦:著 講談社文庫

まあ徹底的に面白いこと限りなし。勧善懲悪、推理などしなくても、確実な事実を把握して感情の赴くままにドタバタとスッキリ処理をする。これが哲学。だからまた読みたくなる、榎木津、中禅寺である。やたらと長いのも頷けるけど、カバンが重い。隙間の時間でも、持ち歩いて読みたくなる。もう中毒である。表紙が暗示している。  


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