2012年09月30日

9月30日静岡新聞の記事から&グルダ



(右1)先週に引き続き晶子百歌繚乱から恋が触れた瞬間の慄きや、ときめきを春の季節に喩えて

わが肩に春の世界のもの一つくづれ来こしやと御手を思いし 「夢の華」

ほんとに人の心を直截に掴むのが上手くて、アーと思わせる。しかもその愛というものが下品に落ちることなく、この官能というものが崇高で誰も否定出来ない原初の動物を感じさせる。若いってことは素晴らしい。

(右2)与謝野の裏面になる、気になる本
「街場の文体論」内田 樹 著
思い、言葉、文字をコミュニケーションとして論じているらしい。思いを伝えるということがいかに難しいか、この点に悩み続ける自分には早速買って読もうと思わせた書評であった。内田樹さんの自邸はほぼ日で知りました(関係ないっか)。

(右3)おしゃべり止めます
これはいい。「イグ・ノーベル賞」の「音響賞」だそうで装着すると上手くしゃべれなくなってしまうらしい。どうでもいいことを執拗にしゃべる私は誰かに装着されるかもしれません。その私からしても、巷には装着して欲しい人がいっぱいいます。自分を肯定。

(右4、要するに左)海馬の話
海馬が働かなくなると新しいことは記憶出来無くなるって、自分の事を云われているようで怖いです。先日もある店から電話がかかってきて「伊久美さん財布を忘れてますよ。」と告げられました。よく寝る子は海馬が育つそうです。よく寝ますが、子供じゃないからもう既に衰退してるのは歴然。

(下)ボントロさんは稽古の間中ベートーヴェンを聞いていました。よく聞こえるんです、私は邪魔な気がしませんし、お茶の稽古に合っていると感じる時があります。アシュケナージの熱情でした。ちょと寄ってつまらない話をするのが楽しみです。私が聴くのはグルダのCD。

  


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2012年09月29日

煙か土か食い物


「煙か土か食い物」舞城王太郎、講談社文庫
こういうのをパンクって云うのか解らないけど、多分パンクの装い。アメリカで活躍の外科医:奈津川四郎の故郷福井でのハチャメチャな事件を追い回し何とか片づける。しかしそんな簡単なストーリーであるわけがない。根底に自分の家族の呪われたような血筋がこの事件を彩りながら(暴力的に)家族とは?復讐と許し?みたいな問いかけもあるのです。タフでインテリで挫けず、アドレナリン満載の主人公:四郎のような人間などいないと切り捨てないで、ただ面白い活劇(血腥いけどね)で、漫画でも見ていると思えば楽しいものです。途中では止められません。スピードが命ですので、気を付けて読みましょう。  


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2012年09月23日

女と天体:本と新聞


 辻村深月の「鍵のない夢を見る」を読んだ。直木賞受賞作である。賞は私にとって意味は成さないからフーンである。しかし女というものを突きつけられた本である。5編の中の「芹葉大学の夢と殺人」は濃厚。全編に渡って、小さな心の揺れや一言では表現できない辻褄の合わない妙な思考や行動を、読者が同調出来るかのように忠実に描いている。しかも女という匂いまで付けた細密画のように。

右:9月23日(土)静岡新聞の切り抜きから
 晶子百歌繚乱26

 何と云うみなつかしさぞ君みれば近おとりして恋ひまさるかな       「夢の華」

 
なんとまあ、おなつかしい。久しい時間をおいてつくづく見るあなたには失望してしまうのに、それでいてなぜか、いよいよ恋しい-----が現代訳
これまた晶子特有の情熱女の歌である。恋や愛の心持を余すところなく語り、一途に生きようとする女という人間?を描いている。すべての行為の根底に愛、恋を置いている。いよいよ恋しいーーーは深みに嵌る恋の加速度まで読めていい。
中下:納得!科学ニュース
 30日は「中秋の名月」
 旧暦8月15日の名月も、今年は9月30日だそうです。「中秋の名月」という名前がとても日本的な風情で気に入っている。月の海という黒っぽいところは玄武岩なので黒く見えるそうだ。月の模様も優劣を想像させないウサギが一番ノドカ。
左下:サイちゃんの星空散歩
 北極星、北を示す重要な目印
 今まで北極星をしかと見たことが無かった。澄んだ夜空に気が付いたら、カシオペアを探してみようと思わせる記事です。夜空を見たらこの記事を思い出すかなー。
上:書評の「金星を追いかけて」
 書評なんだけどヘーと読んでしまった。天地明察みたいだなって思いながら、6月6日の「日面経過」が過ぎ去ったことを私は悔やんでいる。昔、世界中の天文学者が協力して、太陽系の大きさを観測していただなんて驚きでした。エライナー。次は2117年だそうだ。タブン、ミンナイナイネ。

この宇宙、地球上、いや身の回りでも解らないことがいっぱいあるってことだね。興味は尽きません。
  


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2012年09月21日

高島哲夫「命の遺伝子」


この本で解ったこと。細胞には新陳代謝を繰り返しながらその速度が老化していくものと、一定の成長から止まって死ぬまでその細胞が働き続けるものと二つある。皮膚なんかは、繰り返しのタイプ、心臓のような臓器は後者。そして大腸菌などの細胞は永遠の命を持っている。それは遺伝子の構造による。しかし進化する生物は死を繰り返しながら進化する。死が無いとと進化しないのだ。話しの筋はナチスがこの遺伝子の構造を変えて永遠の命を得ようとしていたこと、また主人公(生科学の教授)の家系にウェルナー症(40歳あたりから急速に老化が始まり、3年以内に死に至る)が有ることがベースである。ステージはドイツ、アメリカ、ブラジル、イタリアと目まぐるしく変わり、息つく暇もなく事件が襲う。これ等、危機への遭遇は全て他人を救うための行動である。難しい生医学の話も分かりやすく語られて、スムースに読めた。映画に出来そうな話であった。人間の根底にある愛とかの言葉を表に出さずにここまで描きっている。すごい作家です。
 蛇足:文中にカリフォルニア大学のサン・ディエゴの研究所の名前が出てきたので、カーンのソーク生物学研究所が頭に浮かびました。写真で見る大理石の中庭からの景色に思いを馳せてGAを開いています。話しが逸れて申し訳ない。  


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2012年09月18日

フィンランドの暮らしのデザイン


サーリネンの絵葉書、カレワラの装丁の絵葉書、チケット

マリメッコのタピストリーとムーミン

 静岡市立美術館の「フィンランのド暮らしのデザイン」展に行ってきました。一般的にはムーミンとマリメッコで知られているフィンランドですが、ヨーロッパの辺境の地であるがゆえに、歴史に翻弄された国です。しかし彼の国は「カレワラ」という叙事詩を基盤に独自の国民性を築いてきました。芸術文化に対しては特筆すべき優れた人々を世界に知らしめています。
 印象の深かった展示を感じたままに記しておく。最初は3人の国民的画家の絵画です。印象派の影響を受けながらも独自の風土を描き出して、独自性が見て取れる。極寒の地の夏、雪の表現、が素晴らしいのだが、光の扱いは面白い。太陽は横からあたる故に影は長く伸び、その中にいろんな彩を描く。厳しいけど自然への敬意が現れていると思った。
 建築家エリエル・サーリネンの計画図面が展示されている。建築家なら誰でも知っているエーロ・サーリネンの父である。論理性と具体例で国民的ロマン主義と呼ばれ、イギリスゴシックとモダニズムの融合を計り独自性を試みている。代表例はヘルシンキ駅、カレワラ会館である。旨く説明できないから、見てきてほしい。
 イタッラの食器は近頃はどこのインテリア店にもあるが、このモダニズムそのもののデザインはサスティナブルを形で表している。使い勝手が基本でありながら、デザインの必然性を控えめながら主張している。アアルトのデザインした建築から家具、照明器具ドアの取っ手までが、すべてこのデザインするという作業を完全に全うしている。このデザインするというものに敬意を払える国民性はとりもなおさず「カレワラ」から続いたフィンランドという風土が織りなした独自のタピストリーである  


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2012年09月16日

新聞記事と「訣別の森」


9月15日の静岡新聞コラム「再生のシステム」隈 研吾
使い捨てで成り立つ工業製品と建築の違いを明確に伝えながら、この「再生のシステム」のネットワークを築けないと過去と同じ過ちを犯すだろうという事。私なりに話を拡げてしまえば、現存する建築も大事に生きながらえる方法探るべきなんじゃないか?って思うのだ。過去に対する尊敬の念は言葉や記念碑で表すのではなく、実物で示すべきなのだ。


「訣別の森」末浦広海:講談社文庫:第54回江戸川乱歩賞
救急ヘリと知床の自然保護の話、で全く似か寄らない題材が結合して壮絶な事件になる。事件の推移も非常に面白く、止まらなくなってしまうのだけれど、発端の事件が鍵を握っている。多種多様な題材が登場してぐちゃぐちゃになりそうなところをまとめる力は特筆ものです。
 「感情を優先させて悪い?人を愛するのに、合理性が必要なの?」って主人公の彼女が、主人公の以前好きだった女に言った言葉が頭に残った。当たり前の言葉だけど、読後にその場のシーンが思い出された。
  


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2012年09月08日

乾山晩愁


「乾山晩愁」葉室 麟:著 角川文庫 短編集であるが少しずつ関連して繋がっている。
 すごい の一言ですむのかもしれない。全ては繋がっている。乾山晩愁、永徳翔天、等伯慕影、雪信花匂、一蝶幻景が短編の題である。光琳の弟の乾山、狩野派に対抗した長谷川等伯、そして狩野派の絵師達が歴史の中でどんな風な感情を持ってその歴上の事件と対峙しながら筆を持ったのかが、読み取れる。歴史とは全てのジャンルを巻き込んで時間の渦を作っていて、絵はそれ一つだけで時間をなぞってはいない。そして人もである。この本は凝縮した芸術ともいえる。何が何だかわからない文だが、読めば少し私の表現が合っているところもある、と思うかもよ。
 狩野派の絵が、あまり好きでは無かった私も、これで興味が湧いてきた。  


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2012年09月06日

新聞とサイケデリコ(なんかあわない)


サイケデリコより先に新聞から
今日の静岡新聞朝刊の時評「草木国土悉皆成仏」佐藤洋一郎
 京都、化野(あだしの)念仏寺の話から、自然のサイクルと無常に言及して、凄惨な人間の死に思いを馳せて、この「草木国土悉皆成仏」の原点には、もう一つ人間の死に対する心や思いもあるんだ、ってことをを言っている。凄惨な死を知らない現代への警鐘である。確かに現代は死というものの現実を見れなくなったのは事実です。因みに読みは そうもくしっかいじょうぶつ だそうです。
 次に飛んで、CD「サイケデリコ」です。文句なしにかっこいい。懐かしさが甦ってウキウキします。70年代の洋楽ポップスの乗りやリズムを日本語に乗せ変えて愛や恋を歌う。しかし歌詞はしっかり現代。もう少しマニアはエゴ・ラッピンのジャージーなブルースに走る。2001年の発売でしたが、車で聞くにはモッテコイで、ノリノリには注意!。手元に有るのはこの一枚だけ。
   


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2012年09月02日

清張「蔵の中」と雑多


 清張の時代物短編集である。表紙はこれでいいのか?いささか疑問が残る。確かに人の中にある暗闇(どうしようもない世間や時代と個人のギャップ)が書かれてはいて、外れてはいないけど、清張はもう少しその人間の心も許しているような気がする。「あんたも、同じ心を持っているじゃん」。と親鸞みたいなところもあるような。とするとこの表紙は少し違うのかもね。読者というのはどんなに悲惨で愚かな物語でも小さな隙間に希望を探すんです。でないと読み切れません。他のミステリーと違って謎解きは主題ではない。心理なのだ。解りやすい短編集です。

日曜美術館で東山魁夷をまたやっていた。「残照」は八ヶ岳を入れた?モネの「日の出」も映っていたけど、松田正平の「周防灘」シリーズの筆使いが思い出された。  


Posted by 新茶 at 11:56Comments(2)