2012年04月28日

総会と懇親会に出席


県議:さわやかピンクの佐野愛子女史、総合司会はマドンナのミキちゃん(face bookのお友達、写真撮らなくてゴメン、手が震えちゃうから)

これまた愛しの重鎮おかぴーの登場、後ろは知る人ぞ知る竹刀使いの哲っちゃん。

前の席はひょんきんなサンダルムコさん
あーあなんていい人達ばかりなんだろう。っていうのが感想。何処に向かっての勇気か解らないが、その勇気が湧くのは私私だけではないと思う。少し気が付いたことが有る。昔は、迷って腰が引けているときは、止めた方がいいって思ってたけど、そんなことはなくて、ドンドン動き出した方が楽しいことに続くこともある。独りよがりの楽しい妄想で進もう。ボントロさんに教えられた。懇親会では出席者全員の妄想が喧噪と共に渦を巻いて会場中を埋め尽くしていました。  


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2012年04月24日

我田引水を耳まで


 音楽の事が途中な気がしたので、入れる。上2枚は音楽三昧という楽団の「ラヴェル1、2」、下の左はタブラトゥーラの「バカボンダジョ」、右はウアクチの「MAPA]です。音楽三昧のリーダーの田崎氏はタブラトゥーラのフィドル担当他幾つかの楽団で活躍してます。ラヴェルという現代に近い音楽を古楽の音色を織り交ぜながら違う音楽かと思わせる程闊達に表現しています。イキイキとね。「コレハチガウ」って云う人がいるかもしれませんが私はこれが一番好きです。ピアノのコンチェルトは落ち付過ぎて現代を表現できていないと思ってしまうほど、この楽団の切れ味はモダンです。もし「ボレロ」以外のラヴェルを聞いたことがないのなら是非この楽団から聞くことをお勧めします。ちょっと罪深いかな?ピアノでいいのは、アルゲリッチで、2台のピアノと打楽器はアフリカのプリミティヴさが見えてコレハコレデイイ。
 右下のウアクチって云う楽団はブラジルの前衛音楽の楽団って云うことになっていますが、メロディーは極めてメランコリックです。楽器は自分達で作リます(創作楽器)し、コンピュータも駆使します。メランコリックなメロディーの根底にはボサノバやブラジルの民族音楽の影響も色濃く出ています。6曲目はラヴェル「ボレロ」です。
 以前書いた左下のタブラトゥーラは中世楽団ですが。自作の曲目も多く和物を上手に、ユーモアを加味しながらアレンジして、突拍子もなく自然に中世音楽にしてしまいます。昔浜松で演奏会が有りました。また聞きに行きたいのダジョ。

  


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2012年04月21日

万城目 学


 知る人ぞ知る「鹿男あおによし」を、「鴨川ホルモー」に続いて読みました。やっぱり万城目って感じで、楽しかった。近頃京都奈良に数回出掛けたけど、読んでおけば良かったと悔やんでいる。それにしても万城目の語り口は直に馴染んでくるので、作中に入りやすい。設定はいつもの荒唐無稽なのだが、登場人物のキャラクターの身近さについ読み続けてしまい、寝不足になる。歴史のある都市や村はなんて魅力的なんだろう。人間まで魅力的に思えてしまう。児玉清の解説もいいね。読んでから奈良に行った人が羨ましい。テレビドラマで放送されたらしい。見てみたかった。誰か見たかなあ?
 弥生時代の考古学は文献が中国だけだから、発掘物による学問なんだという事もかいてあった。奈良時代の万葉集は日本文化のことから、すごいことの始まりなんだ。  


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2012年04月17日

「鴨川ホルモー」


著:万城目 学   角川文庫
 一体このタイトルは何?って誰でも思う。そして読み進んでいってもしばらくは解らないけどいつの間にか解る。間違っているかもしれないけど座敷わらしの団体が何かする訳です。でも荻原浩ではないのだ。発想は荒唐無稽だけど愛おしい人間いや、ストーリーなのだ。多少先が見え隠れするけど、それでも尚。作者の描く若い人の心の揺れ方がウーーと来ちゃうのだ。みんな昔の若いときはこんな風だった。京都が良く描けていて、あの空気感が良く出ている。街の音まで聞こえてきそう。表紙も秀逸だよ。この後に「鹿男あおによし」が続く、「プリンセス・トヨトミ」は読んでしまって前に書いたことが有る。トヨトミは大阪、ホルモーは京都、あおによしは奈良。万城目学は大阪出身の京大卒なんだってさ。
 おまけで、「イカキョー」ってのはダサい京大生で、シャツをしっかりパンツのなかに入れてベルトをきつく締めてる学生なんだって。どっちでもいいだろう、中でも外でも。その本人にはなんらかのコンセプトが有る訳で、スッカラカンのチャライピーマンよりずっといい。ぼくも時々なかに入れて、心を引き締めているのだ。
 またついでで、A氏が沼田まほかるを持ってきた。ホラーサスペンス界では今や時の人。僕が読むの?読めるかなー。
  


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2012年04月15日

「風の組曲」と芸術新潮12月号


 パウル・クレー小論の前編。クレーの絵を記号的解釈より純粋無垢な絵として読み解いている。どちらでもいい。どちらも有り。ラベルを聞きながら読む。この時期の芸術は何かが湧いてくる。新しい時代のリズム、モダニズムが。
内田樹邸の記録が連載されていたが、すでに完成されている。職人に対する畏敬の念が解る。
家事のニホヘトと高橋みどりの食道楽はもうたまりません。
 「風の組曲」俵 万智は楽しい本でした。高貴でもなく下品でもなく身近な感覚で読めました、万城目学や三浦しおんを読んだときの感じです。こちらの心の襞まで読み解かれているような、肉親にぴったり寄り添われて話かけられているような感じで、見透かされているようで、こちらが身を避ける場がないほど突いてくる。他者の歌や文の解釈までも。
 世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 在原業平 の歌が実感できる歳になってしまった。

  


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2012年04月13日

「漱石先生の事件簿」柳 広司


以前読んだ「トーキョー・プリズン」の著者である。「吾輩は猫である」に仕掛けられた謎とは?って帯に書かれていたが、時代のもつ空気の滑稽さを揶揄しながらも視点はまさしく客観的な視野?の猫から描いていて、滑稽という語彙にぴったりである。抱腹絶倒というより、HnHnHnてな感じ。  


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2012年04月11日

音楽?ミュージック


 この頃聞いたCD。バッハのマタイ、槙原敬之、ミスチル。
完璧な和音のバッハは、揺るがない神を描かせてマリアの祈りでイエスを天上に連れてゆく、そういう世界。キリスト教の信者でなくともシンクロさせる。すべての和音にミケランジェロのピエタの像やエル・グレコの絵が浮かぶ。コラールに安息の光りが・・・こういう風に書くと解ったみたいですね。キワメテ観念的ではあるが、音楽ってそういうものでもいいと思う。
 槙原は「女々しくって」っていうかもしれないけど、中々素直に語っていてこれもまた有りかと思う。「空と君とのあいだに」は中島みゆきより好きです。ミスチルの2枚は自分の若いときの日記(書いていない)を読み返すようだが、60過ぎの私は恥ずかしさをかなぐりすてて、聞いてしまいます。昔叫びたかったことがあったのかもしれない。bank band,スピッツもそうだね。聞いて悪いことなど一つもないけど、普通はこういうところに書かないのかも。歳相応に生きて来なかった歪が今になって。
   


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2012年04月10日

夕べのディナー


(食べてる途中の写真)あまりに美味だったので、紹介しちゃいます。右下の筍をあらめと煮た皿です。幼少の頃、今の時期のおかずは毎日こればっかりで、お弁当の中にも入っていて辟易したものでしたが、今この時期これを食べれれることが幸せだと実感します。昔と違って、ダシや酒を使って味付けが良くなったので美味しいのでしょうね。右上はビーフシチュウの残りですが、これもまた旨いのだ。残り物は味が凝縮されて濃くなるが、我が家のはそれでも旨い。アラメはこの時期にしか食べなかったかな?昔食べたドロドロしたアラメのような昆布はなんだったんだろう。知っている人がいたら教えて下さい。
 書いただけで、持ってこないとお叱りが有りそう。それで誰かのところに持っていくと、「俺ん所に来てないけど」っていう発言も想像しちゃうね。
 筍はダシと薄口しょうゆで似たものに鰹節を振り掛けて極あっさりもいいね。木の芽(山椒の葉)を添えたら、京風どすえ。大体において、和風の煮ものに山椒の粉を振り掛ければ京風の味覚になりますえ。やってみなはれ。
 ビニールのテーブルシートがいかにも貧相の光り方で私に合ってる。  


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2012年04月09日

色々な指摘ありがとう。

昨日、昨昨日と連続して花見にお呼びがかかって列席しました。酒の飲めない私、が、です。気の置けない人達ばかりの上に酒が入るから、言いたい放題。こっちは酒が入らずに、しみじみと春の風情をあじわいつつ、西行になりきって散る花びらに自分の行末を見て、流れる雲に芭蕉の影を探していたわけです(カッコツケテ)。あるでもなく、ないでもない理屈の空回りの話が進行していくうちに、じわじわとブログの話題に行き、批評が開始される。これは致し方ないし、宿命でもある。批評されるのが苦痛ならば書かなければよいし、書くことはなんらかの自己顕示欲を表明してしまったから、致し方無いことである。読んでくれるだけでも感謝。私のページへの批評は私のことを真から心配して且つ、親切にしてあげたいなあという親心からそう言ってくれていると信じて、ありがたーく思い、感謝の念で胸がいっぱいになります。批評大歓迎なのであります。(二言はなく行間を読めなどは申しませぬ、HUHUHU・・・)
 批評内容は、だいたいにおいて、本のことなんかつまんない(本くらい読め!)、字の羅列はめんどくさい、暇だねー、読めない、文章支離滅裂、読む人いないんじゃない?。写真が斜め。そうかもしれない。多分受ける印象はこんなんだろうって予測はしてました。でも批評しながらも又次を読んでくれているんだよね懲りずに。しかしです、万人受けしてコメントの数を競うゲームに参加するほどの技術は取得していません。故に万人受けは端からあきらめてます。それと、わたしの日常はみなさんと違って劇的なる日常(そんなのある?)などというものは皆無です。人並みに生きれることを幼少の頃から諦めてました。でも笑って生きています。所詮他人が読んでも差し支えない個人的な日記、何か言いたいことを喋っているなと思って下さい。この齢になると恥ずかしいことも減ってくるのだ。自己満足どす。それにね、なにかモヤモヤが無くなる。不思議だね。いい花見だった。アリガットサン!ボントロさんも二日続けてアリガットサン!
 字の羅列じゃん、桜の写真は想像してください。瀬戸川だよ。  


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2012年04月06日

「明日の記憶」荻原 浩

文庫版が出たので早速読んだ。主人公が五十歳ということで、最後まで身につまされてしまった。極端に物忘れが激しくなった自分と照らし合わせて読んでしまう。記憶が少しずつ消えて行っても残る自分は何者なんだろう。在らぬ自分は自分なんだろうか。いまさら考えてもどうしようもないからこのままを受け入れて笑って過ごす事にしよう。でも考えちゃうな。

今日も他人から見たら簡単な事柄が盛り沢山詰まっている。ジコチュウの私は時間よ止まれ!と叫ぶ。
付録:桂の中は控えた?ので外

桂離宮の外の垣根(桂垣)(笹垣)です。中から竹の節を縦に割って折り、外に垂らす垣根です。折っているから緑が生き続ける。手間がかかります。ever green 人によっては、二人の笑顔から青春がみえるかもしれない。  


Posted by 新茶 at 09:22Comments(3)