2014年05月31日

浅田次郎と花




「月下の恋人」浅田次郎:著 光文社文庫 短編集
余韻というか、どうなるんだろうという気持ちを引きづりながらも、何かが胸にきざまれていく。浅田は常に人間の何かを描くために、アウトの人を登場させている。でも読者全ての人の中にも同じ断片が何時、目を覚ますか解からないのである。過去に捨てた筈の記憶を「フッ」とよびさました時に誰しも、あの時・・・となるわけである。レールなんぞ何処にも無いのである。我々は思い込みで生きているのだ。

何日か前に静岡新聞に載っていた「サラサウツギ」である。先日岡部の山沿いの集落(災害危険区域)の道をあるいていたら、廃屋の庭に怪しげにこのサララウツギがしだれ桜のように咲いていました。新聞に掲載されていたことは忘れていたけれど、見たことも無い花を摘んで来てしまいました。家に帰って気が付いて新聞を切り取りました。挿し木で着かないかなー?勝手に、見目麗しい青春を送った女性の現在を連想しました。花の香りは幽玄でもあります。  


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2014年05月26日

六道、新聞、落語そして、花








「石に匪ず」御算用日記 六道 慧:著をよんだ。前回読んだのはこのシリーズ最初の「青嵐吹く」だったのですが、この「石に匪ず」では13巻目になっていました。途中がわからなくても十分に楽しめました。ある武士の一途な思いを辿ることになるのですが、武士の建前故の表と裏が登場人物達に絡みついて、誰が味方で誰が敵なのか解からなくなってしまうお家騒動で、主人公たちは危機一髪の土壇場に遭遇してしまいます。そのお家騒動の発端が、ある武士の一途な思いなのです。この思いこそ「石に匪ず」なんです。表紙の画の意味も解ってきました。主人公の数之進はもう「千両知恵」と巷では呼ばれているのだ。この辺は間の物語を読まないといけませんね。
 
静岡新聞日曜版の「低反発 枕草子」
季節はどうでも良くて、サンタクロースなんだけどこの平田俊子さんは小さな頃から斜めのものを観ていたんですね。えーー!そこまで論理的なんだ。我々凡人は「ふーんそうか」で終わってしまう所で終わらないんだ。でも今の私はこういう頭の構造が気に入っています。この人は詩人・作家なんです。
 相聞歌の欄で「来年度絶対告るあの人に 家で100回練習してから」(中3・男子)
先生を相手に告りの練習なんて、大らかですね、先生が女子の代役です。こどもが大人になる青春て、生物の命がキラキラ弾けているんですね。正に、一度しかない大切な時期というのが絵のようです。私にも確かにあった筈なんだけどなー。
 新聞の書評に「インターメディアテク」「スエロは洞窟で暮らすことにした」が目に付きました。

土曜日に島田のポポロで演った落語を観に行って来ました。島田市出身の三遊亭遊喜さんの落語です。京王プラザで行った真打披露に伺わせて頂いた縁のある師匠です。登場人物が裏でなにを企んでいるかを解りやすく表現していたのですが、それに磨きを掛けたように、会話の間の取り方が絶妙になってきました。上手い。熱演でした。前座の雷門音助さんも良く通る声が気にいりました。そしてです、津軽三味線の稲崎晴也君もすごかった。中学二年。超絶技巧をこれでもか!って弾きまくっていました。末がたのしみです。そんで、このハレルヤ君の祖父が本多さんの知り合いだったのです。世間ッテノハワカラナイモノデス。

 今日、濃茶の稽古をしました。掛け花が家にあったのと同じだったけど名前は知らなかったのです。「木葉の随菜」コバノズイナ ていうんだって。名前を知ると何も気に留めていなかった花が何故か、愛おしくなります。因みに茶杓の銘は「くいな」にしました。そう、夏はきぬのうたにでてくるくいなです。色紙は「葉々清風」。今はほんとにいい季節です。 
  


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2014年05月21日

若竹七海そ、山口、そして心筋梗塞




「ポリス猫DCの事件簿」若竹七海:著 光文社文庫
 湘南のとある猫島でおきる、極めて日常に近い事件を、臨時交番の巡査が猫の助けを借りて解決?するお話の連作。ハラハラドキドキはどこにも出てこないけど、ニヤニヤしながら心地よい眠りに着けるのだ。こういうのもあっていい。ドタバタも日常にあふれて見慣れた光景に感じられるし、連作だから前のお話であれ?と思っていたものが作中のどこかの話で落ちる。愉快です。てもとにあればずっと読み続けてしまうかもしれません。日常にあるちょっとした異変も事件なのだ。
 
 私にとって山口晃の「親鸞」挿画の魅力はこの鉛筆なのです。未完か完成かどっちでもいいのだけれど、擦れを伴った線の筆使いが何を刺激するんでしょう。描いている時のての感触が伝わってきます。構図の創り方もカメラワークのように自在に操って、文を読んでいるのではなく劇を観ているかのようです。

 弟が土曜日に心筋梗塞で救急で入院して治療しました。携帯を携えていて連絡が早く出来たので、早期治療が出来たようです。カテーテルで血管を広げて、ステントで拡張を維持するそうです。2年前にも同じく、山で倒れたのですが、その時は薬で広げたようで再発の時期が来たようです。ちょっと昔だったら手の施しようが無かったでしょう。医学は日進月歩なんですね。コレステの高い遺伝子を持った私も十分気を付けないとね。家内は医者に進められて薬というかサプリを飲み続けています。私は今の所飲んでいません。
 昨日胃カメラを初めて飲み込みました。鼻からです(喉が一日中気持ちがわるかった)。胃炎がスコシ有る模様で、潰瘍は無かったけど「食べ過ぎに注意してください」と言われました。ピロリ菌の検査結果は後ほど、とのことでしたが、、井戸水を飲んだ世代は必ずと言っていいほど見つかるそうです。「今に較べたら不衛生極まりない幼少期でしたからしょうがないね」って一年先輩の先生がオッシャッテました。老化がジワジワ迫ってきました。逃げよう!  


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2014年05月19日

なにやら






「芸術新潮」4月号 宗達のすべて なのだ。バタバタ日々を過ごしていて、忘れていたので、図書館から借りてきました。あの「風神雷神図屏風」を微細に解説しています。宗達、光悦、抱一と辿っていくと、比較などおこがましいのですが、やっぱり宗達ですねん。荒れて歪んでも、へたうまでも味があるんですね。抱一までくると綺麗で、上手くてすっきりなんだけど風神雷神の滑稽さは見当たらない。だけどこの裏にあった「夏秋草図屏風」の抱一は私のお気に入りで、とんでもない芸術と云えるほどの作品です。たらしこみの手法をマスターしていたのは宗達だけ、だったのかもしれない。「伊勢物語」や「牛図」にいたってはあの「ぼよよーん」さに和むのだ。江戸時代も進むにしたがって、技術的上手く、綺麗になるけど(建築も同じ)失ってしまったものも多くあります。

静岡新聞 親鸞: 山口晃 この画家がすごいのは、場面を想像する読者にぴったり、いやそれ以上のシーンを提供してくれていることなんです。ユーモアまで加味してね。群衆の表情も読み取れるのもびっくりです。建築物を描くのにも矛盾を見せなかったりしますが、だからといってデフォルメを忘れている訳でもない。本当に良いです。芸術新潮にも載っていた松井冬子っぽい右下ですが、彼女ほど艶っぽくはありません。

 同じく新聞の「低反発枕草子」平田俊子 ゆりかごというなんのことは無いとおもっていたことばから、父との過去のことを語り、揺られる心と体の意味を綴っている。ぴったり同調して、感じ入りました。

 中山コーヒー店のマスターの車のパンダです。私の憧れの車でした。小さくてもなにやらが詰まっていて、体に即したスケールと揺られ方があります。現代の道具と比較すれば格段に劣った内燃機関のスペックですが、平面ガラスなどに象徴されたアナログの極致じゃないかなあ。宗達のボヨヨーン、山口晃のタッチ、ゆりかごの揺れだったりですが、昭和時代の揺れでしょうか、今の時代の目的とはなんだろう。なんて思ってしまいました。懐古趣味と言われても気にしない偽称詩人ですねん。


  


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2014年05月13日

宮部みゆき と 新聞




「天狗風」霊験お初捕物控 宮部みゆき:著 講談社文庫です。前回の「震える岩」の続編。
もののけの怪はドンドンと拡大して、いかにしてこれをやっつけるかが見ものです。登場人物も増えてやっかいですが、面白い人間達なので展開は極めて単純です。広げても纏まる所が素晴らしい。右京之介もお初といいところまでいってます。こういう初々しい恋ってのもジワーといいね。典型的なハッピーエンドもこちらの日常に何故か決まりがついて好きです。

静岡新聞の朝刊の記事です。ちょっと前の日のも入っています。
・国立競技場の改修案を伊東豊雄さんが発表:やっぱりなって思います。中沢新一さんは過去の営為と未来とのつながりを発言しているんじゃない かと思います。
・赤坂離宮と京都迎賓館の一般公開のお知らせ:往復はがきを買ってこよう。
・京都の有斐斎 弘道館:ネットで見たら、出てきました。杉本家と同じような家らしい。裏千家のようです。

  


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2014年05月09日

宮部みゆき と 低反発



「震える岩」霊験お初捕物控 宮部みゆき:著 新装版 を読んだ。宮部ワールド満載で、可笑しくもあり、恋の予感も有る楽しい読み物です。大体に於いて霊感のある人間が話に出てきて、事件を解決する方法であるが、これまた読んでみると楽しいのである。今回の宮部は忠臣蔵の話に行き着いて、過去の怨念因縁に端を発した物の怪の話であるから、霊感で対処は正しいのかもしれない。登場人物の一人の右京之介という若者(算学をめざす与力の息子)が極めてユニークな人間であり、この物語を面白くしているのである。宮部みゆきの描く人間は現在でも何処にでもいる普通の人間だけれども、めげないで笑顔で前にすすむ昭和人間のようで好感がもてます。ラジオ体操みたいだね。



静岡新聞5月4日の日曜版 平田俊子の低反発枕草子です
出だしが 思い出は思い出をつれてくる そしてあっちゃんの行動が綴られて、やはりあっちゃんにはかなわないと思ったのだった。 で終わります
上手いですねー。なんの滞りもなく楽しく情景が浮かんで、その時の心情が手に取るようにこちらに届きます。学級日誌に牧水を記したあっちゃんは今どうしているんだろう。牧水の歌といえば、白鳥はかなしからずや空の青うみのあをにも染まずただよう かな?浮かんでくるのは。この歌では担任のK先生には向いてないね。とにかく低反発は面白いぞえー。  


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2014年05月04日

万城目学



「とっぴんぱらりの風太郎」toppinnparari no pootaro 万城目学:著 文藝春秋 746頁(厚い!)でした。大阪、京都、伊賀が舞台で、忍者のお話。ねねさま、本阿弥光悦、秀頼も出てくるといえば、時は大阪夏の陣、冬の陣である。どんな風に忍者たちが活躍したのであろうか?なんてことを万城目は荒唐無稽を盾に面白おかしく、ドタバタと涙も交えながら話して聞かせます。常に走って、事件に遭遇する登場人物たちは、時代に翻弄されながらも自分らしく生きることを夢見てパワーフルに行動します。クライマックスではページをめくったのが記憶にないくらい文字を追い続けました。どんな社会でも何かを得ようとしたならば、なんらかの苦痛を伴なうことは当たり前なんだ。そして自分で決めたことは自分で納得するまでやらないといけない。そんな言葉が天のほうから、聞こえてきました。以前オカピーさんから母に頂いた美しく装されたひょうたんも、この本を読んで見方が変りました。
 しゅららぼんの映画は藤枝ではやらないのかな?





久々というか、上:一年たったのでまた剪定した松です。中は違う松ですが、剪定前ではこんなに芽がつくつくと生えています。芽を摘んで見場の悪い枝を切り落としました。この辺の感覚はボントロさんから教えてもらいましたが、大きく自己流寄りです。今回も大きい枝を一本斬りました。大丈夫かな?まだ剪定してない松はここ2,3日にやってしまおうと思っています。垣根もあるし。下:芝が枯葉と新芽が重なり合って芽が出にくくなっているので、刈込を鋏のみでやっています。スゲータイヘン!刈った柴を纏めるのに熊手で集めるのとか、ながい芝の枝を切ることとか、竜の髭(蛇の髭)が拡がり過ぎて、もう始末に負えなくなっている。庭を維持するのはホント大変です。父の遺産でもありますから、母が地べたに座り込んで芝を手入れしていたことも思い出して、コツコツとやります。  


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