2014年11月30日

佐藤雅彦



「毎月新聞」佐藤雅彦:著 中央公論新社 を読んだ。と云うより見たってな感じである。極めてヴィジュアルな紙面だからです。語られている言葉も内容も直に入ってきます。これをシンクロっていうんでしょうね。多分ですが、他人を洗脳する力があるのでしょう。ページの大部分に附箋が貼られたので、貼られていないタイトルが気になりました。がしかし、それがなんだということで、其の儘にします。ようするにこの手の本は新しいメディアというか、新しい思考の提示で、この時代どんな風に理解すればよいのか、の一面を教えてくれたりします。でもそれは昔も今も形になっていなかったものをある言語を用いて形にしてくれているのだと思います。どうでもいいような小さな事が社会に大いに役に立つことがあるんだということです。まあ人並み以上の努力も必要なんだけどね。佐藤さん生まれ育ったところは戸田だそうです。すぐに思い出すのは、「かわいいお客さん」「プログラムされている」「デジタルとは何か」「壊れた間合い」です。Eテレのピタゴラスイッチの作者ですよ。もう一冊の「経済学ってそういうことだったのか会議」は本当に少しづつ読みます。食べず嫌いです。  


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2014年11月26日

毒笑小説



「毒笑小説」東野圭吾:著 集英社文庫 を歪笑に続いて読みました。さすが、読ませます。この笑いについて、巻末で京極と対談で話していて、読んだ人に「やっぱり、そーなんだ。そういう意図がねー」と納得させています。物書きの人は自分の頭に描いたように読者に読ませるんですね。これはすごいことで、素人はドンドン書いているうちに意図は歪んでいって、最終的には描いたものとは妙にずれた結果になります。僕だけかなー。このブログでもずーと、そーなんです。この短編集は傑作なんですが、特に「つぐない」は引きずります。そして自分に振り返ってみて、寒気がしたり、後悔で涙も誘います。人って云うのは勝手な思い込みで自己を形にしているんだね。脳を解き放つと誰だか判らなくなっちゃうんだろうな。頭の中は、民主主義か全体主義か解かりません。  


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2014年11月21日

「利休の茶杓」



「利休の茶杓」山本兼一:著 文芸春秋が終わってしまいました。「千両花嫁」「ええもんひとつ」「赤絵そうめん」「火天の城」「利休にたずねよ」と読みましたが、時代小説というジャンルで山本兼一は独特の暖かさを持った作品を書いていたんだと思います。普通の人間の持つ普通の暖かさが、俗にいう悪人を描くときでも必ずその暖かさが付いています。捻りに捻った人間の精神状態は描いていません。もし居たとしても、この触れ合うほどの暖かさが捻りから解き解してしまったでしょう。もっとお茶のことを書いて欲しかったと思います。楽しかったので、ありがとう。



昨日は、わが西運寺の十夜法要でした。朝から設えの準備、午後は受け付けと塔婆の受け渡しで、夕刻には慰労会と一日中お寺に居ました。毎年のことでなんとなく段取りが読めてきました。この十夜法、要するに塔婆供養の行事です。一年に一度檀家が集まって和尚さんの講話を聴いたり、アトラクションの落語が有ったりと、結構有意義な行事です。今回の講話の講師は、愛知県額田郡幸田町にある三光院の鈴木健祐上人さんでした。尼入道と智者の話は面白かったですねー。考える哲学なのでしょうね。世の中はだんだんと宗教の概念が変わりつつあるようで寺の存続も不安な時代になりました。家に帰ってから、宗教そのものが必然か否かという大きな命題が突きつけられていると感じ、また息子のことも絡めて未来を展望したら、安穏と出来なくなりました。  


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2014年11月19日

「赤絵そうめん」



「赤絵そうめん」とびきり屋見立て帖 山本兼一:著 文春文庫
とってもいいお話です。がしかし、残念です。今年の二月に亡くなられたので、私が読むのは、そうめんの続編の「利休の茶杓」だけになって寂しい限りです。。京都三条の道具屋とびきり屋を営む若い夫婦が遭遇する江戸末期の出来事を暖かい視線で創り上げた物語です。前の二冊を読むともっと解かりやすいと思います。今回は茶の湯が満載で(というより茶の湯そのもの)、読むほどにへー、と感心することが多かった。家元の若宗匠は有り得ない人間ですが、面白い場面を創り出すのにはこれも良しとします。物語だもんね。表紙絵も作中の夫婦そのもので、暖かさが滲み出ています。作中には大事な言葉が幾つか出てきます。附箋を張ってまた、思い返せるようにしておきます。兎に角、大好きな本です。  


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2014年11月16日

「蜩の記」映画




TARAちゃんが「蜩の記」の映画がよかったよと言ってたので、観てきてしまいました。久々に上手く撮れていました。葉室麟の本その物が映画向きなのでしょうが、本との違いを感じさせない映画でしたし、配役も違和感がありませんでした。二度読み返した感じです。こんな律儀な武士が居ようと、居まいとこの姿勢は人間として大事なことです。

それで、PICSの低反発の話に入るわけです。映画館に入っても観客は4,5名でした。少ないのでガサゴソと音を点てられないのでジットしていましたが、感極まって涙も出るし鼻水も出てきます。一番先にこのおとを発したのが私で、迷惑というよりか、人間性の大っぴらな表現をこの静けさの中で発してしまう恥ずかしさも有りました「もういいや」でそのまま鼻をかんだのでした。ポテトチップスのポリポリは有りませんでした。



「町医 北村宗哲」佐藤雅美:著 角川文庫 さとうまさよしって読むんです。
とても面白くてもっと読みたくなりました。一度崩れたことのある、いや一度ではないらしい、町医者の市井のゴタゴタに係わる係わり方の物語ですが、崩れた時のことが役に立ちます。赤ひげ診療譚と似ているけど似ていない。短編その一つ一つが完結しているようでしていない。何処かに引きずりがあり、どこかで再発するのだ。佐藤雅美だから時代考証は素晴らしく完璧で、突っ込めない。いまテレビでやってる「ぼんくら」も時代考証がいい。江戸時代ってもっと匂っていたんだよね。私の幼少期の頃の様にです。


  


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2014年11月10日

歪笑小説



「歪笑小説」東野圭吾:著 集英社文庫
出版社と売れない作家の悲哀と更なる悲哀を面白おかしく且つ馬鹿らしく、そしてなんだろう?云うに言えないわさびみたいなものを加味した連作なのだ。でも私は好きです。こういう世界に未来や可能性など大きな野望、展望などと云う計画性などの欠片など無くて、とにかく文章を書いて、本を作るだけの行為に邁進していく無駄の蓄積だけかもしれない幻想も美学です。読む行為も同じです。世の中にある人間の営為ってほとんどこれだと思う。



「坂本一成/住宅」新建築社
学生時代から好きだった建築家の一人の坂本一成さんのブックレット的な住宅写真集です。水無瀬の町屋、F-houseなどは私にとって衝撃的な住宅でした。こういう本ってあったんですね。焼津の図書館から借りてきました。
  


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2014年11月05日

最期の嘘



「最期の嘘」五十嵐貴久:著 双葉文庫がすぐに終わってしまいました。ノンストップ。最初の設定からして、有り得ないんだけど、なぜか口調がリズミカルでシーンが勝手に進んでいきます。私がミーハーで、ステロタイプなミステリーを習得してしまったからに他ならないからですね。ハードボイルドはもうハードじゃない。なんだかんだ言っても面白いのだから「それでいいのだ」にしましょう。この時を謳歌すべきで、このタイプもそのうち化石になるでしょう。内容は親子ってなに?ってことで、我等の年代がぶち当たっている生物的、哲学的且つ倫理が勝手に論じられています。しかし自分に置き換えてみればもっと泥臭い感情が支配していてニッチモサッチモ行かなくなっていて手を拱いて成り行き任せなのが現実です。親子のコミュニケーションって難しいね。息子は遠い空の下から、言葉少なげです。  


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2014年11月04日

いざ!鎌倉

年一回の伝技塾の研修は鎌倉でした。鎌倉はバロックの萌芽だらけです。和様禅宗様が混在しながらもこの異形の美学を完成させて観る者に感嘆の念を抱かせます。これもあり?と云わせながらも確かに自分の日本人としての共感部分もある。という不思議な感覚を提示しています。

「円覚寺」



二重門の総門なんだけど、足元に壁は無い。いままでの地震に耐えて来たんですねスゴイ!。山付の編額があるから総門なんです。寺付の編額があれば三門。裳階(もこし)の屋根は直垂木、主屋は扇垂木で禅宗そのもの。

「浄智寺」


今回の鎌倉シリーズは門がテーマ?みたいです。浄智寺の三門ですが、建て替えられていて拍子抜けの感はありましたが、石段との取り合いやスケール感は綺麗です。ちょっとガリバー。

「建長寺」


建長寺に着いて総門です。真面目にディスカスシオンの浜氏(先生)と三津原氏です。こういうのをすり抜ける私目に御座りまする。



三門、これまた壁の無い下層。上層の唐門は扁額の為に造ったそうです。禅宗の詰組



仏殿の裏扉を開けてくれたので、早速シャッター。この仏殿は増上寺のお江の霊廟からの転用なんだって。だから当時はキンキラキンだった筈です。が今の時間を経た風化の景色も味があり、「ゆく河のながれ・・・」であります。漆塗りの下地が丸見えなのだ。



法堂(はっとう)です。たしかに見るべきものがある大きさです。圧倒されます。禅宗のある姿を形容していて、寄らば大樹の陰、であります。



唐門。なんだこれは!光っているバロックが恥ずかしい。力強く恥ずかしげもないのがバロック。建築という景色はある一面下を向いて笑えるのだ。



通りすがりのお姉様に撮ってもらった。不可思議な6名。



鎌倉プリンス 清家清の設計です。村野のプリンスってどんな?斜めに登るエレベータでフロントに着きました。清々しい朝焼け(年寄りになったから早起きなのだ)にトンビが舞っていて、西を向けば朝焼けの富士が見えました。北斎の絵みたいでした。全溶接の構造はすごいですねー!朝はトーストとヨーグルトと卵とソーセージとなんだっけか?忘れた。意味もなく、食べてしまうのに気付いてフォークを置きました。貧乏性の構図

「高徳院」


大仏の北後にある観月堂。韓国からの移築だそうで、らしさが際立っています。比較文化の研究には大いに役立ちます。

「光明寺」


総門。禅宗様ですが、浄土宗の寺です。総門にしては質素な振りでもデカい。



知恩院の縮小版でもデカい。詰組



和漢折衷だから、笹繰の和様の斗供。様式云々よりこれを造った人たちがスゴイし、兎に角美しいジャン。



本殿の向拝の見上げなんだけど、良く組み立てることが出来るね。間違えソー。

あと行ったのは、長谷寺、鶴岡八幡宮、覚園寺、本覚寺です。入りきらないというより、疲れた。が正しい。サブレを買いました。今日は4日だけど昨日まで足の疲れが残っていました。その間プールに行き、お茶の稽古もしたし、狂言の講座にも出かけたので、文化した感じです。以上














  


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