2012年12月30日

朱川の2



「わくらば日記」朱川湊人 著 角川文庫 を読んだ。この気忙しい暮れでも、誰に気がねをするでもなく読むのだ。このわくらば とは若葉と病葉の二つを意味しているらしい。変だね。快活な妹と病弱な姉の二人で わくらば なのだ(解説の受け売りというか、解説を読むまで題名の事など忘れていた)。厳格な母と個性的(魅力的な人ばかり)な登場人物達がこの二人を、浮き上らせて描き出す。姉は苦痛を伴うが過去を見ることが出来る力を持っている。故に事件の真相に絡んでゆくのだが、良いことばかりではない。いや悲しいことの方が多い。それらを知って成長してゆく二人である。場面の設定は昭和三十年代である。あの高度成長へのステップを踏み出して日本という世界が変わり始めた時代である。人のこころも変わり始めた時代だけど、正しい昭和人が生存していたことは確かです。今だって居るのも確かです。礼儀、行儀は大切なんです。読むと、このニュアンスはお分かり頂けると思う。作者の言わんとするところの、一つも間違ってなんかいないし、荒唐無稽や誇張でもないし、単なる懐古趣味だと切り捨てられない人間として大事なことが有ると思いました。本当にいい本です。前の「かたみ歌」と合わせて読んで欲しいと思いました。
 今朝、日曜美術館と小さな旅を見た。日美は安野光雅をやっていた再放送らしい。「絵本平家物語」はやっぱりいいね。小さな旅では古いテープをみながら加賀美アナウンサーが「変わらないのは豊かなことです。」って言っていた。これです。
 今日は自宅の餅つきです。のし餅を伸ばしています。手が真っ赤になりました。母が車椅子から眺めながらブツブツ呟いています。思い出しているようです。  


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2012年12月28日

この忙しいのに本


 
 「かたみ歌」朱川湊人 新潮文庫 を読んだ。幽霊の話である。幽霊と云っても、怖い怨霊の幽霊では無く、いい幽霊。今の生きている人に、あの世から何か大事な事を伝えに来てくれる幽霊である。設定はノスタルジックな古ぼけた商店街。連作であるが、全てが巡り巡って話が見えてくる。表紙を見ていると愉快で快活な話がありそうだが、無い。でも昭和の正しき日常と思いやりを思い起こさせて嬉しい。あの時代的ではあるがヒューマニズムの雰囲気は何処に行ってしまったんでしょう。古本屋の主人の語り「面白いものですね、世の中というものは。日々誰かが去り、日々誰かがやってくる。時代も変わり、流行る歌も変わる・・・けれど人が感じる幸せは、昔も今も同じようなものばかりですよ」 ・・・

 年賀状を書いた。出した。いつも遅かったので、ご注意を頂いていた。今年は大丈夫だと思う。今から正月のコーヒーとフィルターを買いに行ってくるのだ。ミスチルを聞きながらウキウキです。  


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2012年12月25日

ソロモンの偽証Ⅲ



読み終わった。中学生が学校の屋上から落ちて死んだ。その原因を自分達で知ろうと学校内裁判を行う。大人の社会では闇の中に葬られてしまって、解らないまま過ぎ去ってしまう心の事実を解き明かす。いろんな障害にも素直な心で立ち向かって、めげない青春のページを積み重ねていく。まさしく、今の子供達に伝えたい物語です。自分で考え、自分で行動して、自分なりの最善を尽くしてみること。間違っていたらごめんなさいと謝ること。そして修正しながらも最後までやり通すjこと。これは青春だけではなく、自分自身の現在にも言えることです。宮部が衰退したなどとの評が有ったけど、宮部が貫いている事にはブレが無いと思いました。
 右は今月号の芸術新潮の特集で「はじめて見る能」です。内田樹と安田登さんの曲目紹介はいつのまにか本筋を語っています。どのページの写真も唸らせるほど美しい。西洋の芸術は立体的にパースペクティヴに時間の積み重ねまで表現していますが、日本の芸能は二次元的な表現と過ぎ去る時間の無常の美学に基づいた抽象を加えていると僕は思っています。随分偉そうな事を書いてしまいました、ゴメン。見開きページに小癋見(コベシミ)の面が載っています。いいですねー。  


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2012年12月24日

新聞で



昨日の新聞のbook(今年の収穫)の欄で「ソロモンの偽証」の書評が載っていた。文芸評論家の杉江松恋氏が「ふくよかな青春小説」と評して書いていた。確かに云い得ていて嬉しい。もう少しでⅢ部も終わる。何かを成し遂げようとしている最中だ。
 他にも書評が盛沢山あってとても読んでいて楽しかった。伊東豊雄の「あの日からの建築」、村上隆の「想像力なき日本」に惹かれた。これ等の書評を読むとフーム、何かを考えている人がいて読んでもらいたくて書いてそれも読む人がいる、そして読んで何かを感じる。当たり前のことだけどその繋がりっていうのは、上手く云えないけど(しょうがない)大事な文化だと思う。
 右上の写真は大川小のクリスマスツリーでブルーとピンク、小さな光の白と黄色とが目に映った。キリスト教でも仏教でも日本神教でもなく神々しい光です。新聞の写真ていうのは白っ茶けるけど、伝え切れているなって思う。
 下は連載の小説の絵で線が艶めかしく美しい。鏡の前の人間の姿っていうのは誰しも何かその人の心の一部を丸裸にしてしまいますね。
 もとい。神々しい光と云えば今日の新聞の「川根から見える宇宙9」で光年のことが書いてあったけど、月までは1.3秒、木星まで35分かかるんだって。夜空の光りは時間が交錯していてビデオなんだね。僕の見ているものは全て過去。
 昨夜、平清盛が終わった。とても気に入って観ていた。感謝しています。暗いとか、視聴率低いとか言われていたけど、歴史のある側面を捉えていて引き込まれました。西行に光を当てていたのは納得です。

 年賀状の季節らしい。妻に催促されました。どうしよう?と手を拱いている次第です。  


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2012年12月22日

ソロモンⅡと新聞



「ソロモンの偽証第Ⅱ部」宮部みゆき を読み終わった。どんどん深みに嵌っていく涼子と和彦。和彦とは一体何者なんだ。この物語は宮部独特の詳細に場面や感情の起伏を描写することによりいろんな角度からの読み方を提起させる。もしかしたら単純に短編でも終わってしまうかもしれない物語を、詳細を描くことにより人の心の複雑だけど単純な愚かさなどを知らしめている。まだどんでん返しは訪れてこないけど、多分この学校内裁判にはとんでもないことが起こりそうで、気が抜けない。Ⅲ部が読みたい。



また土曜日の新聞でjunior journalです。桔梗先生も恋をしているのではないかと思わせる選です。

 毎日がつまらなかった学校も
 あなたに会えるだから楽しみ  (中2 女子)

そうなんだよね、どうでもいいことでも楽しければ振り払ってでも、走ってしまうんだね。苦しいこともイッパイあるかもしれないけど、わくわくする楽しいことも山のように有る筈だから、探して気に留めてみよう。私の中学時代はまるっきり病院だったので羨ましいのだ。
 右のカット絵は連載の小説の絵ですが、簡略化されながらも構図や描き方に見惚れてしまいます。何が惹きつけるんだろう。自分自身の一番解らない所です。以前読んだ岸田秀の「精神ものぐさ分析」は非常に面白くて、靄が晴れた気がしたけど、この絵に対する惹きつけられ方は解らない。音楽も同じだ。


  


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2012年12月16日

「傾く滝」、新聞、ボントロさん



「傾く滝」杉本苑子 著 講談社文庫 を読み終えた。
前回書いたように江戸歌舞伎の芸人とそれを取り巻く人達の波乱万丈の物語です。とても緻密に組み立てられた話で、読者も読み落としなど許されないほど事件は展開してゆきます。現代の歌舞伎界に照らし合わせて、江戸時代の歌舞伎界を知るのには絶好の本です。主人公は彦根藩での不倫による殺傷事件により敵役になった浪人、宮永直樹と同性愛の相手の市川団十郎なんだけど、脇役の描き方が素晴らしいので、もしかしたら、貧困だけど役者を目指した駒三かもしれない。破天荒で自由奔放な芸人が、芸に突き進む故に破滅の道を進んでしまう親と異母兄弟そして本妻、妾達の愛憎が切ないのだけれど、前回の芸人、三亀松も同じで、芸のために人生を全てうちこんでしまう辺りには、感動さえ沸きます。最後の辺りで あー と声が出てしまいます。



例によって日曜版の晶子百花繚乱と書評:等伯です。
与謝野晶子も自由です。自分自身を曝け出します。お嬢様育ちが市井の日常にしがみついて日常を謳っても雅な文体から離れず、堂々と自分自身を開示します。これは情熱と知性に自信を持っていたからだろうと思います。強いね怖いくらい。
 日経新聞に連載されていた「等伯」が本になった。あの魅惑的な挿画は?って気になりました。切り抜きを大事に持っています。人の表情に引き込まれる画です。とにかく「松林図」に至る等伯の人生は策略と陰謀に掻きまわされて苦悩の上に出来上がった画だと思うと、見方も変わってきました。しかしながら、確かにもう一方でマイルスのミュートを付けた音が聞こえてきそうという評にも頷けます。すごい画です。軽い言い方ですがモダニズムです。



先週に引き続き稽古があったので、ボントロさんのベッドにお邪魔してきました。紅葉が見たいと言うので、先生と一緒にベッドから車椅子に二人がかりで載せました。なにせ老人と違って重いの何の。介護人は不自然な姿勢を強いられながら病人の世話をしていると思うと頭が下がります。内の母は軽くなってしまったけど、家内は悩んでいます。ボントロさんは紅葉を見ながら あーきのゆうひーに を口ずさんで季節の移り変わりを感じていたようです。倒れてから一年になります。いつの日か一緒に何処かへ行きたいなって思いました。

次はソロモンのⅡなのだ。  


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2012年12月13日

Eテレ

 今朝、久々に「にほんごであそぼ」を見た。やまとうたをやっていた。古今和歌集の紀貫之の仮名序で、
やまとうたは
ひとの心をたねとして
よろずのことのはとぞ なりける・・・・
すごいですねーとしか言いようがありません。小さいうちからは理解出来なくても、口ずさんでいるうちに会得するでしょう。こんな大昔にこんな美しい言葉でもって文字を綴っていただなんて日本人って大したものです。出演は萬斎、山陽、小錦、うなりやべべん、団十郎と鳴り物、と子供達で、繰り返して謳っていた。私も一緒になって口を合わせていた。少し感動を覚えた。前から時々見ていたけど(時間が朝のドタバタした最中なので)今日は特に良かった。文化ってこういうことだと思った次第です。時間があったら見てください。
 今、杉本苑子の「傾く滝」を読んでいる。半分だ。多分傾くはカブクで、江戸の歌舞伎界の話です。芸人の芸に対する情熱と、芸人故の人間模様に奥底の心理描写を絡ませて主人公の宿命を綴っています。終わったら簡単な感想を書きます。
 一昨日に島田の萬露亭が解体するというので建築士会の面々で見学、調査をしてきました。野帳を描いていたので写真は無い(K2さんのブログと私の以前のブログ参照)のですが、ディテールを見ていると棟梁の意気込みや苦悩が随所に見れました。日本建築って味があるね。やはり、ディテールには神が宿っている を実感しました。

  


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2012年12月09日

三亀松


「浮かれ三亀松」吉川 潮著 新潮文庫 を読み終わった。
昭和25年生まれの私には馴染みの無い都々逸という芸能で壮絶、破天荒な人生を全うした芸人のお話でした。芸人と庶民は違うということをまざまざと見せてくれています。全てが粋でなければならないという信念を貫き通した三亀松でした。とんでもない逸話が多すぎて、兎に角びっくりです。それにもまして、演じる芸が抜きんでていたという話しです。しかしながら、私が感じたのは、時代です。その時代々で芸能はかたちを変えてしまったという事です。現代では都々逸や新内を街で聞くことなど皆無です。多分そうでしょう。情報のステロタイプ化で直に舞台芸能を見る事など稀になってしまいました。知っているとしてもテレビで見た程度で、直に接したことなどない筈です。もしかしたら架空の人間を観ているのかもしれないね。本来のアナログ的芸能というものは今では確かに無くなってしまったといえます。寂しいことだけれども確かです。解説のなぎら健壱さんが語っていることが的を得ています。能、狂言、文楽、歌舞伎、長唄、常盤津、小唄、端唄、清元、都々逸、新内、木遣り、落語、太神楽、田楽、漫才、とまだ知らないものがあって、重複しているのも有るのかもしれない。要するに知らないんです。だから少しでも機会があれば観に行こうと思う。消えてなくなりそうだから。表紙の画は小村雪岱を髣髴させる蓬田やすひろです。いいですねー。  


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2012年12月08日

リップクリーム


今日の静岡新聞junior journalです。
今読んでいるのは都々逸の三亀松の人生を描いたものです。もう時期に終わります。すごいんだぞ三亀松は。でも今日はこの新聞のコラムから。

 コンビニで見つけた君の
 リップクリーム
 つけたら君と同じ唇  (中3・女子)

まず最初に自分勝手な自分の秘めやかな回想からニカって笑みを漏らしてしまうかもしれませんが、しかし作者は女子なんだよね。面白いですね。多分男子だと思ってしまうところ。つまらないところでもいいから繋がれるんじゃないかと思いこむ愚かだけれど、誰にでもある苦い思い。かわいいですね。そしてこの欄の作者の桔梗先生は最後にこんな風にまとめています。
 性的にも清張する思春期です。「リップクリーム、つける、同じ唇」ときたら頭の中がキスでいっぱいになるのも、健康な証しかもしれませんね。 
そうなんです。先生がこんな風に生徒たちをまた自分を素直に肯定して観ているところは、嬉しい限りです。いい先生ですね。

頂きものが幾つかあって、これまた嬉しい限りです。素直に喜んで、人とのつながりが、自分の鏡なんだと、人が自分を観てくれている事に有り難く感謝しています。こういうことは私の年代なら既に会得していて当たり前の事なんでしょうね。全てが奥手でご勘弁の程を。  


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2012年12月04日

林檎と蛇


「林檎と蛇のゲーム」森川楓子:著 宝島文庫
 青少年向け?では無く充分に大人向けで、愉快なミステリーです。ドタバタで有り得ない状況を設定していますが、それなりに納得できます。最初は事件が単純な経過をたどっていって解決するんだと思っていましたが、過去の話が出てきたトタンに面白さが増していきます。でもこの過去の物語が無くてはこのミステリーは全く意味をなさない。主人公が事件の解決後に語った言葉に、「・・・。そうじゃない、私はパパとママが作ってきた歴史を引き継いで生きてるんだなってことがわかってーーー良かった」がある。皆そうなんですね。みんな引き継いでるんですね。これからもズーット。その時代その時代で、自分の人生で主人公を演じてきた筈なんですね。遠大な歴史の積み重ねの上に自分が生きているってこと。その日暮らしをしてると忘れちゃうもんな。

 静岡新聞に感想文コンクールっていうのが載っていたのを読んでびっくりしました。こんなに若い人がこんなに上手に理路整然と自分の意見を書けることにです。それに真面目です。ですから、日常の中の若い人の感情を含んだ感想も聞きたくなりました。社会矛盾に対する自分なりの正当な表現も大事ですが、もう少し汗や涙のにおいのする叫びに近いものも聞きたかったのです。新聞では、そんなのは無理か?

  


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