2017年12月18日

また暮れの松


 
玄関脇の松:半年ほったらかしておくと、こんなになってしまう。随分手のかかる木です。父の遺産ですから無碍にも出来ず、乱暴に扱いながらもそだてています。書道の合間に松の枝を眺めては、葉を毟っていたのを覚えています。手入れをしたかのような姿にしたつもりです。素人ってこんなものです。



これが手入れの跡。切り過ぎといわれます。ボントロさんに教えてもらった(教えたとは思っていなかったかも)通りにやったつもりです。



もう一本の松:これもモサモサになっていて下は枯山水風の玉石が敷き詰めてある。兎に角脚立の足場が無いので姿勢に苦労する松です。これでも小さくしたんだが。



またしても切り過ぎです。エイヤーがプロでない証。サムカロネー



切葉と小枝が一本の松からこれくらい出てきます。燃えるごみの日ではなく、剪定樹木の日に出します。木の下にビニールシートを敷いて作業をしないと、拾い集めるのに苦労します。ハサミもきれないと危ないし、今回も左の中指を切りました。研がないとダメだね。

  


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2017年12月18日

さよなら妖精



「さよなら妖精」米澤穂信:著 創元推理文庫
米澤に関して読む順番などは気にしていない。だからいちごタルトもいつの日にか読むんだろう。今回の太刀洗と守屋も前回と同じく奥歯にものの挟まった会話で、展開していく。が、しかし、なのである。そうです。人は思いのほか饒舌にならざるを得ない時もあるのです。心とは言葉なんです。いろはにが抽象であるにもかかわらず、気持ちを具体的に表現できる音なのです。それで今回は人が他人と一緒に生きる国や共同体とはいったい何なのだろうという問題を提示しています。何故、社会の既成の枠の中で生きて行かねばならないのか?不思議な地球の中に自由に生きる術はとても小さいということです。一人では生きられないけれど、社会で生きるのもそんなに簡単ではありません。マーヤのボスニア・ヘルツェゴビナの紛争が、私にとっては自治会の行動とダブって見えてきました。  


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2017年12月13日

鯨さん



「神田川」見立て殺人 鯨統一郎:著
以前も読んで面白かった鯨さんです。ミステリーで安心て変だけど震えて読み進めなくなるよりはいい。温かい布団のなかでじっくり読めるのも幸せです。手袋もして。だいたい推理は出来るのですが、状況が奇天烈で笑えるのも楽しいですね。シリアスの合間というか、落ち着きのない現実のなかで、たまにはゆったり味わう時間もほしいものです。
 タラちゃんに池谷裕二さんの「単純な脳、複雑な私」てな本を薦められました。これまた面白い。どこに概念?全てが概念?わたしなんぞすべてが錯覚の人生どすえー。読み終わったらここで。  


Posted by 新茶 at 08:41Comments(0)

2017年12月07日

さよなら妖精



「さよなら妖精」米澤穂信:著 創元推理文庫
米澤に関して読む順番などは気にしていない。だからいちごタルトもいつの日にか読むんだろう。今回の太刀洗と守屋も前回と同じく奥歯にものの挟まった会話で、展開していく。が、しかし、なのである。そうです。人は思いのほか饒舌にならざるを得ない時もあるのです。心とは言葉なんです。いろはにが抽象であるにもかかわらず、気持ちを具体的に表現できる音なのです。それで今回は人が他人と一緒に生きる国や共同体とはいったい何なのだろうという問題を提示しています。何故、社会の既成の枠の中で生きて行かねばならないのか?不思議な地球の中に自由に生きる術はとても小さいということです。一人では生きられないけれど、社会で生きるのもそんなに簡単ではありません。マーヤのボスニア・ヘルツェゴビナの紛争が、私にとっては自治会の行動とダブって見えてきました。  


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