2013年11月01日

縮尻と茶椀

縮尻と茶椀

「捨てる神より拾う鬼」佐藤雅美:著 文春文庫 仕事や趣味に目が廻っていますが、相も変わらず佐藤雅美を読みましたが、読めば読むほど味が出てきます。あー、そういう人もいるよな、そうゆうことも有るよな、そういう気持ちもあるよなっとじわーっと思いだします。人の思いが絡み合って二進も三進も行かなくなった時にも鏡三郎は特有の行動でいつの間にか、有るべき結果にします。大立ち回りでは無く、成るべくしてなる方向なのだ。江戸時代ってのは間違いを起こすと死罪、遠島の罰が途方もなく多く下されましたから。そんなに大きな事件など頻繁には起こらなかったようですね。貧しくても平穏な生活を強制させられていたってことです。でも人間てのも感情の動物ですから争いやイザコザが起きるわけで、その解決には鏡三郎の様な思いやりが悲観でなく希望へと導く方法なんでしょう。今も同じだね。表紙は前と同じく村上豊です。中身と良く合っています。

芸術新潮の今月号で、茶碗のことが載っていたので直、レジでした。テーマは「利休と名碗」。監修は武者小路千家家元跡継の千 宗屋です。対談相手は林家晴三氏で、利休から現代までの深い茶碗の話で、我々の眼には美術館でしかふれることの出来ない茶碗の特性をたっぷり読めました。写真も秀逸です。現代物は自由故に衒いが見えてしまって恥ずかしくも感じます。



Posted by 新茶 at 19:11│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
縮尻と茶椀
    コメント(0)