2013年05月31日

「一応の推定」



「一応の推定」広川 純:著 文春文庫
傷害保険のミステリーなのだ。事故に遭遇して保険が下りるか下りないのか、っていうのを題材にしている。例えば自殺は?てなときは傷害保険は下りません。しかしその死が自殺なのか、否かは調査しないと判明しません。その調査員が執拗に調査するのがこの物語です。人にはいろいろな表面に現れていない事象が山のように積み重なって人生を歩んでいます。どの人も他人が勝手にイメージするものだけで生きてはいません。その山の様に積み重なった行動を調査し、判断を下すのは豊富な人生経験や、人の心の闇をも知り尽くした調査員でないと不可能です。でも行動の何処かにヒントが有る筈だという事。主人公の調査員の地味だけど、冷静な判断力が結果を引き出します。地味で冷静だから感情の起伏など無いのかというと、いや、人一倍情に脆いところが定石だけど、いいです。オススメ本。第13回松本清張受賞作です。  


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2013年05月30日

「大相撲殺人事件」と花



「大相撲殺人事件」小森健:著 文春文庫
帯に奥泉光が絶賛と記されていたので、多分すごいんじゃないかと期待して読んだ。抱腹絶倒は違いないし、ジャンルも新しい。荒唐無稽もいけてるけど、辻褄合わせがどこか物足りない。漫画を読んでいる感じである。なにかジワーと来るものが欲しい。もっと続編を読んだ暁には、マーク(アメリカの青年)の日本に対する理解などが神妙に表現されてくるのだろうと期待する。このままではないだろう。ノンストップだよーん。

おそまきながら、梅花空木が咲いた。今頃咲くんだね。そういえば去年も同じような事を感じていた気がする。変な形の木になってしまったけど、鋏みを入れるのが怖いのだ。でも家内はどんどん切ってあちらこちらに飾っている。たしか、この庭にはモグラが居た筈である。もう消えたかな?モグラが居ると根が乾いて枯れてしまうのだ。空木は茶花にはぴったりです。お茶の稽古が再会する。頭の中では、お茶のことが、まっさらになってしまったので、復習をしなければと、脳の引き出しをひっくりかえしても出てこない。殻っぽだね、と思いつつ日が過ぎてゆく。

昨日親戚のおじさんの葬儀に行った。神徒だったので、玉串(思い出がある)を上げた。神式の葬儀も朝鮮半島からの日本っていう感じがする。仏式は中国の漢だと感じた。でも日本人は自分なりに上手にアレンジして自分のものにしているね。ロマネスクとバロックが頭をよぎる。  


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2013年05月23日

狂言


「茂山狂言かるた」茂山千作:監修 檜書店

茂山千作さんが亡くなった。93歳だったそうです。擦れながらも大きな力のある声での芸は一日にしては成り得ない修行の賜物でした。写真は何回か、焼津と清水で公演を観た時に買ってきたもので、セリフがカルタになっています。読み上げると、舞台が思い出されます。茂山家の狂言はお豆腐狂言と言います。このお豆腐狂言は馴染みやすく気軽に狂言を楽しんで貰いたいということで、茂山家の狂言をこの様に呼ぶことになったそうです。能の合間に遣る狂言もいいのですが、狂言のみで舞台を仕切るのは気が入っていて面白いものが有ります。「日本語であそぼ」の万作さんも素晴らしい役者ですが、この茂山家の狂言も素晴らしい舞台を創ります。抽象と形式美の中に機知に富んだ遊びを誰でも理解できるように演じます。この相矛盾する要素を芸能にしてしまう文化って驚きです。体を使ったファシリテーションです。千作さんのご冥福を祈ります。観る機会が少ないのは残念です。

写真が暗かったので入れ替えました。  


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2013年05月20日

荻原 浩



「さよなら そして こんにちは」荻原浩:著 光文社

短編集で、荻原浩の長編のベースともとれる短編集。現代の風潮を揶揄して、ウーンそうだよねっと思うのは私だけ?じゃないと思う。風潮や空気の色合いは誰が決めたものでは無いけれど。それを信じてしまう愚かさにペーソスを交えながら喝を入れている。この空気こそが現代の病の一つなのだ。まき散らしているのはテレビ。あーおそろしや、おそろしや。長編を読んでみると、短編の物足りなさが見えてくるのだけれど、短編集はパレットみたいに作家の引き出しを楽しむことが出来る。表紙のデザインは鈴木一成でとってもいい!
 昨日、母が肺炎で再入院。急激に体温の上昇があり、救急車で病院に搬送。免疫機能は最下層まで落ちているから、抗生剤の注入のみが命の糧。これでもか!って程に小さく衰弱した母でも生きている。
 短編集の冒頭が葬儀社の話。色んな人が色んな思いで、葬儀に立ち会っていることが見えた。しみじみ納得した物語であった。この短編集の中には「愛しの座敷わらし」のベースなのもあるよ。

  


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2013年05月17日

橋本治と内田樹



私の中では今をときめく両者の対談。二人の話しが面白いし、ニュアンスをじっくり味わいたかったので、繰り返し読んでしまったので、時間がかかってしまいました。テーマが変幻自在に移っていくのだが、どれもこれも橋本の面白さが表れていてニタニタの連続だった。この橋本の面白さというのをこの私がここで書けたら良いのだけれど、無理というか、深すぎて教養の無さで言葉がでてこない。対話やブログの章で納得したのは、縁側と垣根の話。コミュニケーションのアナログ的序列と現代のそのアナログ的縁側を持たない一元的コミュニケーションの比較にウンウンと頷いた次第でした。で、内田樹のブログは一日に7000ものヒットがあるそうです。でもね、コメントは無い日が多いんだってさ。そのうえで、書かれていたことで気になったのは、書評はあらすじを書けないと書評にはならないということで、更にあらすじというものだけで読みたいと思わせるだけの技術が必要なんだということ。この次元に話には唖然とするだけで、尊敬して、そこまで読み込み且つ、整理できて、偉いね!と思う。感想文さえ稚拙の域だと実感している私には、遠い星の出来事です。橋本治の著書「窯変源氏物語」や「双調平家物語」をいつか読んでみたいと思いました。「え!読んでないの」って言われそう。知っていると思うけど橋本治って人は東大駒場祭の「止めてくれるなおっかさん」のポスターの絵の作者だった人で、絵も描くし、古典芸能の戯曲の作家でもあるんです。お叱りを受けそうですがガラパゴス的パンキーなマルチプレイヤーなのだ。こんな人は今の時代もう出てこないんでしょうね。  


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2013年05月13日

月曜日



「これで古典がよくわかる」橋本治:著 ちくま文庫

 
 目からウロコっていうのが実感の何冊目かの橋本治でした。前に書いた「ひらがな日本美術史」も本当に有益な本でしたが。まさしくウロコ状態でした。と言いながらも再読です。橋本治の語り口は私の様なフォーマルから逸脱した頭の持ち主にも、すり寄ってきてくれる思いやりがひしひしと感じられるからです。何かが切っ掛けで、判らなかった、遠ざけていたものが、へーー!とすんなり判ったように思ってしまいます。多分完璧に理解したとは思えないけど、興味を持って、これって面白いのかもっていう好奇心を獲得する切っ掛けにはなること、請け合い。大体古典なんて教養だと思ったら、インフォーマルな私などはケッて思ってしまうでしょうから。そこんところをボントロさんは橋本治無くしても、難なくスルリと入っちゃったってところが普通じゃないよね。足元におよび着けるかも。今回の読みで面白かったのは、実朝の歌が雄大というより、どうにもならない悲しみや切なさの裏返しをも表現し、現代にも通じる切迫感故に万葉の歌っぽいのかもしれません。他の章もヘーー!の連続だから、読ムベシ。でも多分、学者や、ある権威者はそんなことしらないのって切り捨ててしまうでしょうが、入り口はこの程度でいいのだ。



今朝の静岡新聞の文化・芸術欄 宋画

 李迪のこの絵は見てみたいと思いました。紅白だけど、酔芙蓉の時間を表現しているってナカナカいいですね。っと思わせたこの欄の構成に惹かれています。品格があります。字体と白黒の小さな写真だけで、この欄を埋めているだけなんですがタイトルバーの洒脱さといい、美しいです。二つの写真の細い隙間が品格の一部なのかも。勿論記事の内容も興味深々です。橋本治とは違った手法なんでしょうが、惹きつけられました。でもこの絵の展示は未定らしい。

 日曜美術館を観ていたらラファエロ展(西洋美術館)が気になった。行けるかなあ?多分混雑の極みでしょうね。ラファエロはダ・ヴィンチとミケランジェロから学び自分の行くべき道を探し出したって番組が語っていた。エライ!  


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2013年05月11日

ヒトリシズカ



「ヒトリシズカ」誉田哲也:著 双葉文庫 

一気読みをしてしまいました。眠い。帯がまた、これでもかっていうほど吊の様相だけど、当たっている。警察官も人間らしく登場させて生き生きと動いている。前回と同じくブットンダ女を登場させて、面白さと、心にズシンとくるものを描いている。話の展開がクレッシェンドしていくので、先が読めても止められなくってしまいます。幼女の時から自分の生き方を決めてしまった人生。「私は私のやりかたで、暴力をコントロールする。」という言葉にこの女の生き方、まさに、どんな社会であろうとも自分で生き抜く姿勢、女性故に持ちえる強さを語っている。大体に於いて、小説に登場する人物って、この一途な生き方をした人物を描いているんだよね。私の回りを見てみれば皆そのような生き方をしているようにも見えてくる。
 次は橋本治を再読してみようと思う。
   


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2013年05月10日

誉田哲也



「疾風ガール」誉田哲也:著 光文社文庫を読んだ。帯に釣られてだ。何てたってロックで、ギターの話だからだ。話はミスチル風にいえば、オブラートに包んで飲み込んだ悔しさを青春のとあるページに記している。僕はこういうのに弱い。天才的ギタリストの少女(夏美)が登り詰めようと必死に、疾風のごとく行動する姿は読んでいて気持ちが良いし、自分もこの娘の持つグルーブ感とやらに載って叫んでいる気になるのだ。年齢を忘れてね。げんそう!幻想なのだ。ギブソンのジュニアでリードをやる面白さにも恐れ入りました。もうひとりの主人公の祐司は好感度が高く、その辺でも見受けられそうな人物だけど、こんないい人、現実には居ないよな。続編があるようだ。そうです、この作家は「ストロベリーナイト」の作者です。ぶっとんだ女性を描くのが得意なんだね。今「ヒトリシズカ」を読んでいる。フフフ面白いのだ。

アー、体が鈍っている。淀んだ血をプールに行って巡らせたい感じ。  


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2013年05月07日

三浦しおん と 庭



三浦しおんの「私が語りはじめた彼は」新潮社を読んだ。美しい表紙だ。日本の景色じゃないね。教会の尖塔が見えて、麦畑だ。三浦しおんにこういう面も有るのを知ったけど、読み進めるうちにサスペンスの匂いが面白くて、あっという間に読み終えた。月並みだけど、「予言」が好きです。多分読者は同じ様に感じていたかもしれない。もっと弄って欲しかった。しおんさんは間口が広い。冷たくて諦念観も読めますが、何処かに面白さの引き出しが見えます。面白さっていうのも人生の救いの大きな一つだ。



二本目の松の剪定を終えた。梅と唐楓も枝を払った。やぶ椿もね。松は今迄通りのやり方になってしまうので多分また同じになってしまうでしょう。ガマンです。手入れし易いように出来た植木は多分美しくは無いのでしょう。我が家の松は小ぶりだけれど手を入れ難いのです。なので私の体は至る所に擦り傷や痒みが点在しています。詰まらないことからプロの凄さを実感しています。


 
片付けが面倒で、道具も必要ですが、やり終えるとホッとします。今朝がそのごみの日(庭木の日)なので持っていきました。束の枝に入れるか、小枝や葉の袋に入れるかに迷います。自然なものはそんな簡単に分類できる訳がないからです。自分で的確な判断をしたつもりです。持って行ってくれるだけでも有り難いね。半年掛けても同じ写真になってしまうのが面白いね。今度はもっと低くしてみようかな。この囲いの中に白の秀明菊が根を付けました。アトリエ独楽さんから頂いてきました。双葉葵も枯れて、梅花空木は花を付けませんでした。花は環境に敏感です。

何処にも出かけられない連休を仕事と読書と庭で満喫して、おまけのプールも行ったから充実です。母は明日から自宅看護という我が家では前代未聞の環境に入ります。神経過敏の女房は準備に奔走しています。私だけでも落ち着かないとね。でも女房には感謝しています。

  


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2013年05月05日

樅の木は残った



図書館の「樅ノ木は・・・」を終えた。何のことは無い表紙。読み終えた後に何も語れなくなり、ジーンと途方に暮れた頭の中を描いた表紙でした。 若かりし日に読んだ幾つもの疑問は未だに解けませんが、良しとします。それが山本周五郎の原田甲斐に対しての読みを素直に受け入れる事だと思うからです。伊達騒動の藩賊という汚名を「いや、違う!」と周五郎が若くして読み取ったことが、驚愕であり、歴史に現れない幾多の人々の内情をここまで描いた物語はまた驚愕です。再読にも値する小説なのだと今更ながら振り返った次第です。さて次は?  


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