2015年11月29日

六道と夢枕



「まことの花」六道慧、光文社文庫を読む。例の御算用日記のシリーズです。江戸詰の各藩を秘かに内偵する仕事で、今回は宇和島藩の分家の吉田藩の潜り込む。本家分家の確執に翻弄される藩主と姫君。この藩主がまた、「一路」の藩主と同じくうつけもの。うつけものとは名ばかりの賢者。こうであってほしいものなのだ、という読者に溜飲を下げさせる魂胆。判っていても読んでしまうこんなハッピーエンドがきもちいい。

陰陽師シリーズの太極の巻。この晴明には面白い歴史上の人物が表れて嬉しくなってしまいます。今回は、虫好きの露子姫です。橘露子でござりまするベンベン。コガネムシ262匹が舞う広沢の遍照寺。ミステリーの解読は法華経でした、ジャンジャン。とても愉快。棗坊主は夢枕のある一面をしみじみと読みました。こういうのもたまにはいいですね。各編の冒頭は晴明の屋敷の簀子(縁側)の情景からはいっていきます。そして博雅が何かを呟きます。この情景が読者を掴んでいるんでしょう。黄門様のシリーズも同じです。相撲の仕切りもおなじ。定食が日常を積み重ねる安心なんです。で、まだまだこの陰陽師は続くんですよ。どうしよう~。

昨日、家内と「グラス・ホッパー」の映画を観てきました。帰りにうどんやでぶっかけを食べてきました。うどんは讃岐とはいえ、こしの感じが讃岐のイメージとはちょっと違うんです。でもこのこしも悪くないです。新大久保の明治通りの交差点に在った小さなうどんやは、それはもうりっぱなうどんの出来栄えでした。あーなつかしいなー、食べたいなー。どうでもよくて。「グラスホッパー」は伊坂幸太郎の原作で渋谷の殺し屋たちを描いたノワールなんですが、そのドタバタがいつの間にか面白くなって「もっと。走れ!」と叫びたくなります。裏社会のまたその裏があることが希望の伊坂なんでしょうね。何故観に行ったか?それは、虫博士の丸山宗利先生の叔父の版画家:青木鐵夫先生の絵が映画の中に登場するといことをこれまた版画家の奥さんの青木晴美先生から教えていたので「さっそく、観に行きましょう!」と相成りました。グラス・ホッパーはバッタですね。バッタは群れると凶暴になる。  


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2015年11月24日

秋のつづき



「ピリスのノクターン、グルダの23番Pcon」グラムフォンです。何故か念願のピリスのショパンを買いました。構わなくなったんです。仔細なことをアーダコーダと云うのがね。人の意見より自分の耳や気持ちが良ければ良いんです。そんなにイッパイ聞いている訳でもないんですから。ピリスは森の情景のCDが好きだったので、そのイメージ(モダーンを加味し、寂しさを拭い去ったような音がいいんです。伊久美さんは生まれてからずーっとモダニズムを背負って生きています)をショパンに求めていました。聴きようによってはそう聞こえなくもないんです。なにせ言葉でなく音なんですから、勝手に主観にまかせてイメージを作っています。20番は臭いけど其れに添うのもまたいい。
 これはたまに聞くグルダとアーノンクール。音楽を楽しく聞かせる二人。意外や驚きや弾む心を聞く側に伝える音楽家です。芸術は形式を超えたところにあるんです。ある情熱を意味します。なんちゃっての書かない詩人です。
 満観峰もステキな秋でした。トレイルラニングのおねーさんにつられて、走って下山してしまいました。今日は足全部が痛いのだ。登ったのは土曜日なのに。随分おくれてる神経です。
   


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2015年11月18日

北村宗哲



「やる気のない刺客」佐藤雅美:著 角川書店でした。表紙の装丁が良いですね、白地のイラストが素晴らしい。話しは落ちこぼれの医者(やくざくずれ)が市井の細かな禍に係わり合いながら、江戸の裏の人間達にも眼を光らせて事件に挑んでゆく。連作で短編の事件が長編の事件へと連なっていく。ここまで江戸を解説するか?っていう程事細かに説明してくれるのが佐藤雅美の親切です。慣れればきもちのいいものです。江戸の制度や常識が今とはとんでもなく違う事を認識しないと、事件の深みを読み取れなくなってしまいます。衛生の観念もスゴイ違うもんなー。

  


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2015年11月14日

ついでに「中山道」



浅田次郎と歩く「中山道」浅田次郎:著 中公文庫 をついでに読んでしまいました。買っちゃうよな。納得したのは宿場の衰退でして、正にグローバルの襲来、時代の推移に翻弄される日本でした。今と同じです。それにしても参勤交代の便所の砂はえー!ですね。持って歩いた人はえらい!持って帰ったんだよ。ナニヲカイワンヤである。そんな過酷な時代を生き抜いた祖先の末裔がこの私だと思うと、なんと脆弱に成り果てたと思わざるを得ないです。母の3回忌を終えたけれど、がんばって生き抜いたのは母の時代まででしょう。  


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2015年11月12日

「一路」と「きらめく甲虫」



「一路」浅田次郎:著 中公文庫を読んだ。息子から一路を入れたkindleを貰ったのだけれど読み難いので、amazonで買った。一頁毎に紙を捲るのも、過ぎた頁の厚みを見るのもまた、いいんです。古い人間なのでしょうね。表紙は人間達の表情で一瞬にして山口晃だとわかりますね。中身もユーモラスな内容で楽しく、且つ涙しながら読んでしまいました。読後感は色々と語られていますが、何も言うことが有りません。楽しければいいし、語られている事は身に染みて頷けるし、いい本です。幕末という大きな変動の渦中での日本人として、いや人間としてのこころの変容と矜持を語り続けている姿勢は共感するものです。中山道はいいなー。



「きらめく甲虫」丸山宗利:著 幻冬舎 を見た。「象虫」の写真集もいいけどこの「きらめく甲虫」もスゴイね。これらはなんなんだ?と口走ってしまいます。唯単にこの地球の不可思議さに驚嘆してしまうのが異常なのかもしれません。しかしながらどう見たって考えたってなんなんでしょう?。これ以上美しいものは存在しないね。飛ぶって、最初から飛べたんだろうか?色も最初から?  


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2015年11月10日

音楽

秋なのでメランコリック?なーちゃって、です。大江千里の「秋歌」もあの日のページを読み返すようで、恥ずかしいのですがこの歳になると平気です。他の秋らしい情感に浸ろうとしてCDを開いてしまいました。



「1の知らせ」篠田昌巳:compostela Puff up です。チンドンとかクレズマーのジャンルに入れられてしまいますが、ジャズというか音楽ですね。音色や調べは晩秋の中央ヨーロッパです。過ぎ去った郷愁にしがみつく哀れ。でもその少しの明かりが明日への糧。いくつものイメージを喚起させてくれます。ジャケットはもうボロボロです。篠田さんは故人になりました。



「展覧会の絵」ムソルグスキー、演奏:アファナシェフ DENON です。ブラームスの小品集も高貴な音楽の典型で芸術そのものなのですが、このムソルグスキーはこれまたなんとスケールの大きな絵画を描いているのでしょう。アファナシェフの場合は間の取り方で語られますが、聞いている間にそんなことなど気にかけずに聞いています。時間や音の響きはこんな素人にも確かに判るほど美しく聞かせます。ピアノ1台がこんなにも大きな世界を描けるなんてすごいことです。録音もばらしい。



「ピアノ五重奏34、とシェーンベルグの室内交響楽9番」ハーゲン四重奏団&パウル・グルダ グラムフォンです
最初に勝ったLPがこのブラームスの五重奏曲でした。クラシック音楽と思えない調べと展開の妙をブラームスに観たと思いました。通常ではない「なんだこれは」を芸術、異界の証しと思った最初でした。しかし何処かが枯れて、諦めているような斜陽感もありながら諦めきれない恋しさも引きずる女々しさ。誰もが共感するのでしょう。そう恋なのです。しのぶれどいろにいでにけりわがこいは ものやおもうとひとのとうまで 平兼盛 のごとく、何か寂しい季節なんですね。ついでにこの歌と競った壬生忠見は 恋すてふ・・・おもいそめしか なのですが、負けて辛くて頭が触れてしまったそうです。この前読んだ「宿神」夢枕獏に載っていました。そんでもって西行は鴫立つ沢の秋の夕暮れ  じゃん。



  


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2015年11月01日

もしif



「WHAT IF?」ランドール・マンロー著 吉田三知世:訳 早川書房 を読んじゃいました。Eテレのスーパープレゼンテーションで紹介していたから、直ぐにAMAZONに注文。アメリカってところ、というよりも世界はこのようなジャンルが進んでいて、荒唐無稽と思われる世界も現実社会で人の頭の中の世界を遊ばせる、いや現実にも応用可能な作り事を開示して社会性さえも獲得している。私だけがアナログで、鉛筆の線で面を塗り潰しているような気にもなる。でも、この本の中身はデジタルか?と云えばそうではなくて、オオヨソの数字や当たり前のことでも大まかに考えれば大体の予想は就くのだという視点を云っているのかもしれない。怖い話もあるけれど、百万年後には人類は居ないってことです。こんなことも想定出来てしまうのです。人間も恐竜と同じです。諸行無常です。ゆく川の流れで、ひさしからずや。なにをあくせくと、なーんてね。それと一緒に紹介していたのが[フィボナッチ数列]です。愉快な数字です。数学が全くダメな私目にもハ!っと楽しくアンモナイトの絵を書きました。この世は愉快だ。なーんてね。

 杭の話ですが、安全かそうでないかの話をすれば、明らかに私の家の母屋の方が、あのマンションより危険です。虚と、資産価値と、傷害の度合いで怖さが語られています。それでいいのでしょう。ありえないことも、ありえると思えば、答はありえるんだ。それこそ「WHAT IF」なんです。  


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