2012年11月28日

京極夏彦なのだ


「西巷説百物語」京極夏彦、角川書店
まあ、面白いったらありゃしない。読み始めたのが運の付き。走り始めたら止まんない。終わるまで忘れたくないから、終わんない。今回の舞台は大阪ですねん、大阪は情が深くて怨念も深くて何でもアリで、故に文化までもが深い。七編の連作の中に今までの物語が総じて彼方此方に出てきます。懐かしい登場人物もね。心の裏の裏、奥深い奸計も暴き出します。相手を暴き出す故に此方もこれでもかっという程に策を講じて戦うのだけれど、バカらしいけど気持ちがいい。悲しみも、寂しさも儚く消え去り気持ちがいい。ズーーート京極を読んできたけど、やっぱり上手い。一時一句がときめきで、一行一行に惹きつけられ、一遍一編が劇場なのだ。すらすら読める大阪弁も楽しかった。いろいろと胸に落ちる言葉が至るところに在ったけど、そんなことは読後、もうどうでもよくなった。本全体で面白かったからだ。東西南北と続くことをキボーします。私の周りに京極のファンって居るのかなあー?  


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2012年11月24日

「ななつのこ」と新聞


 「ななつのこ」加納朋子:著 創元社文庫
隠れた名作とでも呼びますが、その筋では公然と鮎川哲也賞を受賞している。ミステリーなんだけど、はっきり言って文学的です。純文学もミステリーでもどっちでもいいんです。しみじみとした日常に隠れているはてな?を思いやりで解き明かし、人の優しさに気付かせてくれます。人は他人の言葉で救われることもある。北村薫の作風にも似ていますが、もう少しノスタルジックな背景の上に物語が展開しています。このような作風の作家は今後出てこないように思われます。「悪の教典」のような血塗られた劇場の方が現代的と思ってしまっているのかもね。
 一つ教えてもらった事:一万二千年後にヴェガ星(織姫星)が北極星になる。今はカシオペアや北斗七星が指標だけどね。

 今朝の静岡新聞のコラムでの junior journal (桔梗亜紀・公立中学校国語科教諭)

君をただ見ているだけでなんとなく
 幸せ感じまた振り返る       (中3・男子)

素晴らしく素直で純粋な歌にショックでした。誰しも胸にグーと来た筈です。ただそれに幸せを感じていただなんて、胸のときめきが幸せだなんて、まっすぐで青空のようだ。若いっていいなー。

今読み始めたのは、京極の「西巷説百物語」で、愛憎と怨念のどろどろした時代小説で一行一行暗闇の人間心理が展開されるんです。今迄の京極だと毎回終わりには胸が下りるけど今回はどうなるんだろう。人間って広大にイメージを創りだすんだね。止められません。

  


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2012年11月19日

「悪の教典」と三ツ星天文台

 前回の続きの「悪の教典」からだけど、反省は止め!モヤモヤしている。
死体がゴロゴロ散乱する場面を経過して、途中で止めようとも思ったしもう少しだからと勇気を奮って、最後まで読み終わリました。惨い場面が有ると誰でも途中で止めちゃうのが常人だよな。でも浜松まで用事があったので電車で読み続け且つ、昨夜遅くまで布団から冷たい手を出しながらもガマンして読んでいたのだ。多分心が強くなったか、鈍くなったかのドチラかだ。K2風に話変わって、浜松のとんかつを食べて来た。「とんひろ」って大正ロマン風なアンチークを模した店で、とても美味しいロースのとんかつを食べた。値段だけの事は確かに有る(義兄の驕り)本当にご馳走様でした。話しは本に戻って、生と死、善と悪、を精神の歪み、病とを同時に問題提起していて、その上死体がゴロゴロだから何が何だか理解不能です。同じ次元では解決出来ないことを殺人と云う一つの事象で判断しようとするから悍ましいだけなんだよね。ホラーってジャンルは敬遠します。読みたい人が読めばって感じでした。一体筆者は私に何を問いかけたのだろうか。私の様な怖がりは帯に釣られちゃダメだよ。「このミス」で一位の評の理由を知りたい。私はバカなのか。私自身が時代遅れの化石なのか。この本一冊で私を試そうとしているのか。
 とんかつと殺人鬼でミスマッチですけど、許されて下さい。



 静岡新聞の記事の川根から見る宇宙の6です。今回は宇宙の果て。
アンドロメダの話とドップラー効果で夜空の神秘を我々凡人にも解りやすくイメージできるように毎回解説してくれています。アンドロメダの名前は知っていても何処に在るのかを知らないし、肉眼で見たこともないから。ましてや望遠鏡であの渦巻き式円盤も観たことがないのです。そして赤いということで、ドップラー効果から言えば遠ざかっているということ。興味は募るばかりです。カシオペアは夕べ、時計の50分辺りに在りました。北極星を芯にしてね。学習の甲斐が有りました。三ツ星に行けばアンドロメダが何処かに載ってる写真のように見えるのかなあ?
 拡がり続けているとしたら、全部赤くなる筈ジャン?
 食欲は徐々に拡大の兆候。  


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2012年11月17日

ザハと教典



国立競技上のコンペで最優秀賞がザハ・ハディッドに決まったんだって。新聞の写真では何が何だか判らないけど、ヌメーとしたエイのようです。以前の鋭角的な建築から曲線をも加味してきたようです。しかし以前からの川の流れの様な造形は相変わらずです。この流れの造形は巨大な都市全体をイメージしないと成立しません。個体では流れないもんな。芸術新潮のフィリップ・ジョンソン特集に現代の巨匠達(ザハ・ハディットを含めた)とフィリップ・ジョンソンが並んで映っていたのを思い出しました。コールハースもね。勿論、磯崎もです。巨大派達です。競技場の予算は1300億円だそうです。改修費って記されていた。どんなものが出来上がるんでしょうね。何処へ流れたいのかな。流れていたいのかな。大陸は移動し続けてるのだ。



「悪の教典」貴志祐介
テレビでやっているらしい。今途中で、240pなのだ。幼少の頃からの忌まわしい事件を回想しているトコラヘンです。何かに優れているけど何かが落ちている人間。極度にね。近頃はこんなのが多くなったと思っていたが、昔から居たのかもしれないし、古代から現代まで社会は目まぐるしく変わってきたから、普通と云われている人間なんぞ居た例がない筈だ。普通の仮面を被った変態だらけだったかもね。本人は普通を装っていると思い込んでいるけど、廻りは全てお見通しってなことだ。でも放っておいた。他人だから。まだ途中だから、このようなこと云えてるけど、ガラっと変わる可能性が大いにある。学校ものは閉鎖社会だから、時代ものと似たところがあると思っていたら、今の世界全てがいろんな形で枠が嵌められている事に気付いた。その枠に安住することは中々出来ないけど、枠を受け入れる事も時には必要なんだね。そうしないと生きられないもんな。60過ぎてようやく気付く愚か者。読み終わったら反省文を書きます。期待はするな。  


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2012年11月13日

渋さ知らず


僕にとってはフェダインも渋さも同じなんだ。この写真とコンサートの記憶が全て。だからなんなのって問われてみたところで、音楽は爆発だって言うしかない。そう心の叫びで、小さい音もあれば大きな音もあるけど、叫びであることには変わりがない。自分を揺り動かす何かなんだと思えば、クラッシックだろうがジャズだろうが、ポップスだろうが同じだ。そう好き嫌いでいいのだ。この渋さに身や心を託した時の快感は僕のものだけかもしれないが、すごい!という感嘆詞の終結はここに極まれる。これを知った僕は知らなかった時より数倍も音楽的幸福の幅が広がったと思える。だからあの車に敬意を込めて乗っている。不破さん、スズキ・コージさん、よっちゃん、ありがとう!  


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2012年11月12日

ソロモン



宮部みゆき「ソロモンの偽証・Ⅰ」を読み終わった。このところいろんな行事や家のゴタゴタで空き時間が少なくなったので、進み具合は牛歩のごとくである。それに単行本。重い740ページでしたがこれがⅡ・Ⅲと続くのだ。思いやられるのではなく、ワクワクしてしまうのだ。こういうのは宮部の成せる技でもある。大津中学に似た事件が発端である。Ⅰ部の中でも3人が死ぬ。何処にでもいる人、何処にでもある景色のなかに蠢く感情が、傷つけ合ったり、優しさを確認しながらも前(解決)に進もうとする。本当は優しい人ばかりなのに、強がりや虚栄、弱虫で繊細なのに仮面を被って自分を壊して、他人まで壊してしまい大きな事件膨らんでしまう。他人を憎んだ末の結果は自分をも傷つけ、憎まざるを得なくなる。中学生達(涼子、健一、まり子、行夫達)は如何なる行動を取るのだろうか。子供も大人も策や行動は違っていても感情は同じである。誰しも読んで欲しいのは、時代や年代が変わって、世の中のコミュニケーションの形がどんな形になろうとも、心や気持ちと云うものは変わらないってこと。Ⅱ・Ⅲに期待、ワクワクである。

毎週おなじみの静岡新聞日曜版の晶子百花繚乱。
わたつみの底つ海草芽をふくにひとし心は君に見えなく 『常夏』
どうしようもなく沸きあがる思いを海草に喩えて、伝わらないモドカシサを謳っている。海面までは届くけど、地上の君へは届かない。届けたいのに大きな障壁がある。海底の根を断ち切って海辺に打ち上げられば届くかもしれない。それにしても古典的な謳い方が雅に仕立てているらしい。確固とした晶子の表現で原始的情熱が美しくて、汚くないのがいいね。

追記:11月23日(金)の焼津でチーフタンズの公演に行く。帰ったら感想を書きます。一緒に行きたい人がいたら私に言って下さい。ケルト音楽なのだ。知らなければネットで調べてみて下され、ヘエー!となるから。  


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2012年11月09日

ワールド系

今、宮部の「ソロモンの偽証 Ⅰ部」を読んでます。単行本で厚いので時間がかかる。途中だけど、おもしろいぞー。ソウユウ訳でCDを入れた。


左上:バルカンの弾けたクラリネット。大体が舞曲でジャズってる。オスマントルコからの解放を謳っていたのかもしれないが、弾け方は尋常ではない。がしかしですよ。渋さ知らずを聞けば人間ってのはみな同じ、ってことを知る。
右上:「ソンガイ2」ベースのダニー・トンプソンを交えたアフリカとスペイン(ケタマ、トマニ、ホセソト)の楽しい異文化交流の音楽で、ピーター・バラガンが解説をしている。とてもいい。1もあるよ。
左下:ドロレス・ケーンの「ライオンの檻」でケルト音楽。ケルトといえばチーフタンズやドーナル・ラニーですが、このドロレス・ケーンは人類史上の抑圧され続けた女性への慈しみを謳っている。でも本当はそれだけじゃなく強さも謳っている。
右下:マーラの「on the edge]である。オーストラリアの女性マーラの歌ですが、ケルトの激しいリズムのバックは聞いたことのない土着さを奏でます。オーストラリアもワールド系では面白い場所です。融合も時にはとんでもない遺伝子を生みます。
 次は「渋さ知らず」でも書いてみるかな。コンサートを聞いたことのある人何人いるかな。この前、バズハウスのよっちゃんが藤枝に寄ったので、あの車で迎えにいって、色々とあーでもない、こーでもないと話しました。いまでも詩人の哲学で暴れています。
オワリ


  


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2012年11月05日

カシオペア


まえから何故か気になっていたことだけど、カシオペアをちゃんと知らなかった。で、今日の新聞に載っていた。この女性が北を軸に回り続けなくてはならなくなった神話。宮沢賢治の「よだかの星」。キッチリ他人に説明出来る様に、また頭にキッチリ残るように確認したくなったのだ。三ツ星天文台に行こう!川根本町だ。ギンガ、ギンガ、ギンガー!  


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2012年11月04日

「メルト・ダウン」


またまた高島哲夫で、「メルト・ダウン」なのだ。すごーく今のアメリカらしい話です。前と同じく映画を見ているような展開を仕掛けています。結構暴力沙汰が繰り返されて「うそだろ」って思えるところもある。核と軍縮、マスコミと政府という対立を利用した世論の空気誘導が主題。ワシントンDCとカリフォルニアの事件がある接点で結ばれたとたんに大きな陰謀が明らかになる。私が面白いのは事件に絡んだ人間たちが右往左往しながらも、とてもアメリカらしい行動や、言動をとるところである。アメリカの風景ってのは、このアメリカ的行動言動がないと、全くつまらなくなって薄らボッタイ風景と化してしまう事である。イキイキとした人間、苦悩にあっても表情豊かに生き抜いている姿が有ってこそのアメリカなのである。高島は途中で止められない。寝不足になる。ご注意あれ!  


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2012年11月03日

これはワールド系


今、もう時期に終わる筈の「メルト・ダウン」を読んでいるけど、久しぶりにワールド系を聞いたので、書く。もう随分昔の話しだけど、「ブルガリアンポリフォニー」は芸能山城組を聞いてから流れて着いた。地声という音楽に適さない発音でも立派に音楽になっている。どこの大地でも女は強い命を謳歌して歌うことができるけど、男は何故か背中を語る。次は「ホームレス」である。南アフリカの音楽で、P・サイモンもグレイスランドで歌っていた。ライオンは寝ているだね。曲の流れている間は常に乾いた赤黒い地面を叩く足音が聞こえてくる。こちらの調子がいい時に聞いていた。「KALI」はカリブ海のマルチニーク島(フランス領)のバンジョー楽器の音楽。ナッシュビルの音楽では全くない。もっと軽くて爽やかで、風である。真夏の都会でエアコンを効かせながら聞けばオサレ。しかしながら歌詞を読むと辛辣なであり、苦役を乗り越えて達した天国の境地を見ることもできる。深読みかな。「シャバス」ファティ・アリ・ハーンである。イスラムの祈りの音楽兼お経である。全く意味は掴めないけど、真言宗の声明とも違う。不協和音も重なると一種の音楽的音を創り出して、演奏者(唱える人)も少しその境地を味わえる。しかしこれは又その上か下を行く。まさしくトランス状態。メロディーもグルグル回る回る。タブラがイスラム的瞑想を暗示する。即興前衛ジャズの趣も感じられる。「渋さ知らず」の音楽を聞けば何かを知れる。まあどっちでもいいんだけど。4枚とも地声的音楽。声は楽器。また少しずつ古楽とワールド系を書こうと思う。自分の中では境目など無いんだけどね。何故日本の民謡がないんだ?って云われるけど、どうしようー。  


Posted by 新茶 at 22:07Comments(1)