2014年04月29日

宮部と山口




「初ものがたり」宮部みゆき:著 PHP文芸文庫 岡っ引きの茂七親分が深川辺りの珍事件を屋台の親父を交えながら正義感丸出しで解決してゆく。短編の連作である。人の心の優しさが随所に見えて、それでいて厳しい人の道を曲げない一徹さに納得する物語です。当たり前の事だけどなかなか踏み切れない人の弱さをも描いていて、寝る前だと姿勢を正して、足をまっすぐして寝てしまいます。屋台の親父の正体が知りたくなりました。続編を期待しています。

静岡新聞に連載の「親鸞」ですが、これまた素晴らしくて大きな画面にしてしまいました。検非違使が不可解ながらも頭を下げているところです。アングルがいいですし、紅の色使いと輪郭の鉛筆?のタッチに魅了されます。ためいきものでごじゃる。

  


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2014年04月24日

知恩院



知恩院の御忌大会に行ってきました。朝5:00に出発。9:00過ぎに着きました。大きな儀式に参列したのですが、長い時間の正座で足はロボット状態でした。お茶の稽古で慣れている?とはいえ、それを遥かに超えていました。儀式は儀式ですから、荘厳の一言しか出ませんでしたが、浄土宗という宗教の一面を見れて、うちの住職さんも階級、序列の中で苦労しているんだなってシミジミ思ったので、心にしまっておきます。
 私の目当ては国宝の三門(知恩院では三門と表記)でして、この大きな木造建築の足元の周辺が気に入っているのです。高低差とスケールのバランスは小さな中庭などで構成された数寄屋のミニマムな空間構成とは異なる、大胆でいながら絶妙なる舞台構成にまいってしまうのです。どんな人がどんな姿勢でいてもここでは登場人物の役者になれるのです。「絶景かな、絶景かな」です。
 和尚さん2人の風景も、背景により2人の足元にミケランジェロの人間賛美の美学が思い起こされます。



わが西運寺の檀家衆が女坂の階段を上っていきますが、若い人が少ないので下向きかげんです。



御堂側面の障子と舞良戸です。障子の組子は太目ですがこれがいいんです。この全体とマッチしています。風化して育った舞良戸の褐色と白い障子がストイックな宗教施設を感じさせてくれます。



三門の裏の急な階段から山門を見返すと深い井戸の底を見ているようですが、石畳と山門の足元に魅入られてしまいます。なにかが上手いですね。



季節も命溢れる美しい時期故かな。



ある美学に裏打ちされたコーディネートによる演出は、単純な私などは簡単に打ちのめされてしまうのです。でもこの演出も破綻のないよう、気を配っている人達のお蔭なんですね。感謝


   


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2014年04月22日

六道 慧と新聞



「青嵐吹く」六道 慧:著 光文社 を読んだ。とても楽しんだ、というか寸暇も惜しまずに読んだのである。がしかし、昨日起床してからこの本を探したのなんの、何処を探しても見当たらなかったのである。近頃この体たらくが頻繁に発生している。落ち着いて過去を振り返ってみれば、あーそうだっけ、ここに置いたんだ、となるわけである。何処かが切れているらしい。寄る年波には勝てませんね。寸暇を惜しみました。
 序章と一章が秀逸なんですが、最期にこの章が大きな意味をもって現れます。こういうのは好きですねー。人物像も表紙の如くとぼけた主人公にふさわしい人間達がドタバタと駆けずり回ります。こんな背景の江戸時代もいいもんです。しかしながら事件は緊迫の様相を呈して読者の胸の鼓動をかき鳴らすのですから、読み続けてしまいます。ましてや途中で本を見失うなんて言語道断でした。続編が読みたくなります。
 


4月20日と21日の静岡新聞ですが、韓国の沈没船の事件で新聞を切り抜くのを忘れていました。「親鸞」のカットの絵も切り抜きました。沈没船に関しては「もう呆れてしまう」というか船が右折し始めた時点で事は起きていたんだと思います。処理が遅れるとトンデモナイことになる見本でした。我が身に照らし合わせて、気を付けましょう。
 「低反発枕草子」は軽いノリで枕草子を平田俊子さんが解説?してくれています。「春は化け物~」と恨んで と叫んでいるようです。いいですねーこのノリ。齋藤孝さんの「声に出して・・・」をよんで私も暗記してみました。全編を読んだ筈だけど、ここしか覚えていません。いいんです、こんなもんで。浴槽に浸りながら「春はあけぼの・・・」や「月日は百代の・・・」を唸るのもいいよ。できれば三波春夫の「止めてくれるな、妙心殿・・・」もね。
 右は例の「ゴシックの聖堂」で、ラン大聖堂です。山の上の街みたいに大きな聖堂です。五つの塔が残っているそうです。サン・ジミニアーノみたいじゃんか。高い場所に造られたので、牛を使って建設されたということです。勿論人間の苦労も計り知れないものがあります。ランはLoanと書くようだ。行って見たいですねー。



静岡新聞「親鸞」のカット絵 山口 晃  の最近の絵です。こんな小さな絵の中にでも人間の喜怒哀楽が読み取れてしまいます。ましてや右下の絵などはため息ものです。大事にしまっておこうと思いました。

 
  


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2014年04月18日

三浦しおん



「神去なあなあ日常」三浦しおん:著 徳間文庫 を読んだ。1ぺーじ目から、しおんのリズムで始まり、終わりまで揺られ通しでした。シオリズム、シオニズムではありません。とにかくこのシンクロ感、は他の追随を許しません。下賤な感覚と言われようが、正確な気持の表現方法は読んでいて気持ちの良いものが有ります。また架空の背景とはいえ、的確な資料と調査が無ければこの面白さは生まれません。衰退していく林業を憂いながら日本という精神的地理学を考えさせられました。読むこと、読みながら絵を想像して作者の言わんとしていることに思いを巡らす事も、また、たのしからずや です。
 我が家の山の畑も荒れ放題で、筍が至る所で繁茂してしまい、苦労しています。近在の山も孟宗竹がかつての蜜柑畑や茶畑を侵略して、見るも無残な景色です。以前いやいやながら農作業の手伝いをした私でもこの光景には目を瞑りたくなります。ずーっと昔から山は日本を支えてきた基礎なんだろうに、なんて思っていながらも筍を掘るしか出来ない愚か者です。



 

  


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2014年04月13日

戸板康二と護国寺



京都往還の電車内で読んだ「團十郎切腹事件」中村雅楽探偵全集1 戸板康二:著 創元推理文庫です。戸板康二の創作人物の中村雅楽(古老の歌舞伎役者)が文化芸能のエリアに渦巻く事件を冷静沈着にして聡明なる頭脳をもって解決してゆく18編です。読み始めたらすぐにエラリー・クインやチェスタトンが浮かんできますが、独自の背景が真似ではない本格の極みにまで至っていると、畏れ多くも思ってしまいました。判ったような事を言う生意気な私です。本編以後の解説等が大変参考になるのだ。



例年のARTS & CRAFT SHZUOKA に行ってきました。今年も前もって作者の紹介頁を調べて訪れたのですが、写真で見たのとは現実は大きく違っていました。



買ってきたのは8センチ程の花入れです。青銅器を思わせる色合いと、艶と時間を併せ持つ風合いに惹かれました。念願の花入れ(蹲る、や鉄漿の形を持った)は探すのが無理です。自分で作るしかありません。TARAちゃんとこでやってみます。



何処かでお見かけしたことのある人が奉仕していたコーヒー屋さんがあったのでお昼を裏の池淵の石の上でこのコーヒーと一緒に頂きました。



山崎裕子さんのブースです。ルーシー・リーの色合いがステキでした。話しかけてみたら、大好きだそうです。ハンス・コパーもね



古谷浩一さんのブースで、丁寧な作りとモダニズム的な色とフォルムがくすぐります。取手や注口、蓋はさすがです。

  


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2014年04月10日

京都「御所と角屋」



またまた18キップで京都に行ってきました。K2は先日御所に来てしまったので、後で角屋に合流ってことになりました。御所は一般公開で紫宸殿の脇まで見れるので人がイッパイでした。



例により、個人的視点による写真ばかりでゴメンナサイ。この朱の扉に感激しました。美しい巫女さんの様な配色ですが。黒の金物の配置で随分グラフィックに構成されていてドキドキするほどの美学をもっています。



実際目の当たりにすると、「あんなものだろう」という短絡的思い込みも、御所全体に流れる隙のない完璧なる寝殿造りの構成に言葉が出ません。完璧ってすごいことです。後で見る角屋との違iいもこの辺にある。



あれ?「良いじゃん」と思った一瞬。絵と表装みたいに見える。



三手先斗供と尾垂木。紫宸殿の偏額



朝廷や公家の持つ雅や綺麗寂が至る所で観れるので、当たり前のように見落としてしまいがちです。



打って変わって揚屋「角屋」です。こちらは新撰組に関心のある方ならよく御存じの建物です。揚屋とは?とかはウィッキで調べた方が私の説明よりずっと解りやすく載っている筈です。木造2階建で軒は低く抑えられています。島原の町並みに馴染んでしまって、内部の劇的なる表情は通りからはちょっと解かりません。



順不同なんだけど、1階勝手場の庭先で、玄関アプローチと繋がっている場所です。このベンガラがこの2階の途轍もない内装を暗示させています。



勝手場(厨房)のストイックも何やら物の怪が棲んでいそうです。



2階の説明前でK2が合流、階段室入り口戸前に鎮座。これからびっくりする展開になります。



残念ながら、2階とかショウケース内は写真撮影禁止なのでカット。この広間に少し2階のおどろおどろしいジャパネスクの片鱗が漂っています。江戸バロックはこの後の世紀末的デカダンスを獲得して、ロココやネオクラッシズムもはるかに超えて成熟いや廃退まで到達してしまいます。完璧からは少し外れる美学は先を目指して、もっともっとと暗闇に向かいますが、未完は未完です。故に利休のわびさびはこの数寄屋の完璧さを物語っています。
兎に角行って見て直に鑑賞しないと、伊久美の語りなど、何ぞという言葉が発せられません。角屋は必修科目です。西洋も東洋、和も面白くてやがて侘しきかな。でござりまする。











  


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