2012年06月29日

田中城の下屋敷茶室?

文化財の研修課題で田中城の下屋敷の茶室の下見に一人で行ってきました。しみじみとして、こじんまりした静かな公園です。牛蛙が鳴いていました。ゴーゴーとです。茶室ということになっていますが、数寄屋の離れっていう感じでした。炉は無いです。風炉だったらできる。寄棟の瓦葺き、2.5間の3.0間の平屋。柱は3.0寸、藤枝市の指定有形文化財です。

南面:雨戸のサイズに合わせて、戸袋が外壁より飛び出る。

東面、北面:東の雨戸は角を廻って北の戸袋に入れる。

待合から床の間方向を見る。

茶室の障子は目が細かい(本繁)。ニジリ口ではなく、地窓

待合側の襖の引手(取手)は平紐で金箔風の引手貼

数寄屋の一端を随所に見れるので、面白くて勉強になる建物です。数寄屋に興味のある方はこういうものもあるんだってことで見に行かれてもいいのかと思う。今の時期、蚊には気を付けてください。私がメジャーをもって居るかもね?  


Posted by 新茶 at 22:40Comments(4)

2012年06月24日

コンサート


岡部の市民ホールおかべでピアノコンサートを聴いてきました。4名のピアニスト(若林顕、高橋多佳子、近藤嘉宏、宮谷理香)が名曲中の名曲を代わる代わる弾いてくれました。満員のチャリティー・コンサートです。近頃の演奏者は大胆に表現するようになっているなって感じました。以前はもう少し枠の中だったのかもしれない。はみ出しても自分の解釈を精一杯物怖じせずに演奏しているようで胸が詰まるほどです。全曲とも以前とは違った曲みたいです。いいことです。ドビュッシーもすごくよかったけど、一番ジーンと来たのは、アンコールの連弾でのラヴェルの「マ・メール・ロア」でした。私だけかもしれませんが、幻想的で蕩けるような甘美感をゆったり且つリズムを崩さずに二人で弾いていました。リズムが難しいラヴェルを二人で弾くなんてすごいことです。感動もののアンコールでした。ボントロさんの知り合いの岐部先生から切符を買いました。音楽は鳴っていても瞬く間に消えていきます。でも聞いた人には音楽として記憶に残ります。  


Posted by 新茶 at 22:10Comments(5)

2012年06月24日

垣根



我が家の生垣の一部の刈込をしました。毎年五月の連休にやっていたんですが、今年はなんだか遅れて、今日手を付け始めました。マサキ?(違うような気がする)という木らしいのですが、今の時期は葉が蛾の卵で白くなってしまいます。ボサボサで暑苦しいので初夏に刈り込みます。槇の垣根の部分はまた今度ということにしました(いつになるのやら)。この部分だけでも2枚目の写真のように、袋に一杯の切葉が出ます。小さな枝で袋が破れる。この枝葉を竹箒で集めて袋に入れるのが一苦労。小石が入らないように入れるのが大変。何かいい方法がないかなあ。刈込も機械でなく鋏でやるので、下手なフリーハンドというか、虎刈りの自在線になるのだ。まあ私の家のことだからこれで良しとするのだ。誰も気にはしない。ワイルドだろー。  


Posted by 新茶 at 13:02Comments(0)

2012年06月22日

村上 隆と大友克洋


図書館で2冊借りてきました。それにしても汚い画面。BRUTUSの大友は芸術新潮とは別の大友が見えたというか、こちらのほうが身近です。一番興味を引いたのが鑑賞講座でした、で、兎に角全部読みました。感心するだけでした。すごい人です。もう一人の村上隆は訳が解んないけど、なんだろう。「まだ村上隆がお嫌いですか」っていう表紙です。波長が合わないみたいだ。マネージメントと画風は関係ないと思うのだけれど、あるのかなあ。スーパーフラットだからこの画風?結局僕はいらないというだろう。大友の絵はどんなに小さくてもアートになって幻想の世界へ誘えるのに。私は多分死ぬまで村上が理解できずにいるのでしょう。それでもいいのだ。  


Posted by 新茶 at 16:39Comments(2)

2012年06月21日

談志2他


談志2だ。以前聴いたことのある話をこうして文字で読んでみると、なかなか薀蓄が含まれているんだと感心してしまった。「粗忽長屋」を、主観長屋と談志は云っている。断片だけど、「主観の強い奴に会うと、人間己の生まで判んなくなってしまうのではなかろうか。所詮、人生は「虚」なんだし、そこに知性で存在というものを作っているだけなのだから・・・。」って解説もしている。このこんがらがった哲学の話は理解しない方が面白い。「鉄拐」は知っている人は少ないと思うけど、中国の八仙人の一人だそうです。八仙人の中に呂洞濱(リョドウヒン)が入っているんだそうです。この前書いた雪村の絵に出てきた仙人です。ウィキで見たら八人が出てきました。日本の七福神に相応する中国の仙人で知らない人は居ないそうです。知らないで雪村がスゲーとのたまわる私も粗忽です。反省・・・。
 CDはキャロル・キングの「Music」とトレーシー・チャップマンの2枚
「Tapestry」もいいけど、この「Music」もいいです。冬から春って感じ。この時期のキャロル・キングの音にはどうしても惹かれる何かがあるね。決して音楽的にいい声では無いのに。「Song of Iong ago」はジェームス・テーラーもハモっています。すてきじゃん。
 トレーシー・チャップマンの2枚は大体続けて聞いてます。聴き始めは、「渋さ知らず」の吉祥寺の曼荼羅2でのコンサートで開演前に場内で鳴っていた音楽が耳に残っていたからです。因みに我が愛車の絵は「渋さ知らず」がテーマなんです。
ボブ・ディランを少し思い起こさせる唄ですが、もう少しアフリカです。若さゆえの苛立ちも彼女なりの素直な表現が気に入っています。今はどうしてるんだろう。
 雑多で軽い表層の頭の中の開示はこれからも延々と続くのだ。自己顕示欲とか露出狂というより同調者が何処かにね。
  


Posted by 新茶 at 09:12Comments(0)

2012年06月18日

父の日


プレゼントで息子からミスチルの2枚を頂いてしまいました。息子にプレゼントをした記憶は無いのですが、嬉しいものです。「ありがとう!」。物欲しそうな振舞いを見せた覚えはないのだけど、お見通しだったんだね。
優しくても夢中に生きている若者の心中が胸を打ちます。他人って顔してるけど本当は寂しくて誰かと繋がっていたいんだ。強い振りしてるけど、脅えながらも歯を食いしばって朝起きている若者も何処かに居るってことだね。
 もう一枚はレンタルの払い下げのBank bandの「沿志奏逢3」で超廉価でした。上記と同じく胸キュンなのだ。「若者のすべて」「緑の街」はいいと思うよ。他も素敵です。小林武史の術中に嵌っているのかも。所詮POPSだぜー。って切り捨ててしまう観点もあるだろうけど、それでも僕はこういう音楽も好きだと素直に云える。
  


Posted by 新茶 at 10:35Comments(2)

2012年06月14日

談志の落語


「談志の落語一」静山社文庫を読みました。読んだというより聞いたって感じでした。云いたいことが一杯あって、それがあてつけがましく聞こえたこともありましたが、それもまた、彼らしくていいのだと思っています。落語って一人芝居の極致っていうか、聞いてる人其々が違う場面を想像しながらも、同じ時に笑える。言葉と芝居でない身振りだけで視聴者が勝手に想像する場面を展開させて、劇を作っている。とんでもない芸能なんですね。そこではちょっとした身振りや言葉、声の加減で色々な場面になる。抽象と記号に拠る演劇です。この辺の掴み方が談志のすごさですね。徹底した考察がなされている。プロフェッショナル!一を読んだだけでもこれだもんね。  


Posted by 新茶 at 08:30Comments(0)

2012年06月08日

視察一年後

島田市初倉の井口の自治会の東北被災地視察に同行させてもらいました。前回の視察は志太建築士会で南三陸町まで遠征しましたが、今回は宮古まで行きました。ずっとバスです。とにかく見れるとこは何処までもって感じでした。それにしても一年でこんなにも片付くなんて夢の様です。気の遠くなるような分別作業をコツコツとやっています。皆でやらないととても出来ることじゃありません。瓦礫の処理も一か所でやるより、多くの処理場でやるほうが効率がいいのは確かなことです。

5日のお昼は那須SAですが、何を食べたのか思い出せません。トモちゃんの残り物(親子丼)も食べた気がする。

中尊寺で亡くなった人への祈りを捧げる。鞘堂脇のいろは紅葉。秋の紅葉は格別だそうな。

一関のホテルの廊下からの夕日、西方浄土。アシタテンキニナアレ雨具は持っていかなかった。結果オーライ


copyright © 2009 陸前高田市探訪 all rights reserved
陸前高田の復興の松の向こう側にある破壊寸前の建物は私が若い時に憧れていた小川淳設計事務所設計の陸前高田のユースホステル。まさかここで出会うとは。下の写真が災害前でこんなに緑豊かな場所だったんだ。グスン

浄土ヶ浜って存在も名前も知らなかった。なにか象徴的な景色で人の世の儚さと自然の時間の延大さを語っているようでした。

大槌町役場。未だ片付いてはいません。風が吹けば埃と千羽鶴が舞うだけ。祈りもカモメの声に消されてしまう。やり切れなくても、前に進むしかない。自分に出来ることを探す。

山田町の分別仕分け。山田町は本当に素晴らしい景色の町です。三陸の町がみんな20m近い高い堤防が出来たらちょっとさみしい。この景色を守るのにも早く瓦礫を撤去しないと、いけません。大量の瓦礫の分別作業は苦労だと思いました。丁寧な仕事をコツコツやらないと大変なことになってしまいます。世の中の仕事って全部そうなんだけど。

こんなに大きな堤防も破壊されてしまいました。確実な安全なんて何処にも無いんだ。人間の幻想と妄想で人間の社会とやらは出来上がっている。数字の持つ魔力に安易な信頼を託している。現実と理屈と数字はまだまだ作文の域。
 二日目の宿泊はグリーンピアみやこ。7日の帰りは土産もの売り場で岩手の産物を知る。帰りは宮古から盛岡経由の東北自動車道もまっしぐら。初倉に着いたのは10:30、自宅には11:00着、自宅へのお土産はせんべいONLYなのだ。井口の皆さんアリガトウ。オカピーさんは良い人達に囲まれて住んでいます。

  


Posted by 新茶 at 17:27Comments(2)

2012年06月04日

「狸穴あいあい坂」


著:諸田玲子 集英社文庫
 お決まりの時代小説です。表紙とカットは村上豊で、カットの構図は特にいい。
60過ぎのこの私が恋愛を絡めた時代小説を好んで読みます。次から次へと事件は起きて、主人公の娘の行動が事件解決への糸口になります。ハッピーエンドも私にとっては有意義な事ですし、そこに至るプロセスも結構紆余曲折しながらドキドキして楽しめるのです。どの時代も同じ人間の起こす事件だから、人の心は変わらないんですね。
 昨日うちの寺(西運寺)の若い和尚さんが結婚式を挙げました。寺で仏式(浄土宗)の式典を行なってから、披露宴をアソシアでやりました。若い人を見て自分の今迄の軌跡を振り返りました。若い人っていうのは、自分では気が付かなくても、他人からは大きな希望になってることもあるんだってこと。人生に消しゴムなどないけど、悔いる事のないよう、思いっきり生きて欲しいと思いました。こういう事ってありきたりだから、若いときには言葉では理解しても、実感出来ないんだろうね。初老のたわごと?披露宴での雅楽集団の演奏とジャズの歌声は聞き入ってしまいました。すばらしかったです。蛇足:和服の裾と足袋の組み合わせはなんて美しいんでしょう。今度写真を撮ろうと思います。  


Posted by 新茶 at 10:33Comments(0)

2012年06月01日

ボントロさん

 このブログはボントロさんの指導で出来上がったのです。私はまだ続けていますが、ブログを勧めてくれた彼が病気になって、彼のブログの進行も難しくなってきました。私自身も彼のブログが読めなくて寂しいので、時々自宅に押しかけて話をしてきます。お茶の稽古の後にも寄らせて頂いています。
 さる22日に音楽評論家:吉田秀和氏が亡くなりました。ボントロさんは吉田氏の信奉者でしたから自分の病気と合わせて殊更悲嘆に暮れて、何か一杯誰かに話したかったようでした。彼は吉田氏の著作は全て読み通しています。吉田秀和氏が音楽ばかりでなく、文化芸術の全般に亘って評論していたこと、ましてや日本の文化にも造詣がとても深かったことを強調していました。ボントロさんの音楽の何パーセントかは、いや全てかな?吉田秀和の音楽が基礎に有るのかもしれません。何年か前に建築士会で鎌倉に詣でた時にボントロ夫妻は吉田秀和氏の自宅を探したそうです。多分何らかのダイレクトなイメージを探していたんだろうと思います。結局解らなかったそうです。自分の師と仰ぐ人もいつかは亡くなります。私の師はだれだった?
 ベッドで横になっている彼と話しながら、頭の中では、いつかまたボントロさんがブログに帰ってくるのを首をキリンにして待っています。
   


Posted by 新茶 at 09:29Comments(3)