2013年09月27日
縮尻しくじり
「浜町河岸の生き神様」<縮尻鏡三郎>シリーズ 佐藤雅美:著 私にとって佐藤雅美の縮尻は2冊目です。綿密で完璧な江戸の時代考証が読む側をリアリティーに江戸時代に誘います。また縮尻つまり、しくじりで役を降格させられた武士が諦念を腹に据えながらも、ユーモアを交えて淡々と暮らすことの大事さを伝えてくれるのだ。取り調べや相談事への仕事に対して素直に且つ真面目?いや、いい加減に対処しながらも実は思いやりの溢れる人間味を鏡三郎が演じている。強烈、インパクトを期待する向きには物足りないかもしれないが、この展開の仕方が佐藤雅美らしさだと思う。他のシリーズではそのようなのも有るのかもしれないが、劇的なんぞ巷に転がっている筈もないだろうからこれで良くて、これが佐藤のリアリティーなんでしょう。ジーンと味わい深い連作短編集であることでは間違いない。それにしても武士の名前に付く肩書きは面倒臭いことこの上ない。
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12:03
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2013年09月20日
桜庭一樹
「伏」桜庭一樹:著 文春文庫 を読んだ。里見八犬伝が如何なるものかを理解していない私にとっては、裏と言われても裏に思えず、比較対象も無い真っ新の娯楽でした。犬と人間との中間の生きものと人間との交情、要するに互いの種から見た相手をどのように観て、敵と見るか味方と見るか、将又、神のような存在と見るか?自分と違う他者を常に戦う相手としてみるか?即ち地球のテーマでも在るわけだ。ファンタジーが大方唱える他者とのつながり方がここでも謳われていると思いました。自分の常識は他人の非常識、普通なんてどこにもない。でも稚拙で小心者だから規範が拠り所で、右へ倣えの人生が最高のしあわせだと教えられたままに生きてゆく。ひとそれぞれ・・・ですね。
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14:11
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2013年09月11日
丹下健三、短編集、民芸運動
先日行ってきた寛次郎記念館とのつながりで、雑誌「和楽」の日本民芸館の記事を読みました。多少は知識として入っていますが、読み直すといくらでも自分の脳内を再編集できます。日本としてのアイデンティティーを具体的に民芸から提出されると安易に頷いてしまいます。私の中では確かにうごめいていますが、何処かに戻ってしまうような気もします。私には私のなにかが。
「芸術新潮8月号」特集:知られざる丹下健三
磯崎が丹下を語っていてとても興味深かった。コンセプトのはっきりしたドグマティズムの建築でありながら、時代を上手く取り込んでいるところは流石です。丹下式日本的なるものを遺憾なく表現していて爽やかとも感じました。縄文的曲線を弥生のモダニズムでコントロールする。と言いながらも同誌に掲載されている谷文晁の絵も、ある一方で日本的なるものなんですね。コントロールなど出来そうもない、深い日本です。
「短編ベストコレクション2007」徳間文庫を読むと、これもまた大いに日本的なる文学作品だと感じました。これらの作家たちは現代と過去の時間に共通する人間(日本人的)の揺れ動きながらも確かに存在する気持ちを文字で表現していてすごい人達(作家)が居るんだということに驚いてしまいます。「野和田さんちのツグヲさん」のユーモアが好きです。
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20:58
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2013年09月08日
又、京都なのだ
マタマタ京都どすえ。今回は河井寛次郎記念館と奈良屋杉本家の二件。京都の民家、町屋を見学した事になりますが、河井寛次郎記念館は民芸のの一端に直に触れる見学でした。奈良屋杉本家は10年前の「考える人」新潮社2003年秋号の異文化都市、京都でこの杉本家の主人でフランス文学者の杉本秀太郎氏が京都の洛中の神、道、祭りを散歩で紹介していたのを思い出したので、行こうと決意しました。
河井寛次郎記念館(順序が適当で、ゴメン)


階段を上り終わるころに一瞬見える床面の反射

障子と明かりと陰翳。思索の闇

解説には茶室とあるが、窯の火の具合をみれる部屋でもある。この家には至る所に書斎になる場所が在る。

茶室近くの通路の上部にある天窓と滑車、象徴的に見えた。

2階の本格的?書斎なんだけど。瑠璃色のグラスの花器が映えていた。
暗い闇から吹き上がる命が縄文の心を呼び起こす、なんてね。寛次郎の造形に、一瞬思ってしまいました。
杉本家は撮影禁止なので絵葉書しか有りませんが、向かいの杉本さんの茶店に寄って中庭に面した座敷で町屋の風情を写しました。

町屋は数寄屋の様式がきっちり出来ているので、どんなアングルでも美しく映えます。削ぎ落とした美学で客をもてなします。解かる人はわかる。織部灯篭と笹

杉本家の通りからの外観。内部はとんでもない空間が詰まって、広がっているのだ。

前掲の「考える人」で杉本氏は神様のことを書いておられたのだが、この家が代々浄土真宗の家なので家の中には神様なるものが存在していない。しかしながら外部との接触では大らかにそれをなされていて。とても楽しく洛中を紹介されている。そして家の中に唯一猿(申の像)が有り、撫でるとご利益があるらしい。ともかく貴重な有意義な、そして京の町屋に対する情熱を歌子様から聞かせていただきました。
尚、写真集「京の町屋」淡交社に詳細且つ大きな写真が載っていますので図書館等で見て下さい。
ボントロさんから「まだ、角屋に行って無いの?」って空の上から言われてます。そのうちに行きますえー。
河井寛次郎記念館(順序が適当で、ゴメン)
階段を上り終わるころに一瞬見える床面の反射
障子と明かりと陰翳。思索の闇
解説には茶室とあるが、窯の火の具合をみれる部屋でもある。この家には至る所に書斎になる場所が在る。
茶室近くの通路の上部にある天窓と滑車、象徴的に見えた。
2階の本格的?書斎なんだけど。瑠璃色のグラスの花器が映えていた。
暗い闇から吹き上がる命が縄文の心を呼び起こす、なんてね。寛次郎の造形に、一瞬思ってしまいました。
杉本家は撮影禁止なので絵葉書しか有りませんが、向かいの杉本さんの茶店に寄って中庭に面した座敷で町屋の風情を写しました。
町屋は数寄屋の様式がきっちり出来ているので、どんなアングルでも美しく映えます。削ぎ落とした美学で客をもてなします。解かる人はわかる。織部灯篭と笹
杉本家の通りからの外観。内部はとんでもない空間が詰まって、広がっているのだ。
前掲の「考える人」で杉本氏は神様のことを書いておられたのだが、この家が代々浄土真宗の家なので家の中には神様なるものが存在していない。しかしながら外部との接触では大らかにそれをなされていて。とても楽しく洛中を紹介されている。そして家の中に唯一猿(申の像)が有り、撫でるとご利益があるらしい。ともかく貴重な有意義な、そして京の町屋に対する情熱を歌子様から聞かせていただきました。
尚、写真集「京の町屋」淡交社に詳細且つ大きな写真が載っていますので図書館等で見て下さい。
ボントロさんから「まだ、角屋に行って無いの?」って空の上から言われてます。そのうちに行きますえー。
Posted by 新茶 at
14:35
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