2013年04月29日
荻原 浩
「母恋旅烏」荻原 浩:著 双葉文庫
周五郎の樅の木・・の途中だけど、図書館の休館と重なったので、間に荻原を読んでしまった。両極端の話。片や大真面目、片や抱腹絶倒とペーソスというわけで、頭蓋骨の中は二つに割れていた。今朝この旅烏が終わったので、晴れ渡った朝のようにスッキリした。荻原を何冊か読んだけど、この旅烏を読まないと片手落ちだったと気づいた。別に片手落ちでも何ら困らないのだけどね。登場人物全員が誰でも想像できるキャラなので、話しの展開に戸惑うことなど一時もない。場面を描きやすいのだ。懐かしくて、愛しい人間を描かせたら荻原だね。兎に角、面白くて欠点があろうが無かろうが、辻褄が合おうが無かろうが、これが荻原なのだ、が満載なのである。
母が病院から自宅看護へ移る。母の人生も、私から見れば懐かしくて愛おしい。文字に表すことなど不可能なんだけど、感謝だけです。
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09:06
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2013年04月23日
庭そして、最期
松の木の剪定をしました。途中です。我が家には亡き父の好きだった松の木が二本有って、三本有ったのだけど、一本は松喰虫にやられて今有るのは二本だけ。私は若かりし日、この松の木がどうも好きではありませんでした。妙に芝居じみた姿を嫌悪したものでした。今では好き嫌いでなく、ずっと生きてきて、我が家にずっと有ったということだけで、愛おしいものだと思っています。父が亡くなってからこの二本の松の手入れを自己流で刈り込んだり芽を摘んだりしています。ボントロさんに手入れの仕方の指南をお願い申し上げたのですが、素気無く、謙遜して断られてしまいました。その時の言葉は「植物はどうにでもなるけど、描いたものとは違うものになるね」でした。ボントロさんの庭は今後どうなるんでしょう。ここ何年か手入れをして来た松でしたが、芽の伸びた松の手入れの仕方が私は間違っていました。でも松は少しづつ間違いを絵にしてくれています。素直ですね。もう一本の松は訂正しながら手入れをしようと思います。気の長ーい話です。上の写真が未手入れ、下が手入れ後なのだ。まだ槇の木とか、月桂樹、唐楓、銀木犀、梅の枝が春の日の恵みをいっぱいに浴びて伸び放題なので、ばっさり刈り込む予定をしています。5月の連休は毎年これをやっています。
ここ何日かで、NHKで最期の看取りを放送していました。妻と見入ってしまいました。正に母が同じ境遇なのです。4月いっぱいで病院を退院しなければならず、自宅で皮下点滴で体内に栄養と水分を補給するしか方法がない体になりました。意識は朦朧としていますが、時には受け答えも微かにします。もちろん起き上ることなど不可能です。そんな状態の母を家で看護する方向に決めました。あと何日生きてくれるのか未来が見えません。そして自分、いや家族の行く末を大いに心配するのです。この松の木もまた。
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09:45
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2013年04月18日
花
今朝の新聞に「都忘れ」の花が天気の欄に載っていましたので早速、写真を撮ってきました。野菊じゃん!って仰る方が居ると思うのですが、もうちょっと雅なんですね。全体に詰まっていてキッチリした風情です。野菊は野菊で味が有るのですが「都忘れ」は由来を知ればフーンと頷けます。鎌倉幕府の倒幕に敗れて、二十五歳の若さで佐渡に流された順徳天皇が愛でた花とされている。
ながらえて たとえは末に かえるとも 憂きはこの世の 都なりけり
諦念と歯ぎしりが浮かびます。最後は自害してしまうんですね。崇徳天皇の歯ぎしりもだぶって浮かんできます。
我が家の花は地に咲いているのですが、切って活けるのは心が痛むので切ったことは有りません。写真は朝日が強くて紫色が飛んでしまいそうなので、自分の影の中に入れました。天気の欄の横の「紫匂う」のカット絵は三人が追手を避けて渡ろうとする谷川の絵です。飛沫がいいです。紫の色っていうのは不可思議で気難しい色です。
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08:38
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2013年04月16日
仮想?
「脳と仮想」茂木健一郎:著 新潮文庫
難解なのか、私の頭いや脳が、この手の語彙に不慣れなゆえに、時間が掛る論文であった。しかし、読み進めるうちにいつの間にか読んでいる自分に気が付いたときがあった。これは文を理解するというより、脳が語彙や文を仮想出来た時であると気付きました。「クオリア」自体を未だに確実に理解していませんが、多分自分の頭蓋骨の中では、有る感触を伴ったイメージだと、勝手に判断しています。本の中身を噛み砕いて理路整然と説明するなんて、とてもじゃないが出来るわけがないので、気が付いたことだけ書く。脳は1リットル。現実なんてありゃしない、全てが貴方の仮想。して、デジタルはあなたの最終兵器のアナログの為の道具。判らなかったこと一つ、いや全部かもしれないけど、物質の脳が何故個としての感情を持つことになったのか。まだ紹介しきれない程色々なことに言及している(小林秀雄、ヴァレリー、ベルグソン、デカルト)のですが、哲学から逃げ回っている現代人には是非読んで欲しい本でした。サンクロースはいないのだ。
「紫匂う」のカット絵今日と昨日の門から出るところの絵が素晴らしい。江戸バロックの完成されたスケール観やデザインがこの小さな絵の中にビッシリ表現されていて、気持ちがいいですね。話しはとても面白くなりそうです。いま私は山本周五郎の「樅の木はのこった」の再読の最中です。伊達藩の原田甲斐の話ですが、理不尽な武士間の軋轢に対して、いかに知恵を絞って自分の理を貫くのかが両者ともに共通しています。どんな時代でも同じですね。絵に戻って、絵の裏側のインクが写って色も違って残念です。すごーく原画が見たい。どんな色だろう。
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14:40
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2013年04月11日
宮部と川越
「東京下町殺人暮色」宮部みゆき:著光文社文庫
13歳の少年と刑事の父親が殺人事件の深淵を解く。どんな風にして?糸口は下町。この下町の持つヒューマニズムがこの事件、いや時間を経た確執を融解させる試薬になる。下町や時間を丹念に刻んだ場所にしか無いものが心を開くんですね。新しい町に魅力が乏しいのは時間だけではなく人の繋がりの希薄さが見えてしまっているからだね、その町の魅力とやらは今では必要ないんだね。本当は寂しがり屋の癖に、いつか空しさを嘆くときが来るよ。
8日(月)川越に行ってきました。もうずっと昔の川越の記憶は無くなっていたので、懐かしさは無く、新鮮でした。豪商の家屋は時代劇そのままで、丁髷の越後屋と悪代官が出てきそうでした。時間が育てたものは金には替えられない豊かさがあります。写真は時の鐘前でのK2さんとオカピーさんのコンビです。帰りには横浜の中華街で、スンゲー旨い中華を食べてしまいました。これまた普通の中華を思ってもらうと困る程の美味しさでした。多分台湾系で名前を忘れた。通りより南。
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13:58
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2013年04月06日
山本周五郎
「与之助の花」新潮社文庫で短編集です。久々の山本周五郎でした。今は亡き武士の気概を大らかに、ユーモアを加味しながらも、男なるもの、いや人間である者はこうでなくっちゃ、と謳い上げます。周五郎の作品には泥臭い人間の動物的ともいえる感情も愛おしさの一部に変えてしまうヒューマニズムが通奏低音のように響きます。どんな時代背景においても、上下の境無く、ひとの感情は同じだよ、って言っていると思います。300ページの中に13篇が収められていますが、すべてが珠玉と言える周五郎の匂い満載の物語集です。山梨県韮崎市が生家のある所なんだって。
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09:57
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2013年04月03日
伊坂です。
「オー!ファーザー」伊坂幸太郎:著 新潮社
まず、この表紙の写真がいいです。工芸作家の三谷龍二さんの木彫です。三谷さんは中村好文さんの設計の小屋に住んでいます。とても美しい珠玉の小屋です。オブジェ以外にも工芸作品も作っています。僕は箸を使っています。盆が欲しいと思っています。
4人の父(本当の父は判らない)と一緒に暮らしている高校生が、奇妙奇天烈な事件に巻き込まれながらも自分なりに、またこの家族なりに、生きてゆく暖かーいドタバタ喜劇です。物語だから変人のオンパレードは当たり前だけど、変人だからこその会話の洒脱さは伊坂の得意技なのでしょう。ここも重要なんだけど、伊坂の作品は何時でも、全てが、笑いも涙も走って、駆けています。ゆっくり読んでも、疾走が青春の証しであるかのように描きます。事件は目まぐるしく展開しながらも、思考が常に冷静沈着な主人公の知的さに憧れてしまうのは、私が全く逆のその場凌ぎの生活をしているからですね。現代的な作品だけど言っている事は極めてアナログなヒューマニズムだと思う。
「木の匙」三谷龍二:著 新潮社
順序が逆でしたが、本が出て来たので、出しました。単なるこじゃれた写真集だと思うなかれ、作者の熱意や手で創るという原点を感じられる本です。写真です。勿論小屋の写真も出てきます。小さくても、いや小さいからこそ愛おしくて一杯思いやりが詰まっているんです。
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09:21
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2013年04月02日
ボントロさんの葬儀
昨日、ボントロさんの葬式を終えました。空白になってしまった悲しみに浸る間も無く、時間は矢継ぎ早に過ぎてしまいました。もう5日も経ているんですね。うちの母の病院の帰りに見た、満開の夜桜もすでに葉桜への移行の様相です。こうして時が過ぎて全て平らかな普通の景色に色々な事柄も滲んで、日常というなかに埋もれていくんですね。それもまた悲しみを乗り越える術なんでしょうか?でも会いたくなったらクラシックのCDを聞いたり、藤沢周平を読むことにします。病に伏せたボントロさんがシミジミ読んだ、和泉式部の 明日も聞けるのだろうかあの鐘の音を というような歌を忘れていました。ボントロさんごめんなさい。
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15:05
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