2013年10月29日

高根山神楽

二十年くらい行っていなかった藤枝の高根山の神楽に現在施主のTARAちゃん夫妻と行ってきました。神楽は静岡の峰山や佐久間の花祭りを見ていますが、高根山の神楽はほんとうに久しぶりでした。天狗の舞から八幡の舞まで通して観ましたが、素晴らしい芸能に育っていると思いました。この地域の神楽に対する情熱は並々ならぬものがあるようです。拝殿の中は観客でいっぱいでした。神事とはいえ、やはり見てくれる人がいてくれればの芸能です。サスティナブルを実践して来年も来よう。



「天狗の舞」赤い顔をした赤い装束の天狗。赤で不浄を払い、情熱を呼ぶ。纏ってみたい装束です。



「戎大黒の舞」二者が滑稽な所作の掛け合いで観客も喝采の舞です。言葉が無くても面白みは人皆共通です。多分色々なオカシミを加味したりアレンジを施しながら現在に至っていると思われます。それにしても、腰を低く下げて舞う姿には年上の人に対する敬いや日本古来の美学をも感じました。



「姫の舞」おたふくの面を付けて女性を演じるまいです。なかなか色っぽい演出も加えながら子孫繁栄を謳っているのでしょう。神様は大らかです。



写真以外の演目も数々あるのですが端折っています。トリの「八幡天皇の舞」で5名の舞手が途中から連なって蛇のように蛇行で四方を回りはじめます。5名は緑赤黄白青の装束であり、春夏秋冬であり地であり水でもあるわけです。自然と共に生きて環境に感謝する先人たちの偉大さに納得しました。



囃子方の笛です。装束は同じ色。でも笛の音はスコーシ違う。私も峰山の神楽の笛を教えていただいたことが有るので、5本程持っています(自作)。大井川流域の単純なメロディーの繰り返しかと思いきや、難解なテクニックも要求される不可思議な囃子です。難しいんだゾー。(だって、タンギングはつかえないんだ)



近くの正面で撮りたかったけど無理なのでうしろに回ってアップで。



スゴイのがこのオジサン(失礼かな?)タメというか一歩遅れないその手前の瞬時を取る年期の入ったリズムと音。それでいて連打のときの刻み方も乱れない撥捌き。若さのタイトな音ではないけど、その緩やか加減がいかにも神楽の音なんですねー

峰山の神楽もいいけど、高根山もそれなりの個性を育てています。

  


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2013年10月24日

湖北地方研修

伝技塾の年1回の研修旅行に行ってきました。一泊しました。今年は琵琶湖の湖北地方に点在する社寺建築を見て回る企画でした。この地方は、近代社会の流れから少し外れてしまった故に琵琶湖を中心として栄えた中世期の古建築が数多く残されているようです。数が多いので数か所を駆け廻りましたので、疲れました。歳です。





小浜市の明通寺です。山の斜面に建てられているので山門から急な階段を上ります。山門も和様の創りです。登り終わると本堂と三重塔があります。大きな本堂で典型的な和様です。縁廻りと斗供、蔀戸は鎌倉時代を彷彿とさせますが、内陣は高くて禅宗ぽい感もあります。




三重の塔です。洗練された和様の典型です。これの度を越すと艶っぽい衒いを表現してくるんですね。面白いですねー。武士のストイックさからあだ花又は、魔界へと引き継がれてバロックにまたロココへと邁進するんですねー。まあそんなことはどうでもいいですから次!



次と言ったけど美しいものには適わないので入れた。幾何学による美学を自然に合わせるという筋が通ってると思いませんか?



小浜の神宮寺なのだ。総勢5名の集合写真の後ろに見えるのが神宮寺。緩やかな曲線で軒が深くていかにも和様の様式なんです。沿革はWikiで調べて、且つ読んで貰うと説明が省けますが、二月堂のお水取りとの関係があって「へーえ」と鵜呑みにした振りの私でした。



明通寺と同じ和様の様式ですが、明通寺は二手先、神宮寺は一手先だから支輪が浅い。なんちゃって判ったような専門用語ですが間違っているかもよ。



和様の斗供がきっちり出来ているので少しも貧弱ではない。なにも足さないなにも引かない、そしてじっと動かない。光と影、美しいでしょ。抒情に流れてもいいのだ。そして木鼻は拳風だから大仏様かな?でも一番大事な事は神と仏の混合だというを忘れていました。名前からしてそーなんだよ。



タダ単に灯篭ですが綺麗な線を感じたので、明通寺の階(キザハシ)の時と通じるものがあったので出す。こういうの(直線と曲線の妙)が好きなんです。私の文字では説得力は無い。





西福寺にも寄りましたがカット。小浜のホテルで一泊。大好きな鯖寿司、焼き鯖寿司、旨くて名前を忘れた魚の料理をこれデモかという程食べて寝た。次の日は、期待の大瀧神社。前評判に違わずビックリ仰天の建物。建築家だったら一度は見ておきたいル・トロネに匹敵する怪物でした。ガウディとか有り得ないような形の建築物を創造することもまた、想像することもいいのですが、この大瀧神社はそれ以上の何かを語っています。実際ここにこれが存在するというファンタジーでない異境の世界をみれるのです。遅れましたがこの神様には紙の神様と水の神様が居られるようで、和紙(越前和紙)の神様でもあるようです。故に日本画の横山大観の標字の碑が有りました。他にも古い寺を巡りましたが心は皆に附いていけませんでした。ヘトヘト、歳だね。

明通寺に榧の木が有ったんだけど、樅の木とそっくりだったんです。なのでその違いを検索したらいっぱい出てきました。皆知ってた?

  


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2013年10月17日

へんな山口晃




「ヘンな日本美術史」山口晃:著 祥伝社
静岡新聞に現在連載されている「親鸞」の絵を描いている山口晃の日本美術への見方を紹介した本です。ものを見る事と手で絵を描くことの意味。写実と現実と透視図法と二次元の絵ということ。もうなんども頷きながらも、頭を傾げながらも、読んでいました。でもフッと頭を過るのは、現在の親鸞のカット絵でした。鳥獣戯画から川村清雄(知らなかった)までを山口氏の画く側からの肉声を聞くように読めましたし、違う角度からの日本美術の見方に気付かされました。入門編では橋本治の「ひらがな日本美術史」がとても面白いのですが、ちょっと触ったことのある人は山口晃も読んで欲しいものです。各章の中で気付いたことや、大事な事だなって思ったことは多だあるのだが、それを始めると多分終わらない。建築のことも出てくるがいい加減でないし、説得力もある(法隆寺に関して)。コンドルの師の暁斎も登場するのだ。今迄この絵のどこがいいのか判らない?って思ってた幾つもの絵がアーそういう事なんだ、って興味を深めたのが嬉しいことですね。絵は感じればいい、ただそれだけでもなくて、それなりに理解する知識や努力も必要なんですね。下の写真は連載中のカット絵ですが、正に山口流に人間が表情豊かに色んな角度から書かれています。自由自在な筆。しかしながら日本画と油絵は螺旋模様なんだろうか。

追補:新潮社の「考える人」で小林秀雄賞の授賞式の記事が載っています。  


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2013年10月14日

山本一力



「いかずち切」山本一力:著 文春文庫
江戸時代の金融、経済のシステムを理解していないと前に進みませんが、読んでいるうちにナールホドとなんとなく理解しちゃいます。そのまた裏の社会の人間達が繰り広げる騙し合い。そして信じ合う仲間たち。そう倍返しの物語です。金を持てば騙し合いが始まるんです。如何にして騙して金を手に入れるか、そして金の亡者になるか、その亡者を如何にして貶めることが出来るのか。面白いですねー。500ページにも及ぶこの物語はずーと眼が離せませんでした。登場人物の描き方が上手いし、背景も頭で描き易いし、読み手は劇画を書いてしまいます。いきいきとした市井の人間達が江戸の社会の主人公であったことは確かなようです。  


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2013年10月14日

文楽「ひらがな盛衰記」



また今年もグランシップの文楽公演を観に行ってきました。
 みんながみんな戦っていたり喧嘩をしたりしていて、怨念や恨み辛みの感情が溢れていた時代、また不条理の連鎖の渦中に生きていた人々の癒し(人情味:時代錯誤の古い言葉かも)がこの人形浄瑠璃のストーリーに映し出されている。太棹をバックにした太夫の絶叫が観客の心情とシンクロする。LIVEとはどんな時代にも芸能の原点でもあるんですね。去年の文楽の時も書いてたけど、太棹(三味線)の撥さばきはロックその物です。公演前のワークショップ(三味線)も非常に面白い話が聞けました。間合いリズムの感性は相手を読むこと、共感することを楽しまないと成立しないんだってこと。現代はニセのウワベの共感で溢れているのかも・・・いや昔も今も同じかな?。「ひらがな盛衰記」は子供の取り違えに段を発した話しですが、全体を通して観た方が解りやすいかもしれない、でも充分に面白みは熱演ゆえに私には伝わりました。

昼はお茶の稽古に行って来た。釜が真ん中なので、長板の中置です。中心に釜を据えるという、斜に構えないで真正面を向くという、腰の据わった美学は武道に近い手前なのかな?と勝手に思い込んでいます。ゆらゆら揺れ動く視点の定まらない拙者にはピシッと楔を打ち込んでいる気がしました。がしかし、栗きんとんの菓子を口にした途端に気は緩んでしまいました。前段の文楽と共に、日本の秋のすばらしさを味わった一日でした。

  


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2013年10月11日

映画



映画「風立ちぬ」を観てきました。40年も前に読んだ本なのに当時の記憶が甦っってきて、時代の風を思うばかりでした。堀辰雄の時代、読んだ時代、そして今を生きているという事。どうしようもない自分だけど飯を食って宛ての無い儘、目を開けているし、息もしている。今このときの気ままな風に感謝。
 本を読んだ時の印象とは付随した景色が全く違うから(もっと陰惨な背景)今回はストーリーをくっきり読めた。当たり前だね、絵のある映画だから。私の常で、背景になる絵の部分に眼がいってしまうのだ。一つは上司の黒川。まるで黒川紀章の似顔絵でした。二つめは「魔の山」のサナトリウムの話で、当時はきれいな空気しか結核の対処療法がなかったということ(誕生、燃焼、酸化、腐敗、死を学んだつもり)。三つ目は良寛の書「天上大風」が2回程出て来たかな(なんかいいよな)。それとジブリは乗り物を楽しい夢のある絵にしてくれる。因みに私はDC-3という飛行機が好きです。なんの変哲もない旅客機で鈍いドジョウの様でいて一時代前の流線型というだけなんだけどいい。飛行機には何故か魚や鳥への憧れが在るね。映画に登場する飛行機も夢が満載でした。補足だけど、主人公の二郎がドイツのデッサウのユンカース製作所に研修に訪れるけど、あのバウハウスの基盤はユンカース社だった事を知りました。デザインに納得。モダニズムが息吹いていたある一面では正しい時代でした。個人的に好きなだけかもね。
 夢の飛行機の残骸のシーンと青い空との対比が直接的に反戦を語っていると思いました。


   


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2013年10月03日

縮尻3



「首を斬られにきたの御番所」 佐藤雅美:著
縮尻鏡三郎シリーズを読んでいたけどこれが2冊めらしい。どっちでもいい。深くシリアスな余韻で終わる縮尻なのかと思っていたら、本当はユーモアたっぷりな事を言いたかったのかもしれない。どうしようもなく雁字搦めな江戸時代の社会を生き抜くためには笑いとペーソスが必要不可欠だったのかもしれない。3冊目にして漸くそれが読めてきた。遅かった。鏡三郎は人情味溢れる人なのだ。娘婿の三九郎の朴訥さが劇中の救いです。表紙もスグレモンです。



静岡新聞の記事と昨晩の遷宮の番組Eテレから
昨晩、厳かな儀式を黙って観ていた。真っ暗な中での砂利を踏む音もいいけど、通路上の上屋の軽快さ(丸柱)がいいなと思った。控え柱もね。神官の木靴もなかなかのもんです。儀式には儀式を執り行う人達の美学が調和すると一つの何かが生まれる、見えてくる。危ういのも時にはあるけどね。

  


Posted by 新茶 at 08:46Comments(1)