2015年10月26日

東野



「放課後」東野圭吾:著 講談社文庫 を時代物の間に入れたって感じ。現代物?は言葉の体が直接だから展開が速い。故にそのスピードに捲られて肝心なシーンを気に留めることなく過ぎて行ってしまう事がある。気を付けよう。この「放課後」は先生が命を狙われる。そう、サスペンスミステリーなのだが、非常にトリックが面白いので読むこと必須です。伏線も妙ですが、なんとなく、たぶん、ということに気が付いてくる。東野圭吾はうまいですねー。60年の作品です。えー!

youtubeで秀逸なもの。こわらべの「奴さん」と「舌だし三番叟」は見ものです。バレエもすごい体力を必要とするけど日舞もたいしたものですね。恐れ入りました。これ必見。

  


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2015年10月22日

宿神3,4



「宿神三、四」夢枕 獏:著 朝日文庫 が終わってしまいました。文学的感動というよりも、人間の生のこころを西行により教えられた気がします。全てあるがままでいいのだ。Let it Beみたいです。曲がりくねった長い道だけど、それもまた、廻りの人間が居たからこその西行であったのでしょう。巻三の表紙がすべてを語っています。

  


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2015年10月18日

またも明治村

明治村と有松に志太建築士会の皆さんとバス一台に載って、行って来ました。雨の予報でしたが、雨粒に触ることはありませんでした。青空だ


例によって、珠玉の日本家屋1の鴎外、漱石の千駄木の住宅。正しい日本といえる建築。ここにはあるべき日本の何かが全て投影されている。人間としてもある種の揺ぎ無い確固とした姿勢が見える。


和庇を支える柱脚がアクロバット。わたしはこれでもいいと思う。ものはいつかはこわれる。見守りと手当さえあれば存在していていいんです。


マトリックス座標の迷路、日本家屋はマトリックスという抽象なのだ。


おじさんの生きがいが、笑顔に表れています。立ち続ける、でもいいんだそうです。


河原町のコンビ。徳ちゃんとまさみちくん。焼津の八雲邸の駄菓子屋。2階のスケール感が遠近法を錯覚させて、世の中には闇や魔物も一緒に生きているかのような不思議な時間を味わえます。昭和の少年時代が頭をよぎる。半世紀余も前のこと。


風呂屋:渋い色合いよりも不思議なモンドリアンも舌を巻く格子の平面構成です。堀口捨巳はかつてどこにでも隠れていたのですね。


ここに書かれているのは、フランシスコ・ザビエル教会です。欄間はタンパンでいいのかなあ


そんでもって、ライトの帝国ホテル。ライイトの建築にさわれるだけで、感謝いたします。装飾やらオーガニックやらと言葉はでてきますが、芸術の一言です。5寸角のモデュールに込められた閃きは神々しい建築の存在を表現しています。建築に何が可能かって言えば場の空気。


アール・デコもライトにかかれば自家薬籠中の物になってしまう訳で、全ての基盤はライトに有るのかもしれません。


読んでいなかったので判りませんが、ルネッサンスやらメディチ家が・・・ヴィーナスの誕生か?


三重県庁の白亜による政(まつりごと)の象徴。白の意味するところは律儀、潔白、正義そして希望てことですか?月光仮面も白だった。


木造3階建ての出桁(セガイ)作りの軒先。異様にデカい額縁ケーシングが驚きなんだけど、会津の町並みでは違和感がないのかもしれません。



前回も同じことを書いていたかもしれませんが、この露伴邸の玄関はさりげない心が行き届いていて知的です。この床は不思議なあるべく必要な空間なのです。この沓脱石もそうです。


鴎外邸、露伴邸も欄間の障子に目が行きます。丁寧な空間づくりなんです。「神はディールに宿る」ってね。きっちり。わたしには出来ないきっちり


有松の町並みのあたりまえにある家屋の姿。このレベルが当たり前っていうのもスゴイことです。


どこに道路境界線は在るのでしょう。美しい町並みはどんな角度からでも美しいものです。

明治村と有松は兎にも角にも、あの建築群に逢えるだけで幸福の一部を味わえる、感動や驚きは継続もするという奇蹟です。  


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2015年10月14日

文楽と光明寺







12日の夜は文楽。グランシップでの一年一度の人形浄瑠璃なのだ。今回は「絵本太功記」と「日高川相花王」で明智光秀の家族の悲しい宿命と安珍、清姫の清姫が川を渡る渡れないの話しで大蛇の登場。絵本太功記での太夫はにほんごであそぼで同じみの咲甫太夫さんが熱演。まあ熱演のない太夫は存在しないんだけどね。それにしても顔をみているだけで、人形の感情が読み取れます。だから今回も床に向いてすわっていました。人形、舞台は疎かになってしまいました。太棹と太夫は情熱のるつぼです。こちらの顔まで太夫さんの顔になってしまいますし、太棹の撥で三味線を叩くさまが移ってきます。途中で糸を替える時の真剣さは拍手したくなります。結局全てが、ため息ものの連続なのです。中世の日本文化はすごいんだぞー。

13日は鎌倉の光明寺での十夜法要に西運寺の檀家衆と近在の浄土宗の寺の檀家さんとで行って来ました。光明寺は伝技塾で行ったことがあったので二回目です。禅宗様の詰組が美しい山門でした。今回山門が公開されて上に昇ってきました。七里ガ浜の海が見渡せるこの楼門はすばらしく、鎌倉時代の景色が如何ほどであったかを垣間見せてくれます。風光明媚とはこういうものなんですね。法要の内容はよくわかりませんが、人の多さと宗教の空気に圧倒されてしまいました。多くの参列者たちのトランス状態も異境の世界に入り込んだみたいでした。伊久美さんは鐘楼の木鼻のボタンの花の透かしに見惚れていました。どういう風にして刻んだんでしょう。手品です。本堂に居ないってことは信心うすいんです。
 
豊竹咲甫太夫さんの字が間違っていました。ごめんなさい。  


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2015年10月11日

宿神1,2



「宿神1,2」夢枕 獏:著 朝日文庫
ようやく2が終わりました。待賢門院璋子様がお亡くなりになる処までです。辻邦生の西行花伝とは違う人物描写で非常に心を揺すられます。先に夢枕のほうを読むのが良いのかもしれません、なんとなくだけどね。いや、先に辻を読んでいたからこそ、夢枕の面白さも味わえるのだなと思う。時代が平安から鎌倉へと移りゆく頃、貴族や皇族が策略陰謀の渦の中で、安穏としていられなくなり、武家が力で持って台頭する兆しが芽吹きはじめる頃です。正にその頃の都を担っていた清盛と西行の舞台を描いています。この辺はNHKの清盛です。歌の文化にスポーツの文化、心から肉体へと移る過程でもあり、日本のルネッサンスが始まろうとしていた時期です。武家社会が遠くからジワジワとしのびよる前日でもあります。市民社会まだまだホント遠いんだ。物の怪まで登場する夢枕の西行はじつに劇画的であり、擬音やエフェクターをまき散らしながら、感情のどしゃ降りの雨でもあります。これもまさしく獏的です。その点で辻の西行は極めて純文学的叙事詩であり、気品が香る西行でした。まだほんの出だしだけどね。書かずにはいられないほど面白い作品です。 こらから3です。表紙がすごくいいです。鴫立つ沢の秋の夕暮れがでてきました。
 今朝の日曜美術館の五姓田義松の「老母図」はすごかった。私も母を思い出して泣いてしまいました。まさしくあの図でした。ゴッホを先んじていました。あの時代にしての鉛筆画も唸ってしまいました。
   


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2015年10月01日

10月4日の情熱大陸

昆虫の丸山先生が10月4日(日)の「情熱大陸」にでます。観ましょう。

観ました。30分では短くて伝わりにくいけど、本を読めば昆虫の面白さ、いや生物という得体の知れない自分に気が付く筈です。複雑だからこそ面白く、興味は尽きないんですね。多様性のありのままを受け入れる姿勢がジャングルの夜の画面に映っていました。諦めないんだね。  


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2015年10月01日

なまなりひめ



「生成り姫」陰陽師 夢枕 獏:著 文春文庫 でした。この平安時代の劇が現在も宇宙の何処かで生々しく進行しているかのように思えてなりません。劇中の登場人物たちが、現在の私達と同じ心持で物事に接しているような気がするのは、夢枕の術です。でも多分時代がいくら変わろうとも愛憎の心理は同じなんでしょうね。医学と同じく極めてアナログなんです。生身の人間の体と心の様はデジタルにならないのです。そして普遍なのです。恋に破れた女が呪いをかけて未練がましくも憎き男を息絶え絶えにしてやろうと鬼になって殺そうとする。それを救おうとする晴明、そしてその気のふれた徳子姫に心をよせた博雅。愛と憎しみはグルグル渦を巻いて成り果てるのでござりまするデデント、デンデン。今迄の事件ごとの短編を、一つの「鉄輪」を元に長編に仕上げて上手い!と云わせる物語になっています。鉄輪は謡曲のカナワです。五徳です。表紙の画の頭に付けていますねー。眼には見えない、人の恋焦がれてしまうという感情をあの五徳で表現するというのも、なんというか言いようのない日本ですね。表紙もよろしおすえー。  


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