2011年10月28日
すわ
オカピーさんの仕事に便乗してこの忙しい中に諏訪方面に行って来た。信州は特色のある景観が美しい。寂れた清里を除いてだけど。志太地方と違うのは、槇囲いが、イチイの木であることだ。今、小さな真っ赤な実が生っていて、ビックリした。カナダっぽいと感じた。

現場近くの白山神社の周辺は歴史的な区域で、郷倉、水神さん、毘沙門堂が在りました。


近在の重要な場所らしいです。この地方の神社には柱が何処にでも建てられています。諏訪大社の縁でしょうか?誰か教えて下さい。

多少?時間があったので、サンリツ服部美術館、諏訪湖博物館(赤彦美術館)、片倉館にも寄りました。偶々サンリツでは「江戸時代の絵画と茶」展をやっていて、見たかった光悦の「不二山」が見れました。感激した。他にも優れ物を見たのですが、宗達の絵に光悦の書が書かれた、色紙に惹かれました。ヘタウマ(言い方が悪いね)の絵に抑揚の効いた書は芸術の何たるかを、サイズに関係なく表現していると思いました。宗入作の黒楽茶碗の「若草」、仁清作の肩衝茶入もウワーとため息が出るほど光り輝いていました。写真がないのでお許しを。サンリツの入口の門灯の格子キューブが祠の穴と似ていると思ってとりました。

我が家の地の神もね。諏訪湖博物館は伊東豊雄の設計で、計画案のでていた当時は芋虫が地中から這出て来たのかと思いましたが、後ろ半分は在りませんでした。でもすごいね。栗田勇だったらなんと表したでしょうか。劇的であることは確かです。外観だけで片倉館に向かいました。


しかし温泉は休館でした。ざーんねん。英国調アールデコ(薄いアールデコ)ですが、マッキントッシュをイメージしたらちょっと違うけど、東京大学のキャンパスみたいでした。だから香山寿夫が頭を過ぎりました。


帰りは寂れた清里を見ながらリンゴを買って帰途しました。オカピーさん、ケロチャン、我田引水の自称詩人に付き合ってくれて感謝します。
現場近くの白山神社の周辺は歴史的な区域で、郷倉、水神さん、毘沙門堂が在りました。
近在の重要な場所らしいです。この地方の神社には柱が何処にでも建てられています。諏訪大社の縁でしょうか?誰か教えて下さい。
多少?時間があったので、サンリツ服部美術館、諏訪湖博物館(赤彦美術館)、片倉館にも寄りました。偶々サンリツでは「江戸時代の絵画と茶」展をやっていて、見たかった光悦の「不二山」が見れました。感激した。他にも優れ物を見たのですが、宗達の絵に光悦の書が書かれた、色紙に惹かれました。ヘタウマ(言い方が悪いね)の絵に抑揚の効いた書は芸術の何たるかを、サイズに関係なく表現していると思いました。宗入作の黒楽茶碗の「若草」、仁清作の肩衝茶入もウワーとため息が出るほど光り輝いていました。写真がないのでお許しを。サンリツの入口の門灯の格子キューブが祠の穴と似ていると思ってとりました。
我が家の地の神もね。諏訪湖博物館は伊東豊雄の設計で、計画案のでていた当時は芋虫が地中から這出て来たのかと思いましたが、後ろ半分は在りませんでした。でもすごいね。栗田勇だったらなんと表したでしょうか。劇的であることは確かです。外観だけで片倉館に向かいました。
しかし温泉は休館でした。ざーんねん。英国調アールデコ(薄いアールデコ)ですが、マッキントッシュをイメージしたらちょっと違うけど、東京大学のキャンパスみたいでした。だから香山寿夫が頭を過ぎりました。
帰りは寂れた清里を見ながらリンゴを買って帰途しました。オカピーさん、ケロチャン、我田引水の自称詩人に付き合ってくれて感謝します。
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09:29
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2011年10月23日
眼高手低
ほぼ日新聞の糸井重里のエッセイで云っている言葉に「多忙は怠惰のかくれみのである」と「眼高手低」は糸井の高校の先生が言っていた言葉らしいのですが、今更ながら身につまされます。「多忙・・」はそのままの意味で、常日頃から自分に言い聞かせてはたまに反省しているわけですが、「眼高手低」は鑑賞眼、批評は出来るが、いざ自分でやってみると、全然出来ない。言葉に技術が伴わないことだそうです。大方は眼低手低で気が付いていないのですが、これも又身につまされます。でも、その失敗に気が付くことが、次のステップへの足掛かりなんでしょうね。私の場合は失敗の連続に足が絡まって、前に進めないんですが・・・やるかやらないか、じぶんを変えるのは今の瞬間で、たった今なんだ・・・っていう詩があったね。60過ぎてこんなことを云っているなんてのも恥ずかしいかぎり。反省の日曜日です。
今朝柿を採った少しだけど(大部分は鳥にあげた、身が割れたのが多い)旨かった。柔らかいのは好きじゃない。病気の時に食べたからかな?柿って随分と日本的だなって思う。
かきくえば むかしはいずこ まきがこい
今朝柿を採った少しだけど(大部分は鳥にあげた、身が割れたのが多い)旨かった。柔らかいのは好きじゃない。病気の時に食べたからかな?柿って随分と日本的だなって思う。
かきくえば むかしはいずこ まきがこい
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12:31
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2011年10月22日
読んだ本
「オサキ江戸へ」高橋由太著 副題はもののけ本所深川事件帳
舞台は江戸本所深川。もののけが付いた主人公ともののけがその能力を発揮して、事件を解決する。なんてことはない普通の時代ミステリーだけどその設定がいい。そして登場人物達の風体、性格の描き方がナントモホンワカです。
「1950年のバックトス」北村 薫著 短篇集 全編にわたって思い出が、今甦る。人と人の絆。北村 薫は心の隅っこにある切ない想いを、暖かく納得する思い出に変えてくれる。本当は誰でも仕舞ってある思い出ってもっているんだね。男でも女でも、若くても年をとっても。私も。
「華のなにわの舞台裏」向山正家著 副題は仕掛け人並木正三ばなし 近松、西鶴だけでないこの時代の戯曲家達の舞台裏の話。今で云えば芸能界の裏話である。歌舞伎と文楽の作家達の生き様を描いている。回り舞台の発案はこの並木正三である。それ以前は能舞台の形が全てだったらしい。以上の3冊が面白かった。夜中に読むんだけどまだ蚊がいます。耳の周りでプーンと鳴ったりしていました。何処から入って来るんだろう。蚊の命も儚いです。
舞台は江戸本所深川。もののけが付いた主人公ともののけがその能力を発揮して、事件を解決する。なんてことはない普通の時代ミステリーだけどその設定がいい。そして登場人物達の風体、性格の描き方がナントモホンワカです。
「1950年のバックトス」北村 薫著 短篇集 全編にわたって思い出が、今甦る。人と人の絆。北村 薫は心の隅っこにある切ない想いを、暖かく納得する思い出に変えてくれる。本当は誰でも仕舞ってある思い出ってもっているんだね。男でも女でも、若くても年をとっても。私も。
「華のなにわの舞台裏」向山正家著 副題は仕掛け人並木正三ばなし 近松、西鶴だけでないこの時代の戯曲家達の舞台裏の話。今で云えば芸能界の裏話である。歌舞伎と文楽の作家達の生き様を描いている。回り舞台の発案はこの並木正三である。それ以前は能舞台の形が全てだったらしい。以上の3冊が面白かった。夜中に読むんだけどまだ蚊がいます。耳の周りでプーンと鳴ったりしていました。何処から入って来るんだろう。蚊の命も儚いです。
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15:59
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2011年10月18日
文楽
17日夕、グランシップで文楽を見て来ました。ボントロさんとお茶の先生と一緒でした。三浦しおんさんの本「仏果を得ず」「あやつられ文楽鑑賞」に触発されて出かけた次第で、演目は「団子売」と「摂州合邦辻:合邦住家の段」でした。16日の夜11:00からNHKで写真家:杉本博司三監修の文楽「曽根崎心中」も見てましたので、イメージが随分と違いました。本を読んで自分のイメージを作って、テレビを見てまたイメージを作って、変化していたのですが全く違いました。やっぱり本物の持つ迫力ってのには適わないです。実感としてはまず、舞台のスケールがデカかった事と、義太夫と太棹の熱演は並外れている事です。舞台に関して言えば、一人の人形を三人で操れば、結構舞台が広く要るんだろうし、義太夫と太棹で音の全てを表現しなければならないことを知ればあのパワーは必然なんですね。それにしても圧倒的な迫力で迫ってくる芸能に久々に会いました。あんなに語れる喉は、並大抵でない努力と鍛錬があったのでしょう。文楽の大部分は人情物と世話物なんだけど、それを芸術の域にまで高めているのはなんだろう。演者全体が義太夫の心持ちと同じでないと舞台が出来ないですね。太棹、人形との呼吸の合わせ方は芸術的セッションでした。また機会があれば見にいきたいね。思い出して興奮しているので、文面が散らかってしまいました。脈略の無い文面はいつものことだけど・・写真がヨコでゴメン!自分の想いを書くと云うのは難しいです。草々
追記:極めて参考になる本が有りました。「豊竹咲甫大夫と 文楽へ行こう」旬報社まんぼうシリーズです。図説がとても良く出来ていて理解し易いです。地方公演の10月以外は東京の国立劇場、大阪の国立文楽劇場しかないです。中々難しいですね。シュン・・。
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11:43
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2011年10月13日
3冊
「まほろ駅前便利軒」三浦しをん、「粗忽拳銃」竹内 真、「オチケン」大倉崇裕の3冊を読み終えた。一番印象に残ったのは「まほろ・」3冊ともドタバタ&ミステリーで好きな本でした。読者の心を抉る言葉が本の中には散りばめて有るのですが、何処だったかは後で捜すと見つかりません。「粗忽拳銃」では付箋を貼ってみました。解っているようで解っちゃいない、野暮と粋との話は上手に語っています。「オチケン」の付録は嬉しい付録でした。なかなか深いよ。
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21:43
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2011年10月07日
奈良法隆寺他
NPO伝技塾の研修で法隆寺、法輪寺、法起寺、新薬師寺に行ってきました。新薬師寺近くの志賀直哉邸はまたいつの日か。新薬師寺のバサラは感動しました。小さいのにすごいです。参った!って感じ。写真が撮れないから本堂外部正面で我慢

内部構造は叉首組梁のみの構造で珍しいのだ。

法輪寺の三重の塔:軒先の出が深い。この軒先を支える為に匠たちは知恵を絞った。全ての事には理由がある。

法起寺の三重の塔:似ているというより同じ法隆寺様式である。肘木は雲形肘木が特徴。他にもあるけど・・

典型的なアングルで左の塀には貴重な上土門がある。この後金堂、五重の塔、講堂、経堂、鐘楼をカットして

聖霊院です。鎌倉時代の建築で聖徳太子の霊が祀ってある。厨子正面の緩やかな唐破風が有名ってこと

高床で屋根が低いけど、蔀戸の跳ね上げが伸びやかさを表現している。

障子と登高欄の妙。なんかいいよね。

名称は解らないけど賽銭箱かな?どうでもいいんだけど好きです。それと暖簾のような奈良、天平時代風な幕も素敵で、欲しいね。回廊内の建物をちゃんと見たのか?って言われそう。


綱封蔵と云う建物で正倉院と同じプランですが、私はこれが好き。列柱もいいね。

北西に有る西円堂へのアプローチ。美しい階段と土塀の連なり

西大門から東大門方向を見ると本当に美しい景色だと思う。
すごいものをこの時代に造ったものです。勉強になりました。感謝
内部構造は叉首組梁のみの構造で珍しいのだ。
法輪寺の三重の塔:軒先の出が深い。この軒先を支える為に匠たちは知恵を絞った。全ての事には理由がある。
法起寺の三重の塔:似ているというより同じ法隆寺様式である。肘木は雲形肘木が特徴。他にもあるけど・・
典型的なアングルで左の塀には貴重な上土門がある。この後金堂、五重の塔、講堂、経堂、鐘楼をカットして
聖霊院です。鎌倉時代の建築で聖徳太子の霊が祀ってある。厨子正面の緩やかな唐破風が有名ってこと
高床で屋根が低いけど、蔀戸の跳ね上げが伸びやかさを表現している。
障子と登高欄の妙。なんかいいよね。
名称は解らないけど賽銭箱かな?どうでもいいんだけど好きです。それと暖簾のような奈良、天平時代風な幕も素敵で、欲しいね。回廊内の建物をちゃんと見たのか?って言われそう。
綱封蔵と云う建物で正倉院と同じプランですが、私はこれが好き。列柱もいいね。
北西に有る西円堂へのアプローチ。美しい階段と土塀の連なり
西大門から東大門方向を見ると本当に美しい景色だと思う。
すごいものをこの時代に造ったものです。勉強になりました。感謝
Posted by 新茶 at
17:29
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2011年10月02日
「悪党芭蕉」
「悪党芭蕉」著:嵐山光三郎、新潮文庫を途中で諦めないで読みました。実に詳細に芭蕉の生き様を現しています。今まで床の間の掛け軸の中に鎮座していた俳句の聖人が、茶の間に、いや土間に生身の人間として現れたようです。だからと言ってすべての句が地に落ちたかとは言えず、逆に味わい深く誰にでもうなずける優れた句だと思えるのです。芭蕉の云う「不易流行」「軽み」「作為の否定」は難しくて理解できず、自称詩人としては落第です。「奥の細道」の序文で漢文体の「月日は百代の過客にして・・・」はオリジナルではないにしてもスゲーカッコイイと思いませんか。やはり聖人です。

Posted by 新茶 at
18:42
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