2013年03月28日
和菓子のアン
「和菓子のアン」坂木 司:著 光文社文庫
アンドーナッツと同じようなストーリーが展開されるのかなあと思っていたら、ちょっと違う。これはアルバイトの店員の話。この作者は以前このブログで紹介したことのある引きこもりの探偵を書いていた人です。若者のビミョーに揺れ動く心理を上手に表現して、思いやりを暖かい目で見ている人間を描く人です。ですからこの「和菓子のアン」でもこの点が満載。不可解で些細な行動の謎解きも心温まる解決が待っています。次いでですが、和菓子の奥深さも納得してしまいます。お茶が飲みたくなる本です。
ボントロさんの葬儀に使う紙垂を作りました。(と言っても私じゃない)300枚です。半紙に切り込みをいれて折り曲げます。雷の形を表しています。とても綺麗な幾何学で三次元を伴った二次元です。清浄無垢な日本人なら誰しもこの美学に恐れ入ってしまうでしょう。この紙垂を士会の友人達と集めてきた榊に麻で結わえて玉串を作ります。注連縄にも下げます。神徒でない私ですが、この形式にも深い感銘を受けることが出来ます。葬儀の準備に少しでも参加出来る事は有り難いことです。
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10:41
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2013年03月27日
ボントロさん
ボントロさんが亡くなりました。ボントロさんとは30年以上友達として付き合ってきました。このブログを始めた切っ掛けもボントロさんがけし掛けてくれたからです。悲しんで鬱になったりしたらボントロさんに申し訳ないと思い、今ここに書いています。本当に長い付き合いで、私の頼りの人でした。でもこれからは思い出を糧にしながら、毎日を慈しんで過ごそうと思います。ボントロさんもあの世で吉田秀和さんと逢って音楽談議をしてみてください。届くかなあ?
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21:58
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2013年03月24日
マンネリブログ
静岡新聞の今朝
ヨモットの巻頭のアルマ望遠鏡です。観測が始まるそうです。口径20KMに相当する望遠鏡で、生命や宇宙の起源などを推測できるかもしれないのです。昨日書いた亡霊や怨念、魂とかも面白いけど、未知への科学の探求も面白いと思う。心と科学が目指すところってなんだろね。
晶子百花繚乱と紫匂うのカット絵
春の日となりて暮れまし緑金の孔雀の羽となりて散らまし
華やかに輝けば輝くほどに、枯れた時の侘しさも大きく映るものだけど、それでも輝きたい春の日に散っていきたい。と読んでしまいました。がしかしです。輝けるとはなんでしょうね。カットの日下 文の蜘蛛の巣の絵も、派手な色をした昆虫が絡まって蜘蛛の餌食になっているようにも見えます。
巻末の文 おごりなんて、まこと若き日の幻想に過ぎませんよ。今の私は暮れるか散るか、もうそれでよいと思っているのですからー
きっぱりと、いいです。晶子は潔いのだ。
「紫匂う」のカット絵は白モクレンの絵です。清々しい春の景色を蔵太の心に変えて描いています。以前、蔵太が乗り越えた逆境は澪の点てた濃茶であったこと、その時咲いていた真っ白なモクレンに象徴されていたこと。優しさってのは日々の行いに潜んでいるんですね。言葉にしたり、文字で書いたりすると恥ずかしいけどね。
ちょっと前のブルータスだけど、現在の文芸の一端が見えると思って図書館から借りてきました。芸術新潮の2月号の小林秀雄の特集を一緒にです。小林秀雄のことを書けるほどの私ではないので、信楽の壺「うずくまる」が私も好きだと云えるだけです。
若手の作家のダイジェスト、短編を載せていて現代は実に爽やかに筆を駆使していて気持ちがいい。言葉を変幻自在に操れていて、淀みが無い。ちょとした心持もすんなり一つの作品に出来るってすごいことです。伊坂と万城目も入っていたので嬉しくなっちゃいました。
そのブルータスの後ろの方に 故バーナード・リーチの陶磁器が復活?っていうのがあった。
この黄土色のコーヒーカップは以前何処かで見た記憶が有ったのですが、買えちゃうの?もうこのコーヒーカップに勝るものは無いと自分勝手に描いていました。モダニズムその物というよりやはり民芸の匂いがします。少し勾配の有る胴と口縁のカット、取っ手の安定感そして色合いの素晴らしさ。
写真全部が春霞になっています。
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11:11
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2013年03月23日
京都の謎
「魔界都市 京都の謎」火坂雅志:著 PHP文庫
歴史の都京都の怨霊と闇の世界を網羅した内容である。京都というエリアにある寺院や神社全てがこの怨霊に抗うための装置と云えると著者は言っている。そしてこの膨大な怨霊達が今、現在も渦巻いていると言っている。歴史的な都市故の宿命なんだろうが、これらをそのまま引き継いでいる京都人もスゴイことですね。原因と結果の科学的処理が出来ない時代の産物ですが、信じる信じないとかより、それに頼らざるしかなかった人達の足掻きでもあるわけだから、結果としての興味は募るばかりです。歳をかさねると魂とかのイメージに弱くなるんだよね。今日も葬式に行ってきましたが、その人の思い出は大事にしたいと思いました。文中で面白かったのは。稲荷と茶吉尼の話と小野篁が魔界と現世を行き来する話でした。まあ観光でざわざわ歩くのも面白いけど、こんな歴史も知っておくと面白いかもね。
小さなカットは「紫匂う」の囲炉裏での小枝に火を付ける絵なんだけど、手が美しくて艶めかしい絵になっているのは、背景がそうさせていると思った。とってもいいです。
書評の「高瀬舟」森鴎外です。切ない安楽死がテーマですが、森鴎外にかかると言葉に出来ない涙を誘います。私が好きなのは、興津弥五右衛門の遺書です。候文の傑作で、これまた切ない武士の話です。ソレガシギで始まります。読んでみてくれー!
瀬戸川の桜が咲き始めましたよ。ボントロさんとうちの母にも見せたいと思って桜の下を通ってきました。
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17:33
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2013年03月19日
はぐれ牡丹
「はぐれ牡丹」山本一力:著 ハルキ文庫
山本一力の「あかね空」の次作です。江戸市井の健気で強く逞しく生きる娘です。このジャンルの話は時代物では定番なのですが、それゆえに作者の本領が発揮される分野です。一力は家族の絆を加味して、一つの秩序を説得しています。秩序とは序列や格差でなく人々の思いやりや慈しみによる倫理観に近い絆を言っていると思いました。弱い者同士が生きる為にはこの絆のみが糧になるのです。当たり前の事なんだけど口にするとなんか説教じみてしまいますが、物語になると説得力があります。
先の土曜日に藤枝市博物館主催の建築見学会(鴫谷家の長屋門、若宮神社、花沢の集落)に参加しました。説明係は伝技塾と志太建築士会のまちづくり委員会が担当しました。私の担当は鴫谷家の長屋門でした。拙い説明を見学者の皆さんは暖かい目で聞いて下さいました。感謝します。こののち若宮神社を本多さん、花沢の集落を三津原さんが説明してくれました。楽しい土曜日でした。帰りにわけぎと梅干を買ってきて、マーケットでイカのゆでたのを買ってきてヌタを作りました。旨かったなー。幼いころはヌタなんて大嫌いだったのになー。こんなに季節を味わえるものなんてめったにないよね。日本の季節っていいなあ。
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13:47
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2013年03月14日
茶人物語
「茶人物語」読売新聞社編 中公文庫
母が入院して、昨晩付き添った。時間を弄ぶのが辛くて読み続けた。痰が肺に溜まって血中酸素が半分まで落ちて、低体温になった訳である。吸引を施して今朝体温も36.5度に回復して、血中酸素も100%になったので、私は自宅に帰ってきた。病室に居たからって私が処置をするのではないけれど、時々手を握ったり、顔を撫でたり、話しかけたり、しただけである。でも本人は病院に居る事は判っているらしいので、何かが不安なのである。7階にはそんなお年寄りが大勢います。不安で、寂しいのは誰でも同じだけど、手を握ったり、言葉を掛けるだけで和らぐものなんですね。気丈だった母もしかりです。
本に戻って、歴代の茶人48人の話を逸話も交えながら、茶の起こりの陸羽から、近世の岡倉天心までを述べています。茶の湯が不立文字による伝承なので、いろいろと誇張されたり歪曲されて我々に伝わってきているのですが、その人たち其々の個性ある茶はそれなりに見えてきます。心に残ったのは、小堀遠州の歌で、「春は霞、夏は青葉かくれの郭公、秋はいと淋しさまされる夕の空、冬は雪の暁、いずれも茶の湯の風情ぞかし」という歌です。「枕草子」そのものだけど遠州の茶なんでしょうね。それと、これらの大勢の茶人たちが常に道具を見せびらかして得意になる茶に悲観していたことです。いつの世も同じです。茶の湯ってコミュニケーションだと思うけどね。
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11:45
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2013年03月12日
鮎師
「鮎師」夢枕獏:著 文春文庫
バタバタした毎日と風邪と鼻炎で日々を過ごしていたら、本を読まずに過ごしていました。有り得るんだね。でもって、昨日に読み終わったのがこの本です。夢枕獏は惹きつけるのが旨くて、話を聞いているようで、字を、文を追っている気がしないのだ。さすが!ですね。内容は巨大と云える鮎を追いかける曰く憑きの釣師(鮎師)に惹かれた主人公が語るその鮎師と鮎の話である。釣りのド素人でもその感覚をリアルに感動させてくれます。陰毛の毛バリには恐れ入りました。川原の雰囲気は小さな頃に叔父に連れられていった朝比奈川の釣りの風景を甦らせてくれました。その叔父も私の母と同じく要介護の人になりました。
そんでね、少し逸れて表紙です。いいでしょう。神村雪佳「蝶千種・海路」だそうです。琳派ファンだと知っている雪佳です。どこも尖っていないで、木綿のような絵っていうのも日本の夏を象徴しています。
少し暖かくなってきたので、湯たんぽは止めました。寝るときに、足の指とアキレスを運動させてから寝るとホカホカしてきてグッスリです。もう春だね。ボントロさんも眠りから覚めないかなー。
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2013年03月07日
おいち と 紫匂う
紫匂うのカット2枚村田涼平さんです。いいですねー軽やかに描きながら登場人物たちの心情を色濃く絵にしている。走りこんでくる浪人の草履の反り返りが劇画になっていますね。
右は「おいち」あさのあつこ:著 PHP文芸文庫です。私はこの手の表紙の絵が苦手です。誰かおしえてくれ!この手の絵のいいところ をだ。まるで少女マンガじゃないか。フェミニン?幻想に埋没していなさい。誹謗中傷はこの辺にしておいて、しかしながらこの表紙に惑わされてはいけないのがこの物語。有り体に江戸の庶民の健気さを語っていると云ってしまえば、そこで終わりなんだけど、人の思いの遠回りだけどやさしさや思いやりの絡んでしまったところをあさのあつこは独自の切り口で描いていると云うことだね。読んでみなけりゃ判らない。シラーーー。でね、この手の話の絵は上記の村田涼平さんのような絵が向いているんだと思った次第です。
昨日は風邪で寝込んでしまいました。今はなんとか抑えていますが、ぶり返すかもね。鼻炎と風邪の併用はあらずと思い込んでいましたが、立っていられないほどのけだるさと、咳ではないくしゃみの連弾に脳と体が負けてしまいました。故に医者に行ってから寝た。鼻炎のくすり、と風邪のくすりでなにがなんだか、コンランしてます。こんな時、今まではプールに行って泳いでくると何ともなかったのように過ごせたのになー。昨日は皆様にご迷惑をおかけしたそうで、御免なさい。読んでいる人しかわからないね。
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08:44
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2013年03月03日
円朝の女と養老先生
「円朝の女」松井今朝子:著 文春文庫
まず、この本全体は語り口調なのである。それがまた、すんごく上手い。本当の落語を聞いているかのようなリズムを読み手に強いるのであるが、これが快感。高座の前で聞きながらシーンを頭に描いている状態である。明治の落語家「円朝」の付き人が円朝に係わる女たちを縦横無尽に語ります。なかでも秀逸なのは、「円朝の娘」です。他は、全体のながれをみても、この娘のことを書くための伏線ではないかと思わせる程この娘:せっちゃんの話はグンときます。だからといって、他はつまらないのではなく胸を打つ話の連続です。今ではこの中で語られる様な女性や人間たちは存在しないのでしょうが、この様な人間たちの生き様は確かに我々を魅了させてくれます。
これを書いている途中に日曜美術館の時間になったので中断して、キャパの特集を見ました。モノクロ写真の奥深さを見た気がしましたが、それが深すぎて時代はこれを隅に追いやってしまったようです。今のこの時代の行き着く先はドンドン平滑になって、スーパーフラット。少し角のあるものや、味や匂いの有るものは排除されて行きます。追いやられた日本の文化も然りです。こんな風に時代は変わり、進化していくのか。
左今朝の養老先生です。これまた深いテーマです。寝ると起きることの不思議さが語られています。こんな単純なことがまだまだ生命科学の中で解明できないことがあるなんてことが愉快と云えるほどです。終わりに、科学は意識の一部分。だからすべてわからなくても当たり前。私はそう思っていますけど…。っていうのがまさしく養老先生らしくてニカってしてしまいます。眠りの遺伝子の注釈も面白い!
Posted by 新茶 at
10:40
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