2015年02月28日

エイジ



「エイジ」重松 清:著 新潮文庫 を終える。擦り傷のようにヒリヒリする青春の始まりに、自分でない他人をどんな風に理解してゆくかが、テーマです。勿論自分もです。中学時代と云うのはそういう世代なんだ。病院と学校しか知らない私の中学時代には、この今の子供達が随分と大人びている風にも見えます。何も考えていなかった自分が思い出されます。しかしながら、大人とか子供とかの区別を考えてみれば、時間差しか無くて、大人に見える人間も幼稚な頭がそのまま時間だけ過ぎた恥ずかしい大人風がいかに多いかということです。重松を読むと学校も世間も似たり寄ったりなんだと思います。みんな心の中で叫んでいる。云いたいことをいっぱい詰め込んで黙って歩いているんだろう。
 荻原と交互に読んでいたけど、違うのも読んでみるかな。と云えども似たような知っている作家にしか食指がうごかない、狭いんだ。

筍がもう出ているんだってさ、もうじき春が来る。何も変わらない。  


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2015年02月22日

荻原 浩のつづき



「なかよし小鳩組」荻原 浩:著 集英社文庫が終わる。やくざの組の宣伝媒体を創らなければならなくなったユニバーサル社です。想像通りのドタバタが冷や汗と笑いが交互に繰り返されて訳の解らないまま、深みに嵌ってしまう杉山君です。この杉山君のシリーズは結局娘の早苗との物語なのではないかと思いました。ジワーと鼻の奥が暑くなってしまうのは早苗とのやり取りなんです。親子の情ですね。オロロ畑やさくら通りも素敵な面白さでせまってきますが、小鳩組はそれ以上です。でもね、作中に「幸せはくらべるものじゃないわ」「不幸は比べることから始まるのよ」って言葉がある。物語も同じです。

息子がまた出掛けてしまいました。帰りは4月でしょう。回り道をしていますが、見守るだけです。



中学の時の恩師が言っていた「宵の明星、明けの明星」の金星です。このコラムにこの星がいつ出てくるのかと待っていました。小さな頃から、一番星という抒情性やノスタルジーに夕焼けも絡めて惹かれてしまうのも、私だけではないでしょう。美しい記事です。





  


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2015年02月17日

青い鳥



重松清の3冊目かな?連作集を続けて読んでいるので、どれがどれだかわからなくなっているけど、この村内先生は忘れないだろう。吃音であまり大声では喋らない先生だけど、大切なことは大切にしゃべる。つっかえつっかえしても必ずしゃべる。解かり難いことも丁寧に村内先生にしか表現できない語りで、喋る。自分の正体や、人の心や体って一体なんなんだ?と不安や不可解で、闇雲に走り続ける毎日に、ふッと立ち止まれる言葉を聞いて一歩づつ進むことを教えて貰えることは、充分に幸せな事です。誰しもそんな人が一人や二人居るものですね。私にもそんな先生が居ました。既に他界されていますが、何かと云っては相談にいきました。はっきりと答えてくれるのでは無いのですが、笑顔で聞いて、笑顔で答えてくれました。どんなに頑張ったって一人では生きられないのです。他人と寄り添って他人の中で生きてゆくしか道は無いのですね。  


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2015年02月15日

「きよしこ」



「きよしこ」重松 清:著 新潮社 を読み終わった。「きみの友だち」より時代が下ってるから、私の世代でも背景をイメージし易いし、心情的には近いと思えた。吃音を抱えたきよしくんの少年期の心理状態をあからさまに読めて、自分の若き日の辛かった事や、楽しかった事を思い返しました。きよしくんの周りには何時も変わった人が登場しますが、本当は少しも変わった人達ではありません。何処にでも居る、そう、私の周りにも大勢居る普通の人間です。皆それぞれに思惑を抱えていて苦悩しながらも、泣きながらも、笑いながらも平然と毎日を過ごしている人達です。色々な人達の中で試行錯誤しながら生きてゆく少年の逞しさや、健気さに涙する連作の物語です。気付くと涙ですから、電車では読めないかも。重松は続く・・・  


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2015年02月11日

重松 清



「きみの友だち」重松 清:著 新潮文庫 なぜか重松清を手に取った。そして読んだ。この年齢になると読む前にフィルターを掛けてしまう。ので、いけないと思って読んだ。大体想像していた世界(子供達が他人との世界をギスギスしながら経験すること)なんだけどジワジワと自分の過去の襞をめくって、思い出したことがいっぱい出てきた。この登場人物たちほどの行動ではないにしても、消えない傷は誰しも有るのだろう。でも充分に生きてきた気もする。「はないちもんめ」では泣かされました。亡くなった友も瞼に戻ってきました。こどもの世界と云うなかれといえるほど素晴らしい内容でした。  


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2015年02月08日

恩田 陸



「象と耳鳴り」恩田 陸:著 祥伝社文庫 を読んだ。代表作なんだけど読んでいなかった。ジワジワと人の心の深層に切り込みながらもミステリーとしてはファウルじゃないのか?と思いながらも、書き手の上手い技巧に載せられてため息を付いてしまうのだ。小さな事件も裏には込み入った仕掛けや理屈が整然と用意されているのは読んでいてきもちが良いですね。連作なので最初のほうは忘れてしまうのですが、最期の魔術師はとても好きです。現代は断片的であるという視点は、正に私も感じていたことでした。こんなに繋がって居なくていいんだろうかと思っています。



今年の初釜の結び柳です。H多さんが撮ってくれました。この真竹はH多さんと一緒に清水山の知り合いの竹林で採取してきました。他に灰吹きと蓋置も道具を持って年末に採取してきました。素性のいい竹は近年では探すのに苦労しますが、難なく探せました。尺八の花入れはアレンジされた寸法で、柳がすり抜けないサイズが先生の希望でしたので合わせました。釘穴はタラちゃんのドリルが活躍して綺麗に処理できました。今
回の初釜は着物で、袴をつけて参加して、お手伝いまでさせていただきました。着物は気持ちが締まります。でも袴での立居振舞は苦手です。

お茶繋がりなんだけど、今朝の日美で「川喜田半泥子」をやっていた。「芸術は本来遊びである」名言ですね。石水博物館で3月8日までだってさ。赤不動をみたいね。行けるかなー?  


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2015年02月05日

オロロ畑



「オロロ畑でつかまえて」荻原 浩:著 集英社文庫
をノンブレスで読んでしまいました。なんてそんなわけないだろう。そういう感じなんです。題名はサリンジャーをパロッているんでしょうね。2000年ころの本だけど、昭和の人間が今の時代に必至にしがみ付いて生き続けているペーソスを感じました。15年以上経てばギャグやパロディーも風化してきますが、ノスタルジーでもあると思えば読めます。荒唐無稽やアリエナイ!はSFかな?と思えばよいのだ。まあ色々難点はあっても面白いスピードが荻原節です。多分次の小鳩組もそうなんでしょうね。この荻原があの「明日の記憶」を書いたわけなんだけど、じっと考えると何処かに共通する、「自分なりに他人と時代に生きる」が見えてきます。そういうのは秘かにかな。



昨日の静岡新聞の「袴田事件」の記事です。先日「検事の本懐」を読んだので、現実の事件が如何に酷い状況に置かれているか、理不尽さにびっくりしてしまいました。事実は小説より奇なり なんです。一番気になったのは、知っていたはずの事をあたかも知らなかった風を装いながら煙に巻いていたことです。ワー、スゲー!警察とか検察、どっちでもいいんだけど、悪いことをしてしまうんですね。そして「ゴメンナサイ」を言わない人間が平然と公官庁に居ることがこの国のかたちなのです。  


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2015年02月02日

富士、富士宮



1月31日に富士、富士宮方面に伝技塾の面々と行ってきた。丁度お昼時に間に合ったので、富士宮焼きそばの広場で大盛り焼きそばと餃子を食べた。大変旨かったので、自宅に家内への土産の5人前を買った。自宅で作ったけどバカウマ。これが私にとっての一番の収穫。他の人は充分に勉強したと思われます。



富士宮のずーと北にある村上浅間神社の大日堂の修理現場を見学しました。建部先生と久保山先生そして現場の方々に説明して頂きました。バサラ継手は面白かったです。



屋根の向拝とのギャップを生物的3次曲線で処理。フランク・ゲーリーやツントーにも匹敵するステンレスの加工です。日本ってこういうのをなんなく遣って退ける気質があるんですね。



向拝柱の持送部分です。柱以外は杉材。持送の木鼻の先に受斗を乗せ、上に枠肘木を乗せる。そのうえに連斗(手鋏があれば連三斗)が乗る。そして海老虹梁で繋ぐ。帰ってきて復習しました。



神社の裏をしばらく歩くと鳥居だけの参道があって、その先にご神体の富士山がみえてきます。



富士宮の建築家:佐野光司さんが登録された、吉澤家の煉瓦蔵も見学してきました。県内にもいくつかの煉瓦蔵があるそうですが、兎に角この家の歴代の当主の記述の几帳面さには驚愕のため息です。大福帳やメモの走り書きまでもが美しく芸術的なんです。私には読めない。



入口脇の小部屋ですが、木造と煉瓦造の取り合いが良くわかります。



蔵の2階、この家のお宝もの、いや几帳面な歴史が美しく収蔵されています。巷にも人間国宝みたいな人が私達の前に生きていて、日本と云うかたちを創っていたんですね。



限界耐力の滝先生の構造設計の富知六所浅間神社の工事現場を見学しました。梁間9.9mの無柱の大空間を木造で構成しています。でもね梁成が75cmなんです。本願寺みたいですね。



工事中なのでシートや足場でこんな風にしか見えませんが、造る過程というのはなんとも躍動感に満ちているものです。



現在の拝殿の注連縄。暗い軒裏にも神の言霊が潜んで居る見たいです。充実の一日でした。みんなに感謝。









  


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