2015年09月26日

屋上ミサイル



「屋上ミサイル」山下貴光:著 宝島社文庫
愉快の一言。伊坂のタッチ、語りのコピーとかって云われているけれど、これはこれで味がある。辻褄合わせもここまでくると面白い。また次を読みたくなる作家です。どんどん軽くなるのかもしれない、けれど漫画ではない。文字なんだ。
 ホワイトハウスに入ったテロリストのメセージにより東京にミサイルが発射されるかもしれない、という設定。展開はあーでもないこーでもないと事件は発生するけど、ミサイルは関係なし。そういう状況ってだけ。でも面白い。政治や世界がかけ離れた現在の日本の断片でもある。

落ちた柿の実がタイヤでつぶされない様に拾い集める毎日です。いつの間にか枝から実がなくなりそうです。今年はお寺からポポーをもらってきて植えました。いつ実がなるのかねー。大江千里の「秋歌」を聞いて、午後にはプールに行って来ます。獏さんの西行を始めるかな?  


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2015年09月21日

阿倍仲麻呂



「安倍清明伝」平成講釈 夢枕 獏:著 中央公論新社
文芸春秋社の安倍清明のシリーズとは別です。ワトソン源博雅は登場しない清明伝です。清明の生まれる前からの話で、奈良時代の阿倍仲麻呂の登場です。そうです、ここでは、清明の祖先が仲麻呂なのです。「天の川ふりさけ・・・」の仲麻呂はいろいろな逆境に遭遇して還って来れなかった人。真備は還ってきた。その辺の唐の時代、楊貴妃、元宋の時代であります。と言っても全然知りませんでした、中国の歴史はね。でもこの本を読んで少ししりました。遣唐使のことも。ためになります。あーありがたや。
 この本の語り口は講釈、講談調です。故にすらすらと音で読むうちに終わってしまいます。ストーリーは仲麻呂の賢い故の苦労と使命。そしてそれを救おうとする吉備真備。その裏で暗脈する怨霊。中国が舞台ともなりますとスペクタクルな映像が脳裏に描けます。そして子孫の清明がどのようにして都に登場し、蘆屋道萬といかなる因縁がつくられたのかが、詳細に語られるのである、講談調でね。夢枕の物語は苔脅し的な割に内容がタンパクという印象があるのだが、実はこれを重ねるうちに遠大なテーマがジワジワと熟成されているのである。

 
   


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2015年09月18日

警視庁捜査・・・



「特命指揮官 警視庁捜査二課・郷間彩香」梶永正史:著 宝島社文庫 13回このミス大賞なんだけどタイトルが長いし、表紙は印象薄いし、非常にもったいない。それなのに中身は結構面白い。だけど主人公はよくあるタフな独身女性。ストロベッリーぽいディジャヴ感のあるデカくて怖いおんな。嫌いではないけど、好きでもない。まあ炭酸水を飲んだときの様なさっぱりとした感じ。附箋をした行は、「どこで間違ってしまったのだろう。丸山はよく、そうつぶやく。」である。そう、ポール・サイモンのAmerikan Tuneの訳詞にもある70年代を経た初老達が懐古、懺悔するこの言葉である。この後ポール・サイモンは「ああ、でもいいんだ、もういいんだよ。」と綴るんです。ブラームスの肯定しながらの諦念に近く、鴨長明にも通じてしまいます。この行は私のハートにシンクロして、じっと本を持つ手を凝視していました。この手も私の間違いと一緒に生きてきた。
 警視庁、警察庁の内部の荒唐無稽か、否かは日本の中枢に入り込んだことが無いので判りませんが、フィクションの面白さは満喫できること請け合います。一気読みはまちがいなし。所詮エリート達のお話ではあるのですが、そこんとこの解説はは無理な話です。今の日本も同じですが、ほんとうのエリートでさえもこの為体の日本は変えられないのです。エリート達は権威に胡坐をかく。

 耐震診断の源泉表でマイナンバー制の説明を受けました。このような小さな石ころの様な国民でさえも数字で管理される日本になってしまいました。世間の片隅で自給自足でさえも出来なくなりそうです。山頭火のように詩を詠みながら托鉢の行脚はムリ!と知りながらも憧れていたのに・・・得体の知れない存在は消えて無くなれ。というお達しですかね?生きづらく世知辛い世の中が来ている様です。せめて頭の中だけでも自由に羽ばたけるのを残してください。大袈裟?  


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2015年09月14日

化学



「ラブ・ケミストリー」喜多喜久:著 宝島社文庫
東大農学部有機化学(有機化学は農学部なんだって)のミステリーだと思っていたら、魔女が出てくるラブコメディーでした。弥生キャンパス(農学部)周辺が地理的には面白く読めました。先日、小石川植物園(小石川養生所:赤ひげ診療譚)の帰りに安田講堂の食堂でうどんを食べたばかりだったので「あーあー」と頷きながら読みました。根津神社でのスケッチをしている風景の挿入も、府中美術館で買った「百年前の武蔵野・東京」のスケッチ集を見開いて、鹿子木孟郎に思いを馳せました。上野周辺は湿潤な時間の影が残っています。このミス9回の優秀賞だったけど、それはそれで、まーいいかです。物語中のブランクスタリンはどうなってしまったんでしょう?冒頭に解説がのっているけど・・・。獏さんの宿神(西行)と生成り姫(陰陽師)がAMAZONから届きました。ふふふ。  


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2015年09月13日

東野



「美しき凶器」東野圭吾:著 光文社文庫 清明の間に東野を入れてみた。ストーリーとしてはつまらなそうでも、東野に係ると面白くなる。アクションの場面は秀逸で、終われない時間が続くのだ。ちょっとした空き時間でも読まずにはいられないと思い込んで「バカだなあ」を実感。まあ設定としては下らないので(ドーピング)割愛です。「幻夜」は諦めている自分が見える。それにしても東野は冷たく、打算的でこれでもかっていう狡猾で抜け目のない女、いやーな女を描きまくっているね。男は抜けてるんだ、バカボン。次は何?  


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2015年09月12日

鳳凰の巻



「陰陽師 鳳凰の巻」夢枕 獏:著 文春文庫
事件がこれでもか?というくらいに湧いて出てくるのだけれど、これも道萬の仕業であり戯言で悪戯である。フィクションで情景を描いて、作者はこう描こうとしたんだろうなと思いながら勝手に絵を描いているけど、実際のこの時代の衛生的環境はとてもじゃないけど今の我々には耐えられないんだろうね。匂いがね。昭和20年代生まれの私もこの無菌の環境に慣れ親しんでしまったのだけれど、これはヤバイ。これも科学の恩恵か?
 中国(唐)からの呪術が溢れだしてきたけれど、元々日本にはあちらの物の怪など居た筈もなく、宗教に付随してきた輸入品だから三者的に眺めていれば良い筈なんだけど、このオドロオドロした時間や匂いはハリボテとはいえ、なかなかのものです。物の怪を使って清明にここまで光を当てて、ヒーローに仕立て上げたのも流石の獏です。でもね、まだまだ続くんです。次に控えしは「生成り姫」なんだって。買ってあるのだ。獏の西行も読みたいと思っています。
 
   


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2015年09月09日

ものや思うと・・・



「陰陽師 付喪神ノ巻」夢枕 獏:著 文春文庫 を今朝読了。いやー実に面白いのである。187ページ以降はこれまた時を忘れる程非常に深く入ってしまうのだ。腕の疲れに伴い、左右に寝返りを打ち、枕元の明かりを調節しながらも怠惰な時間を貪ってしまうワタクシでした。しかしながら、行くつくところは歌合なのだが、これはなんとなく気配で読み取れるからワクワクするんですね。「しのぶれど・・・」「恋すてふ・・・」の競い合いでした。それにしても平安の貴族たちは日がな一日何をしていたのでしょうかね、歌だけ?この怠惰さに恐れ入りました。何処かに憧れもあるのです。トワイエ、欧州の名家にくらべれば比でもないね。魑魅魍魎の跋扈する世界は、これまでにも生臭く描かれていたけれどこの次の巻では、京の都を飛び回るらしい。中沢新一の解説もなんじゃこじゃらと述べているけど、読んでみると中々納得できるものである。多様性ウンヌンについてゆけなくなったら単純に見る目も必要だってことだよね。そう人間は動物の一種です。
  


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2015年09月07日

家族



「家族という病」下重 暁子;著 幻冬舎新書
を挟んでしまいました。本屋で手に取ってレジに直行。そして安倍清明の途中に読んでしまいました。獏のファンタジーの怖い笑顔の闇から少し日向に出ようと思って読んだのだけれど、(そうだ、そうだと頷きながら読めると思った)間違い。もっとシリアスでした。名家でなくとも、普通以下のそれこそ巷の石ころとみなされる家族でも同じなんです。連綿とそういう家族の概念を刷り込まれて、いや刷り込むのが一つのステップでもあったからなんです。幸せというの構図です。普通、人並みの概念こそ家族が基本。これはなかなか壊れないでしょうね。中産階級という市民化の崩壊でもおきないかぎりは、デモクラシーの幻影を利用する政治の絨毯が空に浮いているかと錯覚しているんです、この現代はとても軽いんです。  


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2015年09月03日

五輪ロゴ&安倍清明



「陰陽師」夢枕獏:著 文春文庫の飛天まで読んだ。平安時代というのは真に雲や霞に隠れて茫洋としてボヤケテみえるのだが、これもその時代の人の心持が読めないからです。要するに知らないからです。少し知るとピントが合ってきて描けます。だから読みました。安倍清明からこの時代に入るとこの時代の色合いのある雰囲気が探れます。非科学的だけど、人間は今と変わらないで縦列が好き(単純だから)。でももっと生物的です。当たり前だけどね。私自身はとっても嫌いな、いやまったく信じていない呪術や魔法なんだけど、この短編の物語を連ねて読むと人の心情の面白さは格別です。だからもう少し続きを読みます。他のジャンルも鋏んで。
 五輪のドタバタは、あのおもてなしの笑顔の裏に隠れていました。ザハ、佐野では無くて彼らの裏でなにか無責任な目論見があったことは歪めません。裏方も当事者どちらもデザインという美学を弄んでいます。コンパクト、エコロジーは何処にいってしまったというか、潔くない連中ばかりですね。提案:64年のポスターの1964を2020に変えるだけの64の全くのコピーとする。まさに亀倉にリスペクト  


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