2013年01月27日
今日
今朝7:00起床、新聞を読みながら、6枚切の2枚をブルーベリージャム、ヨーグルト、マーガリンを塗ってトースト。コーヒーは中山コーヒー店の細挽をドリップで入れて、カフェオレに。マグカップ2杯分。静岡新聞のヨモットと、葉室燐の「紫匂う」を読んで、カット絵をカット。養老先生のコラムがないので、残念。書評を読む。歯磨き、トイレ、髭剃り。髭剃りは昨夜の湯たんぽのお湯を使う。シックの4枚刃を使っているけど、切れ過ぎなので、皮膚癌に注意しながら剃る。9:00に日曜美術館の杉本博の那智の滝を見る。確かに杉本博は写真の絵だと感じた、写真で絵を描いている。二川幸夫の写真展を紹介していた。汐留のパナソニックだ、見に行こうと思った。10:00事務所で仕事の整理。進んでないものが有る。どーしよう。冷や汗。家内の買い物の運転手。山椒が無いので探したけどない。和食系には山椒です。京風料理になっちゃいます。メモ紙のクリップを買ってきた、デカい奴。2:00病院に見舞い(ボントロさんはすぐに退院しゃちゃいます)に行った。元気付けるために行ったのに、自分を見つめ直す羽目になってしまいました。昨日は義兄の入院先の浜松医大に見舞いに行ってきました。手術後で気持ちが萎えていたのか、毅然としていた兄が優しさの塊のようでした。やはり体はまさしく命です。てなことで病院の後はプールでいつものルーティンの300歩き、1000クロール。比較的すいていたので、マイペースを維持できた。他人から見ればマイペースを貫く、ハタ迷惑な奴かもしれないけど、これでも周りにきを使いながら泳いでいるつもりです。そろそろパンツを変えないとと思っている。いつものミスチル(TKちゃんの奥さんから頂いたのだ)を聴きながら帰宅。で久々にこのブログを開けたら又しても100以上になっていたのでびっくり。なんか変。でも開けてくれてありがとうを云う。夕飯はシチューとサラダ。泳いでくると飯が旨すぎるので喰い過ぎ。メタボの原因は水泳にありかもしれない。大河ドラマを見て水戸藩士の事をやっていた。今読んでいる本のもその時代のその事が出て来たので興味深く感じた。いつの時代も若者たちは真剣な眼差しを持っている。これだ。
今夜も本を携えて湯たんぽの入った布団に潜り込んで、未だ冬の明日へ。
今夜も本を携えて湯たんぽの入った布団に潜り込んで、未だ冬の明日へ。
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22:29
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2013年01月20日
クジラ他
何の事か解らなかったでしょうが、「幕末時そば伝」の作者、鯨統一郎です。実業の日本社文庫です。落語と動乱の幕末を合体させて、その幕末の行く末の鍵を握ってしまったのが、粗忽長屋だったというおもしろーいお話。なーんだ、そんなものかね、と言うなかれ。上手に纏め上げているから、これそのものでも落語で行ける程上手い。ただたんにクッツケタだけでないと実感させる上手さなんです。ミステリーファンだと「邪馬台国はどこですか」を読んでいるから、あの謎解きの上手さを、髣髴させられてしまいます。楽しくて面白いから、上手さなんて超えてしまっているんだけどね。尊王攘夷を解りやすく話しに織り込んでいる。
日曜版の静岡新聞、 晶子百花繚乱 わざはひかたふときことか知らねどもわれは心を野ざらしにする 「佐保姫」
何処で切るかは読んでいれば自然に解るってなことはさておいて、このわざはひは恋故の禍なんだね、して、野ざらしにするしかない なんて一体どんな状況に陥ったんでしょうね。当事者三人にしかわからない込み入った場面だからこそ、野ざらしにして、自分に向き合ったんでしょうね。でもやはり晶子は恋の女なんだね。
「紫匂う」のカット画、刀を握って振り上げた手元 輪郭をはっきりさせた黒の背景 心になんらかの意志を表現している。今回の話には刀を抜く場面は無いのにこの絵があるのは何故だろう。意味有り化ですね。
日曜版よもっとのハテナ写真館の 注意して歩いて でマルセイユの博物館なんだって。検索してみましょう。検索してから書けば良かった。
追記:検索したけど、マルセイユ博物館の建物の写真は見れませんでした。知っている人が居たら教えて下さい。
もう一つの追記は我愛車は廃車になったことです。さみしいね。南無阿弥陀仏
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09:26
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2013年01月17日
声に出して
「声に出して読みたい日本語」齋藤孝:著 草思社
高校は工業系で、大学が理系なので、古典国語を正規の授業として受けたのは、指で数えられる程しか有りませんでした。今思えばあの古典の授業を担当していた先生は、さぞ無念な思いでソフトボールに変えてしまったんだろうと察します。本当は日本の古典はこんなにも素晴らしいけど、まだわかんねーだろう、そのうち解ればいいや。今のこいつらは頭より肉体だからな。って思っていたのでしょう。私は五十を過ぎてからこの本で気付かされました。若い時に触れていたとしても、気が付かない奴はずっと気が付か無いんでしょう。でも若い時に学んでいれば素晴らしい財産ですね。
小中学校の声を出して暗記して覚えた方法が、体に染みついて、知らぬ間に口ずさんでいたこと。繰り返して、身体化されたリズムが美を習得するための一番の方法なんですね。森有正の経験に近いところがある。体験でなく経験。芸能もその通りですね。そして暗記するとその言葉が得意、エキスパートの範疇に入る。「任しておきなさい」になるわけです。実際にはまだまだ奥深いものがあるんでしょうが。一時は得意げになれます。1~3まであるけどどの本に立派な文が載っているから、随意に開いて読んでみて欲しいです。因みに私は「枕草子」から始めました。俳句や短歌も風呂の中で語ってみると日本っていいなー。ゴクラク、ゴクラクってのを実感します。「寿限無」なんぞは落語として覚えたいですね。粋な遊びにも転化できる文学なんです。もう古いって言わないで、忘れないようにずっと続けよう。
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15:10
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2013年01月16日
感銘を受けた本
「ひらがな日本美術史」橋本 治:著 新潮社である。何年か前に読んだのだけれど、近頃又読み返している。日本画に関することが日々多くなっているからだと思う。この本は1から7まである。芸術新潮に連載されていいたものを7冊に、年代別に纏めて、橋本治の日本画に対する切り口を開示しながらも、極めて平易に感想を聞かせてくれる。今まで取っ付き難かった日本画がなんて素晴らしい絵なんだと気付かせてくれたのはこの本でした。自分の興味の無いものはどれも同じな、ある類型に纏めてしまって、知ったかぶりに、あーあんなもんでしょ的な処理をしてしまうものですが、そんな不遜な態度は微塵もなく粉砕されて全く素直に美、いや芸術に触れさせてくれます。まず形式的な見方はせず、作家がなぜ、なにを画こうと、なにを創ろうとしていたのか、です。なにを表現したかったのか。自由の入り口である美術芸術で何にもがきなにを乗り越えたのかなにを探したのか、という問にはこの美術本は明快に答えてくれました。この本に取り上げられているものの何がスゲー事なのかも教えてくれます。で、読んだ後には立派な評論家になってしまいます。1番からじっくり7番まで読んで下さい。図書館出借りて読んでも、多分手元に欲しくなることは確実です。
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15:46
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2013年01月15日
ねじめ2
「シーボルトの眼」著:ねじめ正一 集英社文庫を読んだ。前出の「眼鏡屋直次郎」で脇役の出島絵師 川原慶賀が主人公である。いい加減でお調子者で、感情の起伏の激しかった慶賀が、今回は題名の「シーボルトの眼」のとおり、まさしく日本をスパイするシーボルトの眼となって、書き続けた絵師としての生涯である。シーボルトの妻たきを擁護しながらも、北斎の娘応為と長崎で暮らすまでの絵師としての人生はまさしく職人としての絵師でした。写実と芸術に揺れた故のたきとの暮らしだったのでしょう。感慨深いものが有りました。もし、カメラがあればシーボルトが慶賀に課した仕事は慶賀が居なくても良かったことかもしれない。でもね慶賀は慶賀しか出来ない慶賀の仕事をしたのだと思える。それが絵師である。
今朝の「紫匂う」のカット。竹藪の向こうを走る男。すばらしい動きのある構図、色合い。東海道「庄野」を思い出しました。
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09:06
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2013年01月11日
ねじめ正一
「眼鏡屋直次郎」ねじめ正一:著 集英社文庫
シーボルトの事件と時を絡めて眼鏡屋直次郎の恋愛、痛快ミステリーである。江戸と長崎、そしてその道中で起こる事件も痛快に切り抜ける。ねじめ正一は初めて読んだが、文章が淀みなく流れ、シーンをくっきり描く文体である。というのは心情との描き方に唐突な切れ目を入れないからなんだと思う。読者の気持ちを断ち切ることなく運んでくれる。上手いって云うんでしょう。今時の作家の文章はなにがなんだかわからなくて場面がスパっと切り替わってしまうのが多いけど、若い人っていうのは疲れないんでしょうね、いや、かっこいいんだろうね。年を取ると目まぐるしく場面が変わったり時間が逆戻りしたりすると付いていけないんだよね。読者にやさしい作家がいいね。若ぶって今時の作家に挑戦してみる気もすこしある。尚、実在した人達も登場しているらしいので、随分と綿密な資料を基に描かれているという解説がある。作家ってすごいですね。
今朝の新聞の「紫匂う」のカット
この絵の背景の色には薄紫を塗りこんでいる。薄紫の匂いってどんな匂いなんだろう。匂いを言葉で表すなんてのは粋じゃないんだろうね。匂いは兎に角フェチ、色艶に関係しているから文字では無粋ってなことかな。
この蔵太の湯飲みを跨いだ妻への眼差しは優しさなのか、嫉妬なのか、はたまた策略なのか意味ありげですね。
日本画っていうのは単純なようで細心の注意力を必要とする絵なんですね。
昨日の閲覧件数がすごく多かったけど、日土小学校に関心がある人って随分といるんですね。
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09:13
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2013年01月10日
日土小

今朝の新聞に日土小学校が重文にされた記事が載っていた。モダニズムその物で、現代的テーマである、浮遊感、透明性、構造との合理性が全て表現されています。川に張り出した美しいバランスのキャンティのバルコニー、ベランダに象徴されていて、現代建築を見るようです。かといって無機質ばかりではなく、ヒューマニズムっぽいデティールも随所に織り込まれています。爽やかな5月のそよ風のような建築です。先日図書館で、GAdocumenntを見ていたのですが、ジャン・ヌーベル、フランク・ゲーリーのデコンのスタイルに圧倒されましたが、いやはや、こんなに素晴らしい建築を忘れていました。でもやはり何処かに日本らしさは妹島、西沢の建築に片鱗が見えていた事も思い出し、この日土小学校もその日本的なるものが有ると思いました。極めて観念的にしか表現できないのですが、この日本的なる遺伝子は引き継がれていくと思うのだ。行動と祈り?という程真摯な私ではないのにね。上の写真は静岡新聞の今朝の切り抜き、下の写真はネットの日土小学校を検索したら写真集があったので、拾いました。違反でしたら削除致しますので、よろしく。
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09:04
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2013年01月07日
今日の新聞
野本寛一先生の:ゆたかな「伝承知」活用を 日本再生 水窪にヒント
先人たちの守り継いできた伝承に日本を再生するヒントがあり、本当の豊かさを得る為には末端にある自然との共生の有り方がこの日本を日本らしくすると述べられている。新しい策を考え出すのもいいけど、大事な事は足元にに山のように積まれている。しかもそれは、自分が何処かで見てきたことでもある筈だ。本「自然と共に生きる作法ー水窪からの発信」を読もう。ずっと以前、野本寛一先生、八木洋行先生と天竜や水窪の民俗調査に同行させていただいたのを思い出しました。健脚の野本先生はとにかく歩きました、何処へでも、歩いては歩いては話者を探して、話しを聞いて書いて、自分の手足目耳口をフルに使ってのfierd work、そのような姿勢を貫き通した上での説です。説得力があります。
連載小説「紫匂う」のカット絵 表現されているのは抑えた思いで、背景の淡いグラディエーションと後れ毛に切なさを見て取れる。髪の毛の形も美しい。じっと見ていられなくなる程恋心を語っている。気後れしちゃうよな。
今朝の新聞で他に目についた記事は社会面の「神社の安全祈願中止」と「幸せのかたち:店の再生じぶんがやる」である。なかなかコメントし辛い政教分離の記事であるが、この国にはこうして先送りしてきた問が山のようにある。靖国、自衛隊、政教分離、改憲、一票格差、とか数え上げればキリが無い。永遠に答を出さずにこのグローバリズムの世界の中で泳いでいけるんだろうか、国民って、政治家ってなんだろうね。というよりこの国はどういう国?
そういう話のなかで、老舗の和菓子屋の息子が悪戦苦闘しながらも店の行く末を考えている。自分の人生に正面からぶつかっている姿勢に羨ましさを感じます。
アナログで正面から向き合う姿勢が大事ってこと。
昨日の養老先生のこうもりのコラムも面白かった。こうもりは手だけで移動。鳥は足も使う。動物って動かないと生きていけないんだね。当たり前。
Posted by 新茶 at
09:49
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2013年01月05日
初詣
初詣に京都に行ってきた。角屋や河井寛次郎記念館に行きたかったけど開いていないので、又の機会とする。楽しみを残して置くのだ。好きなものを残して置くタイプではないけどね。

商売繁盛祈願で、鳥居が溢れる景色。この写真は行きと帰りの鳥居の外。おキツネさんも多くのお願いを聞くのは苦労で、かきいれどきはサゾカシお疲れでしょう。

本殿脇に能舞台があったので、K2さんに撮ってもらったけど撮影禁止らしいよ。すいません!でもこの舞台は観覧席を設置するのが難しいね。奉納の舞が多いんだろうね。舞殿ですね。

念願の細見美術館に行ってきました。この写真は中から外に向いてます。中庭と外部がユルーク繋がっています。
展示は琳派です。小品でもすごい作品ばかりです。宗達はさすがに完璧です。秀作ばかりで心がふわふわしてしまいました。抱一系は蔓の描写に惹かれます。

中庭の壁。大きな中庭で高さもあります。柔らかい壁で、気持ちがいいです。各展示室も又外部階段とユルーク繋がっている。出来れば上のほうでお茶を頂いてみたいです。

平安神宮でも参拝をしてきました。二礼二拍手一礼をしていると、何を祈ったのか忘れてしまいます。何時も笑顔のK2さんとおかぴーさんです。

わが浄土宗の本山知恩院の山門です。でかい!中備(ナカゾナエ)まで組み物で埋まっています。頭貫の上に台輪が載っています。禅宗様式?大規模木造と高低差のある石段が作るモノトーンの景色が無言にさせ、心が引き締まります。

八坂神社の山門の階段です。調子に乗ってるK2さんとおかぴーさんです。この後、祇園をぶらぶら歩いて、そして四条の延々と続く地下道をくたくたになった足(ハイキングだったのを忘れていた)を引きずりながら地下鉄に乗って京都駅に着いて東海道線に乗りました。今回も定番の駅下で売っている鯖寿司が駅弁替わりでもあり、我が家への土産でもありました。
18キップでも誰かが居れば、距離は近くなるし、本や音楽を携えていれば、いつの間にか時間は過ぎ去るものです。
PS
「殺戮ガール」七尾与史:著 をこの旅で読み終わった。とんでもない殺人の連続だけれども、この異常な精神の構造を他の行動と読みかえれば、誰にも巣食っている欲望なのかもしれない。ブラック・ユーモアは何かの隠喩です。
商売繁盛祈願で、鳥居が溢れる景色。この写真は行きと帰りの鳥居の外。おキツネさんも多くのお願いを聞くのは苦労で、かきいれどきはサゾカシお疲れでしょう。
本殿脇に能舞台があったので、K2さんに撮ってもらったけど撮影禁止らしいよ。すいません!でもこの舞台は観覧席を設置するのが難しいね。奉納の舞が多いんだろうね。舞殿ですね。
念願の細見美術館に行ってきました。この写真は中から外に向いてます。中庭と外部がユルーク繋がっています。
展示は琳派です。小品でもすごい作品ばかりです。宗達はさすがに完璧です。秀作ばかりで心がふわふわしてしまいました。抱一系は蔓の描写に惹かれます。
中庭の壁。大きな中庭で高さもあります。柔らかい壁で、気持ちがいいです。各展示室も又外部階段とユルーク繋がっている。出来れば上のほうでお茶を頂いてみたいです。
平安神宮でも参拝をしてきました。二礼二拍手一礼をしていると、何を祈ったのか忘れてしまいます。何時も笑顔のK2さんとおかぴーさんです。
わが浄土宗の本山知恩院の山門です。でかい!中備(ナカゾナエ)まで組み物で埋まっています。頭貫の上に台輪が載っています。禅宗様式?大規模木造と高低差のある石段が作るモノトーンの景色が無言にさせ、心が引き締まります。
八坂神社の山門の階段です。調子に乗ってるK2さんとおかぴーさんです。この後、祇園をぶらぶら歩いて、そして四条の延々と続く地下道をくたくたになった足(ハイキングだったのを忘れていた)を引きずりながら地下鉄に乗って京都駅に着いて東海道線に乗りました。今回も定番の駅下で売っている鯖寿司が駅弁替わりでもあり、我が家への土産でもありました。
18キップでも誰かが居れば、距離は近くなるし、本や音楽を携えていれば、いつの間にか時間は過ぎ去るものです。
PS
「殺戮ガール」七尾与史:著 をこの旅で読み終わった。とんでもない殺人の連続だけれども、この異常な精神の構造を他の行動と読みかえれば、誰にも巣食っている欲望なのかもしれない。ブラック・ユーモアは何かの隠喩です。
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10:29
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2013年01月03日
今日の新聞
小説家:高橋源一郎と民俗学者:赤坂憲雄の対談である。東日本大震災と今後の行く末に対する意識の持ち用を述べている。右肩上がりを必然とする立場への警鐘というより、地に足を着けた立場から本当に出来る事をやる姿勢を取るべきだと論じている。文明の規模が縮小しても出来ることが有る。規模の大きさでなく中身の充実であり、少しのエナジーでロスの少ない仕事だったり、文化の充実だったりを言っているのだと思う。観念的ではあるが、中世の景色でありながら高度な文明や文化を持つ社会なのかって思ってみたりする。宮崎駿なのかも。短絡的とはいえなくもないが、私の理想でもある。しかし新年号の建築雑誌のA+Uや新建築を観ていると、もっと違う世界を建築家達は描いている。これもまた素晴らしい世界である。想像を創造するってすごいですね。
Posted by 新茶 at
21:30
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