2014年05月19日
なにやら
「芸術新潮」4月号 宗達のすべて なのだ。バタバタ日々を過ごしていて、忘れていたので、図書館から借りてきました。あの「風神雷神図屏風」を微細に解説しています。宗達、光悦、抱一と辿っていくと、比較などおこがましいのですが、やっぱり宗達ですねん。荒れて歪んでも、へたうまでも味があるんですね。抱一までくると綺麗で、上手くてすっきりなんだけど風神雷神の滑稽さは見当たらない。だけどこの裏にあった「夏秋草図屏風」の抱一は私のお気に入りで、とんでもない芸術と云えるほどの作品です。たらしこみの手法をマスターしていたのは宗達だけ、だったのかもしれない。「伊勢物語」や「牛図」にいたってはあの「ぼよよーん」さに和むのだ。江戸時代も進むにしたがって、技術的上手く、綺麗になるけど(建築も同じ)失ってしまったものも多くあります。
静岡新聞 親鸞: 山口晃 この画家がすごいのは、場面を想像する読者にぴったり、いやそれ以上のシーンを提供してくれていることなんです。ユーモアまで加味してね。群衆の表情も読み取れるのもびっくりです。建築物を描くのにも矛盾を見せなかったりしますが、だからといってデフォルメを忘れている訳でもない。本当に良いです。芸術新潮にも載っていた松井冬子っぽい右下ですが、彼女ほど艶っぽくはありません。
同じく新聞の「低反発枕草子」平田俊子 ゆりかごというなんのことは無いとおもっていたことばから、父との過去のことを語り、揺られる心と体の意味を綴っている。ぴったり同調して、感じ入りました。
中山コーヒー店のマスターの車のパンダです。私の憧れの車でした。小さくてもなにやらが詰まっていて、体に即したスケールと揺られ方があります。現代の道具と比較すれば格段に劣った内燃機関のスペックですが、平面ガラスなどに象徴されたアナログの極致じゃないかなあ。宗達のボヨヨーン、山口晃のタッチ、ゆりかごの揺れだったりですが、昭和時代の揺れでしょうか、今の時代の目的とはなんだろう。なんて思ってしまいました。懐古趣味と言われても気にしない偽称詩人ですねん。
Posted by 新茶 at 09:04│Comments(0)