2014年09月02日
蜩の記
「蜩の記」葉室麟:著 祥伝社 を読んだ。
葉室燐の腰の据わった緊張感が満載で、落ち着いた時でないと読めません。冤罪の不義密通により三年後に自刃を命ぜられた武士(秋谷)を、犯した罪の償いとしてこの武士を監視する役を担った若い武士(庄三郎)が、なにを見てなにを思って、なにをしようとするか、がテーマであるが、人を思う心が通奏低音として流れている為に何処か、片隅に信じきれるものがある。読者は持っていき場の無い不安を文中から推測してしまうために前に進むのを躊躇われるが、そこで躊躇ってはいけないのだ。その、人である純真な思いを信じて読み続けるのだ。その山を越えてこそ葉室燐の真骨頂は発揮されるのだ。多分この躊躇いは小心者の私だけでしょう。事件の真相の裏側もこの時代の地方の藩の特色が表れていて秀逸です。豊後の羽根藩という設定です。それにしてもこの時代の百姓という身分は過酷な人生を強いられていたし、その末裔の私はなんて脆弱な人間に成り果ててしまったのだろうか。葉室麟はいつもこちらの姿勢に喝をいれます。この後、葉室燐は「潮鳴り」という作品で同じ羽根藩の武士を描いています。読みたいですねー。でも今、あの黒田官兵衛の「風渡る」を読み始めたところです。前回の山本兼一のバテレン達が色を添えています。宣教師の描き方が少し違うのもまた、たのしからずや です。
Posted by 新茶 at 08:47│Comments(2)
この記事へのコメント
凄いね!新ちゃんは。
以上。
以上。
Posted by おかぴー at 2014年09月02日 23:21
梨もありがとう!以上。
Posted by 新茶
at 2014年09月03日 08:07
