2015年11月10日
音楽
秋なのでメランコリック?なーちゃって、です。大江千里の「秋歌」もあの日のページを読み返すようで、恥ずかしいのですがこの歳になると平気です。他の秋らしい情感に浸ろうとしてCDを開いてしまいました。

「1の知らせ」篠田昌巳:compostela Puff up です。チンドンとかクレズマーのジャンルに入れられてしまいますが、ジャズというか音楽ですね。音色や調べは晩秋の中央ヨーロッパです。過ぎ去った郷愁にしがみつく哀れ。でもその少しの明かりが明日への糧。いくつものイメージを喚起させてくれます。ジャケットはもうボロボロです。篠田さんは故人になりました。

「展覧会の絵」ムソルグスキー、演奏:アファナシェフ DENON です。ブラームスの小品集も高貴な音楽の典型で芸術そのものなのですが、このムソルグスキーはこれまたなんとスケールの大きな絵画を描いているのでしょう。アファナシェフの場合は間の取り方で語られますが、聞いている間にそんなことなど気にかけずに聞いています。時間や音の響きはこんな素人にも確かに判るほど美しく聞かせます。ピアノ1台がこんなにも大きな世界を描けるなんてすごいことです。録音もばらしい。

「ピアノ五重奏34、とシェーンベルグの室内交響楽9番」ハーゲン四重奏団&パウル・グルダ グラムフォンです
最初に勝ったLPがこのブラームスの五重奏曲でした。クラシック音楽と思えない調べと展開の妙をブラームスに観たと思いました。通常ではない「なんだこれは」を芸術、異界の証しと思った最初でした。しかし何処かが枯れて、諦めているような斜陽感もありながら諦めきれない恋しさも引きずる女々しさ。誰もが共感するのでしょう。そう恋なのです。しのぶれどいろにいでにけりわがこいは ものやおもうとひとのとうまで 平兼盛 のごとく、何か寂しい季節なんですね。ついでにこの歌と競った壬生忠見は 恋すてふ・・・おもいそめしか なのですが、負けて辛くて頭が触れてしまったそうです。この前読んだ「宿神」夢枕獏に載っていました。そんでもって西行は鴫立つ沢の秋の夕暮れ じゃん。
「1の知らせ」篠田昌巳:compostela Puff up です。チンドンとかクレズマーのジャンルに入れられてしまいますが、ジャズというか音楽ですね。音色や調べは晩秋の中央ヨーロッパです。過ぎ去った郷愁にしがみつく哀れ。でもその少しの明かりが明日への糧。いくつものイメージを喚起させてくれます。ジャケットはもうボロボロです。篠田さんは故人になりました。
「展覧会の絵」ムソルグスキー、演奏:アファナシェフ DENON です。ブラームスの小品集も高貴な音楽の典型で芸術そのものなのですが、このムソルグスキーはこれまたなんとスケールの大きな絵画を描いているのでしょう。アファナシェフの場合は間の取り方で語られますが、聞いている間にそんなことなど気にかけずに聞いています。時間や音の響きはこんな素人にも確かに判るほど美しく聞かせます。ピアノ1台がこんなにも大きな世界を描けるなんてすごいことです。録音もばらしい。
「ピアノ五重奏34、とシェーンベルグの室内交響楽9番」ハーゲン四重奏団&パウル・グルダ グラムフォンです
最初に勝ったLPがこのブラームスの五重奏曲でした。クラシック音楽と思えない調べと展開の妙をブラームスに観たと思いました。通常ではない「なんだこれは」を芸術、異界の証しと思った最初でした。しかし何処かが枯れて、諦めているような斜陽感もありながら諦めきれない恋しさも引きずる女々しさ。誰もが共感するのでしょう。そう恋なのです。しのぶれどいろにいでにけりわがこいは ものやおもうとひとのとうまで 平兼盛 のごとく、何か寂しい季節なんですね。ついでにこの歌と競った壬生忠見は 恋すてふ・・・おもいそめしか なのですが、負けて辛くて頭が触れてしまったそうです。この前読んだ「宿神」夢枕獏に載っていました。そんでもって西行は鴫立つ沢の秋の夕暮れ じゃん。
Posted by 新茶 at 14:58│Comments(0)