2011年04月11日

昨日買った一輪挿しです。くちが少し広いとね。名残の薮椿(汚れていても「最後まで咲くよ」って言ってます。挫けないけどきっぱりしています)。はなし変わって本です。湊かなえ「告白」宮部みゆき「小暮写真館」を読み終わりました。方やインパクト、方やジワーです。両方に共通する事は現代の狂気(賢いけど歪んでる子供たち)です。宮部には狂気も使いようみたいなところがあって、何処かに思いやりや健気さが潜んでいるんだよね。救いはそこだね。上手くいえないくせにダラダラ書くな!て。そんで今は太宰治の「津軽」ほんとうに上手いし、典雅だし、文学的だし、ワザとヘタウマなんだけどワザとさが見えない位上手い。この文体を使いこなせた人は太宰治だけでしょう。ダラダラの自称詩人でした。本



Posted by 新茶 at 15:07│Comments(3)
この記事へのコメント
詩人さんの、いつもダラダラの・・・、ワザとヘタウマ・・・にワクワクなおかぴーです!(^^)!
Posted by おかぴー at 2011年04月12日 03:39
読後;「津軽」の人は純朴で濃い人達が多いって言うか、感情表現の仕方が虚飾なく、無策で純朴だってことが上手(こんなことがいえるわたしではないが)に表現された読み物でした。「たけ」さんの話ではっきり最後に現されます。それまで何人かそれに近い人達が出てくるのですが、「たけ」さんの話でこれが言いたかったことなんだと頷けるんですね。ひとの感情やぬくもりをも景色のなかに織り込めながらイメージを作ってそれが、純朴な木綿の古い織物のようにわたしのこころの皮膚になじんでしまいました。都市化するということは?ヒュウマニズムさえも多様化することなんだって、「津軽」「告白」「小暮写真館」で思いました。ダラダラ分析でゴメン!
Posted by 自称詩人 at 2011年04月13日 10:14
太宰は若い頃少し読んでいるが、内容・文体共ほとんど覚えていない。人間いやボントロの記憶なんて当てにならない。
このごろブログの場を借りて読後感を書き始めたが、昔からやっていればよかったとつくづく思う。
若いときはどう感じていたのか、今再読してどう変わったか否か、自分自身に興味深い。
Posted by ボントロ at 2011年04月13日 13:22
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    コメント(3)