2011年11月06日
3冊
左:「なぜ絵版師にたのまなかったのか」北森鴻著光文社文庫
前出の暁英(ジョサイア・コンドル)の物語と時期を同じくした姉妹篇である。当時の世相が色濃く反映され、舞台の裏側も垣間見れる物語である。西洋への憧憬と矛盾が色濃く作られていると思う。北森鴻への私の憧れは「支那そば館の謎」の舞台の嵐山の大悲閣:千光寺に行ったことからだ。何年か前に士会の京都旅行の自由時間にこの嵐山の奥地まで一人でトボトボ、ハーハーと登ったのだ。その寺は予想を大きく外れた本当に寂しい寺だった。この寺を物語に入れたセンスに唖然とする衝撃を受けたのである。出来る人だった。惜しい
中:「三四郎はそれから門を出た」三浦しおん著ポプラ社
書評とエッセイ集である。私としては今をトキメク御人であり、尊敬を通り越して姉(年下だけど)さんと呼びたいほど同調している。故に1ページ毎にため息やら、膝を叩くやらで、ネチネチ読んだので時間はおおいに歪み膨張してしまいました。本当に会って見たいのだけれど、憧れが崩れる予感(外見は本人が文の中で述べている)がするので、成るがままにして姉神様のままにしておく。本の中身は頷きながら怒り且つ笑える。
右:「繪本 仮名手本忠臣蔵」安野光雅著朝日新聞出版
歌舞伎、文楽ではお馴染みの物語で、判官びいきの語源も出てくる忠臣蔵の浄瑠璃版である。絵は浄瑠璃と歌舞伎をコラージュさせて描かれている所がニクイ。本当にウマイ。世界の村と街の絵、平家物語などの絵本を見るとこういう風な絵を描きたいなって思わせてくれる。何か嬉しくなるステキな絵本ですヨー。
Posted by 新茶 at 13:27│Comments(1)
この記事へのコメント
こりゃたまらん。詩人さんのブログを見ていると読みたい本が山のようになってしまう。
Posted by ボントロ at 2011年11月07日 09:29