2013年03月24日
マンネリブログ
静岡新聞の今朝
ヨモットの巻頭のアルマ望遠鏡です。観測が始まるそうです。口径20KMに相当する望遠鏡で、生命や宇宙の起源などを推測できるかもしれないのです。昨日書いた亡霊や怨念、魂とかも面白いけど、未知への科学の探求も面白いと思う。心と科学が目指すところってなんだろね。
晶子百花繚乱と紫匂うのカット絵
春の日となりて暮れまし緑金の孔雀の羽となりて散らまし
華やかに輝けば輝くほどに、枯れた時の侘しさも大きく映るものだけど、それでも輝きたい春の日に散っていきたい。と読んでしまいました。がしかしです。輝けるとはなんでしょうね。カットの日下 文の蜘蛛の巣の絵も、派手な色をした昆虫が絡まって蜘蛛の餌食になっているようにも見えます。
巻末の文 おごりなんて、まこと若き日の幻想に過ぎませんよ。今の私は暮れるか散るか、もうそれでよいと思っているのですからー
きっぱりと、いいです。晶子は潔いのだ。
「紫匂う」のカット絵は白モクレンの絵です。清々しい春の景色を蔵太の心に変えて描いています。以前、蔵太が乗り越えた逆境は澪の点てた濃茶であったこと、その時咲いていた真っ白なモクレンに象徴されていたこと。優しさってのは日々の行いに潜んでいるんですね。言葉にしたり、文字で書いたりすると恥ずかしいけどね。
ちょっと前のブルータスだけど、現在の文芸の一端が見えると思って図書館から借りてきました。芸術新潮の2月号の小林秀雄の特集を一緒にです。小林秀雄のことを書けるほどの私ではないので、信楽の壺「うずくまる」が私も好きだと云えるだけです。
若手の作家のダイジェスト、短編を載せていて現代は実に爽やかに筆を駆使していて気持ちがいい。言葉を変幻自在に操れていて、淀みが無い。ちょとした心持もすんなり一つの作品に出来るってすごいことです。伊坂と万城目も入っていたので嬉しくなっちゃいました。
そのブルータスの後ろの方に 故バーナード・リーチの陶磁器が復活?っていうのがあった。
この黄土色のコーヒーカップは以前何処かで見た記憶が有ったのですが、買えちゃうの?もうこのコーヒーカップに勝るものは無いと自分勝手に描いていました。モダニズムその物というよりやはり民芸の匂いがします。少し勾配の有る胴と口縁のカット、取っ手の安定感そして色合いの素晴らしさ。
写真全部が春霞になっています。
Posted by 新茶 at
11:11
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