2015年10月18日

またも明治村

明治村と有松に志太建築士会の皆さんとバス一台に載って、行って来ました。雨の予報でしたが、雨粒に触ることはありませんでした。青空だ


例によって、珠玉の日本家屋1の鴎外、漱石の千駄木の住宅。正しい日本といえる建築。ここにはあるべき日本の何かが全て投影されている。人間としてもある種の揺ぎ無い確固とした姿勢が見える。


和庇を支える柱脚がアクロバット。わたしはこれでもいいと思う。ものはいつかはこわれる。見守りと手当さえあれば存在していていいんです。


マトリックス座標の迷路、日本家屋はマトリックスという抽象なのだ。


おじさんの生きがいが、笑顔に表れています。立ち続ける、でもいいんだそうです。


河原町のコンビ。徳ちゃんとまさみちくん。焼津の八雲邸の駄菓子屋。2階のスケール感が遠近法を錯覚させて、世の中には闇や魔物も一緒に生きているかのような不思議な時間を味わえます。昭和の少年時代が頭をよぎる。半世紀余も前のこと。


風呂屋:渋い色合いよりも不思議なモンドリアンも舌を巻く格子の平面構成です。堀口捨巳はかつてどこにでも隠れていたのですね。


ここに書かれているのは、フランシスコ・ザビエル教会です。欄間はタンパンでいいのかなあ


そんでもって、ライトの帝国ホテル。ライイトの建築にさわれるだけで、感謝いたします。装飾やらオーガニックやらと言葉はでてきますが、芸術の一言です。5寸角のモデュールに込められた閃きは神々しい建築の存在を表現しています。建築に何が可能かって言えば場の空気。


アール・デコもライトにかかれば自家薬籠中の物になってしまう訳で、全ての基盤はライトに有るのかもしれません。


読んでいなかったので判りませんが、ルネッサンスやらメディチ家が・・・ヴィーナスの誕生か?


三重県庁の白亜による政(まつりごと)の象徴。白の意味するところは律儀、潔白、正義そして希望てことですか?月光仮面も白だった。


木造3階建ての出桁(セガイ)作りの軒先。異様にデカい額縁ケーシングが驚きなんだけど、会津の町並みでは違和感がないのかもしれません。



前回も同じことを書いていたかもしれませんが、この露伴邸の玄関はさりげない心が行き届いていて知的です。この床は不思議なあるべく必要な空間なのです。この沓脱石もそうです。


鴎外邸、露伴邸も欄間の障子に目が行きます。丁寧な空間づくりなんです。「神はディールに宿る」ってね。きっちり。わたしには出来ないきっちり


有松の町並みのあたりまえにある家屋の姿。このレベルが当たり前っていうのもスゴイことです。


どこに道路境界線は在るのでしょう。美しい町並みはどんな角度からでも美しいものです。

明治村と有松は兎にも角にも、あの建築群に逢えるだけで幸福の一部を味わえる、感動や驚きは継続もするという奇蹟です。  


Posted by 新茶 at 09:49Comments(0)