2011年10月23日
眼高手低
ほぼ日新聞の糸井重里のエッセイで云っている言葉に「多忙は怠惰のかくれみのである」と「眼高手低」は糸井の高校の先生が言っていた言葉らしいのですが、今更ながら身につまされます。「多忙・・」はそのままの意味で、常日頃から自分に言い聞かせてはたまに反省しているわけですが、「眼高手低」は鑑賞眼、批評は出来るが、いざ自分でやってみると、全然出来ない。言葉に技術が伴わないことだそうです。大方は眼低手低で気が付いていないのですが、これも又身につまされます。でも、その失敗に気が付くことが、次のステップへの足掛かりなんでしょうね。私の場合は失敗の連続に足が絡まって、前に進めないんですが・・・やるかやらないか、じぶんを変えるのは今の瞬間で、たった今なんだ・・・っていう詩があったね。60過ぎてこんなことを云っているなんてのも恥ずかしいかぎり。反省の日曜日です。
今朝柿を採った少しだけど(大部分は鳥にあげた、身が割れたのが多い)旨かった。柔らかいのは好きじゃない。病気の時に食べたからかな?柿って随分と日本的だなって思う。
かきくえば むかしはいずこ まきがこい
今朝柿を採った少しだけど(大部分は鳥にあげた、身が割れたのが多い)旨かった。柔らかいのは好きじゃない。病気の時に食べたからかな?柿って随分と日本的だなって思う。
かきくえば むかしはいずこ まきがこい
Posted by 新茶 at
12:31
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