2017年11月10日

いまさら翼



「いまさら翼といわれても」米澤穂信:著 角川書店
6編の短編集で1「箱の中の欠落」2「鏡には映らない」3「連峰は晴れているか」4「わたしたちの伝説の一冊」5「長い休日」6「いまさら翼といわれても」1:生徒会長の選挙の不正を暴く。2:さかさまといじめ。3:山岳遭難救助とヘリ。4:まんがを書くか読むか。5:言わないことが怠惰。6:進路の基点に立つ不安 大体こういう中身だろうけどすごくうまく書いているのでハハーンとなる。奉太郎の伸びやかさは、私の日常とは大違いなゆえにこういう風に生きなおしてみたいものです。がしかし、主人公であるが故の、普通うの人間を装っていても結果、オールマイティーです。たしかに穂信はうまい!図書館に返してきました。西加奈子の前に樋口有介を読みます。  


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2017年11月10日



赤く塗りました。ところがこの赤は希望の赤ではありません。出来れば稲荷の鳥居の朱に塗りたかったのですが、カシューの朱、要するに丹ですね。高いんです。だから赤のペイントと橙の色を混ぜました。割合はいい加減です。ペイントだと少し白が混じって濃いピンクですね。まあこれも良しとします。クリアを塗ったほうがいいのかなあ?サンダーを掛けてもう一度塗ればいいのかも。この文机で書き物ができるか心配です。色に貴賤は無いけれど、まやかしが有ると感じるのは私が生物だからですね。昆虫、植物の色彩もそれ故ですね。  


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2017年11月06日

犬はどこだ



「犬はどこだ」米澤穂信:著 創元推理文庫
犬探し探偵という職種が人探しや、古文書解読を否応なしに始める(仕事を選ぶほど裕福ではないから)。なんか身につまされる仕事の運びなんだけど、よく考えれば有る筈もない展開やらで、おもしろおかしく読めました。6,70年代のアメリカのシガナイ探偵の日本版でした。おわりのどんでん返しも当を得ています。自分に置き換えると、私のこれまでも似たような展開で、一般人からしたら、よくこれで過ごしてこれたな、と思います。とはいえ、その一般人にも焦点を当てて見れば、珍奇な行動も多だあるし、物語の一遍にもなる人生なんでしょうね。
   


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2017年11月03日

文机と踏台と落下



水性ウレタンを塗りました。ところがです、2階の階段からこの机と私が共々滑り落ちてしまったのです。肘や膝を打つやら擦り剥くやらで、痛いのなんのでしたが、机を抱きしめながらだったので、なんとか無事でした。その落ちてゆく映像や気持ちの展開がまさしくスローモーションだったので「あー、こんななんだ、おちてゆくってー。」痛い思いをしました。階段から落ちてゆく経験はそんなに出来るもんではないし、大事に至らなかったから良しとします。家族は、「事務所でなにかあったの?なんか音がしたけど?」なんて随分経ってから、こちらを向かずにどうでもいい感じで話しかけてました。夜シャワーを浴びたら、あちこち血が滲んでいました。ヒリヒリ。そんなこんなで塗り終わったんですが、角が痛んでいます。それもいいか。



右は掻きこみ、左はキャンティの袖板。2作目の机がちょっと見えるが、シナベニヤなので、ウレタンはむずかしい。オイルふきなんでしょうね。はたまた、色ペンキだね。



踏み台もラワンベニヤなのでウレタンを塗りました。一段目は変更で、開閉できるように蝶番を付けて中全体が見えるようにしました。ちょっと大きいので小さいのも欲しくなりました。こうして工作をすると大工さんの細かいテクニック、機械の素晴らしいことに感心しています。インパクトは優れものです。



  


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2017年10月26日

再びの赤川次郎



「鼠、闇に跳ぶ」赤川次郎:著 角川文庫
又出てきました赤川次郎。やはり菊池寛を感じさせる巧さで江戸物の典型をテレビドラマ仕立てで見せます。こういうのは反則じゃないかと思ったりもしますが、巧すぎて赦しちゃいます。こう書いていても、菊池寛の「形」が頭の中をよぎります。鼠シリーズを読んでいてもその江戸の持つ日本という形が見えてきます。本当かどうかは判らないけどね。多分、共同幻想に違いないだろうけど。1の「江戸を疾る」は図書館に無かったので、2番から読んでいます。この前テレビでやってたよ!って家内が言ってます。
 
  


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2017年10月24日

ホトトギス



ホトトギス、風知草、名前は知らないけれど、なにやら赤い花を付ける木。そして棕櫚竹。ホトトギスは毛虫のような不気味な模様のくせにかわゆい。なにかを逆手に取って愛されている。長けた植物である。秋の深みを演じる素材でもある。



台風が来るし、実が落ちて道をべたべたに汚すので柿木に昇って全部切ってしまいました。知人に配った残りがこれ。色合いがセザンヌしてます。柿はアルコールで頭痛や吐き気がするときには、是非食べてください。モンゴロイドはアルコールを分解する酵素が無いので、細胞が異物(危険物質:毒物)と判断するそうです。ゆえに長い間戦い続けるとガン細胞が発生します。そこで柿のタンニンがアルコールを包み込んで、無いものと判断されるので、すーと吐き気が収まります。気を付けましょうね。不随細胞のストレスを減らしてください。長生きが出来るかも。



一つだけ残った鳥への贈り物。柿の木の近くの同報無線の鐘は爆音です。ウエストミンスターもかくありなん。大多数の幸福の為に我等家族は耐えしのぶのでごじゃる。


 
隣の家の干し柿です。干し柿の景色は歴史文化の景色ジャン。支離滅裂な秋の脳髄でした。
  


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2017年10月23日

菊池 寛2



「恩讐の彼方に」菊池 寛:著 岩波文庫
なんだけど、新潮文庫に入ってなかった「形」「名君」「解体新書」「俊寛」「「頸縊り上人」が読みたくなって買ってきました。面白いのは、巻末の「注いるまいと思うが」なのである。菊池寛をよく表していて頷くばかりか、いや、そうでもないぞと思ったりもする。シェイクスピアがイギリス人をあらわしているのと同じで、日本人の人々のなんたるかをよく表していて、うまくないどころかとてもうまく掴んでいるのである。そして心打たれるのであり、ジーンと涙するのである。でもこんな日本人も少なくなって権威だけ着た昭和の爺さんが増えてきた。残念である。
  


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2017年10月21日

エチュード



「エチュード」今野 敏:著 中公文庫
今回は呪術やらまやかしではない。れっきとした心理学です。とはいえ苦手というか、学問としては不可解な領域で、自分の心理は自分にしか解る訳がないだろうなんて思っているので、はっきり言って信じません。でもこれはそれで単純な心理学で面白かった。この事件はもともと起こりえないなんて思いながらも、一機に読むなんてことをしたのだから、いいんじゃない、のってカンジ。本当に今野は僕にとってはムラがある。



踏台も作りましたが、下手です。ビスの位置がドリルとぴったり合いません。すこーしずつズレてきます。なので最後にズレの集積が見れます。難しいものです。予期していましたけど、悔しいですね。もともと不器用な私ですからいいとしてそのままにします。塗装をかけてみます。でもあと一つや二つ文机を作ります。こうご期待!  


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2017年10月14日

陰陽師



「玉兎の巻」夢枕 獏:著 文藝春秋
本当に久しぶりに晴明と博雅の掛け合いにしみじみ、でした。もう30年にもなるんですね。マンネリどころか、サスティナブル、マニエリスム的日本の文化とも言えます。ときどきでてくる呪は言葉、なんだ。はじめに言葉ありき、っていうことでこの音という抽象が連続したら具象のイメージを想起するという言葉が人間を人たらしめている。コミュニケーションの始まりはここにありって、ことかな。不思議とファンタジーがスーっと入ってきます。葉二の笛ってどんな笛なんでしょう。『蝉丸』は知らなかった。



「文机」ふづくえがここまで出来ました。筆返しのある経机ではござらぬ。このあと多少色をしみこませた後に、ウレタンを塗るのじゃ、フフフ。ちょっと天板が高めなのは、人間年を取ると目が定かでは無くなるし、食卓に使うときでも、箸から口が遠いと、こぼすのじゃ。まあ座高が高けりゃしょうがないけど、それは自業自得。もう一つや二つ、木目じゃないのを、真っ赤と白色なのも造ってみようかと算段をしておるところじゃ。この口調は道満。そのうち死ななければいつかは出来る筈、こうご期待あれ。注)両袖の円や欠きこみは、モダニストとしての記号・・だ。  


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2017年10月11日

パラレル



「パラレル」今野 敏:著 中公文庫
空手、武術と呪術は私の好みではない。この武術系は演じる側と見る側では全く好き嫌いが分れる。やらないとまったくその面白みが理解できないだからいっぱい文章で書いてあっても興味が湧かない。内田樹も武術の話になると気がそがれる。私には向かないのだろう。美学的に弓道はかっこいいとは思うけどその程度である。戦えないのである。ましてや呪術の世界を読んでも、うそじゃんってな感じでファンタジーは感じないのである。今、夢枕獏の晴明の玉兎の巻を読んでいるけれど、この平安時代のファンタジーは素直に読めるのである。以前からの晴明のシリーズでここまで幻想を引きずってこれたのも不思議である。SFが嫌いなのではない。大体小説なんて幻想なんです。二人以上いれば共同幻想だもんね。宇宙誕生も地球消滅も一瞬の瞬き どすえ  


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