2012年06月01日
ボントロさん
このブログはボントロさんの指導で出来上がったのです。私はまだ続けていますが、ブログを勧めてくれた彼が病気になって、彼のブログの進行も難しくなってきました。私自身も彼のブログが読めなくて寂しいので、時々自宅に押しかけて話をしてきます。お茶の稽古の後にも寄らせて頂いています。
さる22日に音楽評論家:吉田秀和氏が亡くなりました。ボントロさんは吉田氏の信奉者でしたから自分の病気と合わせて殊更悲嘆に暮れて、何か一杯誰かに話したかったようでした。彼は吉田氏の著作は全て読み通しています。吉田秀和氏が音楽ばかりでなく、文化芸術の全般に亘って評論していたこと、ましてや日本の文化にも造詣がとても深かったことを強調していました。ボントロさんの音楽の何パーセントかは、いや全てかな?吉田秀和の音楽が基礎に有るのかもしれません。何年か前に建築士会で鎌倉に詣でた時にボントロ夫妻は吉田秀和氏の自宅を探したそうです。多分何らかのダイレクトなイメージを探していたんだろうと思います。結局解らなかったそうです。自分の師と仰ぐ人もいつかは亡くなります。私の師はだれだった?
ベッドで横になっている彼と話しながら、頭の中では、いつかまたボントロさんがブログに帰ってくるのを首をキリンにして待っています。
さる22日に音楽評論家:吉田秀和氏が亡くなりました。ボントロさんは吉田氏の信奉者でしたから自分の病気と合わせて殊更悲嘆に暮れて、何か一杯誰かに話したかったようでした。彼は吉田氏の著作は全て読み通しています。吉田秀和氏が音楽ばかりでなく、文化芸術の全般に亘って評論していたこと、ましてや日本の文化にも造詣がとても深かったことを強調していました。ボントロさんの音楽の何パーセントかは、いや全てかな?吉田秀和の音楽が基礎に有るのかもしれません。何年か前に建築士会で鎌倉に詣でた時にボントロ夫妻は吉田秀和氏の自宅を探したそうです。多分何らかのダイレクトなイメージを探していたんだろうと思います。結局解らなかったそうです。自分の師と仰ぐ人もいつかは亡くなります。私の師はだれだった?
ベッドで横になっている彼と話しながら、頭の中では、いつかまたボントロさんがブログに帰ってくるのを首をキリンにして待っています。
Posted by 新茶 at
09:29
│Comments(3)