2012年06月08日
視察一年後
島田市初倉の井口の自治会の東北被災地視察に同行させてもらいました。前回の視察は志太建築士会で南三陸町まで遠征しましたが、今回は宮古まで行きました。ずっとバスです。とにかく見れるとこは何処までもって感じでした。それにしても一年でこんなにも片付くなんて夢の様です。気の遠くなるような分別作業をコツコツとやっています。皆でやらないととても出来ることじゃありません。瓦礫の処理も一か所でやるより、多くの処理場でやるほうが効率がいいのは確かなことです。

5日のお昼は那須SAですが、何を食べたのか思い出せません。トモちゃんの残り物(親子丼)も食べた気がする。

中尊寺で亡くなった人への祈りを捧げる。鞘堂脇のいろは紅葉。秋の紅葉は格別だそうな。

一関のホテルの廊下からの夕日、西方浄土。アシタテンキニナアレ雨具は持っていかなかった。結果オーライ


copyright © 2009 陸前高田市探訪 all rights reserved
陸前高田の復興の松の向こう側にある破壊寸前の建物は私が若い時に憧れていた小川淳設計事務所設計の陸前高田のユースホステル。まさかここで出会うとは。下の写真が災害前でこんなに緑豊かな場所だったんだ。グスン

浄土ヶ浜って存在も名前も知らなかった。なにか象徴的な景色で人の世の儚さと自然の時間の延大さを語っているようでした。

大槌町役場。未だ片付いてはいません。風が吹けば埃と千羽鶴が舞うだけ。祈りもカモメの声に消されてしまう。やり切れなくても、前に進むしかない。自分に出来ることを探す。

山田町の分別仕分け。山田町は本当に素晴らしい景色の町です。三陸の町がみんな20m近い高い堤防が出来たらちょっとさみしい。この景色を守るのにも早く瓦礫を撤去しないと、いけません。大量の瓦礫の分別作業は苦労だと思いました。丁寧な仕事をコツコツやらないと大変なことになってしまいます。世の中の仕事って全部そうなんだけど。

こんなに大きな堤防も破壊されてしまいました。確実な安全なんて何処にも無いんだ。人間の幻想と妄想で人間の社会とやらは出来上がっている。数字の持つ魔力に安易な信頼を託している。現実と理屈と数字はまだまだ作文の域。
二日目の宿泊はグリーンピアみやこ。7日の帰りは土産もの売り場で岩手の産物を知る。帰りは宮古から盛岡経由の東北自動車道もまっしぐら。初倉に着いたのは10:30、自宅には11:00着、自宅へのお土産はせんべいONLYなのだ。井口の皆さんアリガトウ。オカピーさんは良い人達に囲まれて住んでいます。
5日のお昼は那須SAですが、何を食べたのか思い出せません。トモちゃんの残り物(親子丼)も食べた気がする。
中尊寺で亡くなった人への祈りを捧げる。鞘堂脇のいろは紅葉。秋の紅葉は格別だそうな。
一関のホテルの廊下からの夕日、西方浄土。アシタテンキニナアレ雨具は持っていかなかった。結果オーライ

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陸前高田の復興の松の向こう側にある破壊寸前の建物は私が若い時に憧れていた小川淳設計事務所設計の陸前高田のユースホステル。まさかここで出会うとは。下の写真が災害前でこんなに緑豊かな場所だったんだ。グスン
浄土ヶ浜って存在も名前も知らなかった。なにか象徴的な景色で人の世の儚さと自然の時間の延大さを語っているようでした。
大槌町役場。未だ片付いてはいません。風が吹けば埃と千羽鶴が舞うだけ。祈りもカモメの声に消されてしまう。やり切れなくても、前に進むしかない。自分に出来ることを探す。
山田町の分別仕分け。山田町は本当に素晴らしい景色の町です。三陸の町がみんな20m近い高い堤防が出来たらちょっとさみしい。この景色を守るのにも早く瓦礫を撤去しないと、いけません。大量の瓦礫の分別作業は苦労だと思いました。丁寧な仕事をコツコツやらないと大変なことになってしまいます。世の中の仕事って全部そうなんだけど。
こんなに大きな堤防も破壊されてしまいました。確実な安全なんて何処にも無いんだ。人間の幻想と妄想で人間の社会とやらは出来上がっている。数字の持つ魔力に安易な信頼を託している。現実と理屈と数字はまだまだ作文の域。
二日目の宿泊はグリーンピアみやこ。7日の帰りは土産もの売り場で岩手の産物を知る。帰りは宮古から盛岡経由の東北自動車道もまっしぐら。初倉に着いたのは10:30、自宅には11:00着、自宅へのお土産はせんべいONLYなのだ。井口の皆さんアリガトウ。オカピーさんは良い人達に囲まれて住んでいます。
Posted by 新茶 at
17:27
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