2014年04月22日
六道 慧と新聞
「青嵐吹く」六道 慧:著 光文社 を読んだ。とても楽しんだ、というか寸暇も惜しまずに読んだのである。がしかし、昨日起床してからこの本を探したのなんの、何処を探しても見当たらなかったのである。近頃この体たらくが頻繁に発生している。落ち着いて過去を振り返ってみれば、あーそうだっけ、ここに置いたんだ、となるわけである。何処かが切れているらしい。寄る年波には勝てませんね。寸暇を惜しみました。
序章と一章が秀逸なんですが、最期にこの章が大きな意味をもって現れます。こういうのは好きですねー。人物像も表紙の如くとぼけた主人公にふさわしい人間達がドタバタと駆けずり回ります。こんな背景の江戸時代もいいもんです。しかしながら事件は緊迫の様相を呈して読者の胸の鼓動をかき鳴らすのですから、読み続けてしまいます。ましてや途中で本を見失うなんて言語道断でした。続編が読みたくなります。
4月20日と21日の静岡新聞ですが、韓国の沈没船の事件で新聞を切り抜くのを忘れていました。「親鸞」のカットの絵も切り抜きました。沈没船に関しては「もう呆れてしまう」というか船が右折し始めた時点で事は起きていたんだと思います。処理が遅れるとトンデモナイことになる見本でした。我が身に照らし合わせて、気を付けましょう。
「低反発枕草子」は軽いノリで枕草子を平田俊子さんが解説?してくれています。「春は化け物~」と恨んで と叫んでいるようです。いいですねーこのノリ。齋藤孝さんの「声に出して・・・」をよんで私も暗記してみました。全編を読んだ筈だけど、ここしか覚えていません。いいんです、こんなもんで。浴槽に浸りながら「春はあけぼの・・・」や「月日は百代の・・・」を唸るのもいいよ。できれば三波春夫の「止めてくれるな、妙心殿・・・」もね。
右は例の「ゴシックの聖堂」で、ラン大聖堂です。山の上の街みたいに大きな聖堂です。五つの塔が残っているそうです。サン・ジミニアーノみたいじゃんか。高い場所に造られたので、牛を使って建設されたということです。勿論人間の苦労も計り知れないものがあります。ランはLoanと書くようだ。行って見たいですねー。
静岡新聞「親鸞」のカット絵 山口 晃 の最近の絵です。こんな小さな絵の中にでも人間の喜怒哀楽が読み取れてしまいます。ましてや右下の絵などはため息ものです。大事にしまっておこうと思いました。
Posted by 新茶 at
09:32
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